車使わず9日で九州平定!?「続日本100名城」攻略モデルプラン!(前編)

「続日本100名城」のスタンプラリーが始まって3年が経ちました。お城ファンの皆さまはどのくらいスタンプを集めましたか?「出陣したいけれど忙しくてなかなか作戦が立てられない」「夏休みの城攻め計画をこれから立てようとしているところ!」という方のために、九州在住の城愛好家・藪内成基さんに、公共の交通機関を使用して効率よく九州の続日本100名城をめぐるプランを作っていただきました。ちょっとだけハード・・・かもしれません♪ 途中からの参戦・撤退も可能ですので、ぜひ攻略のヒントにお役立てください。(※2021年7月3日更新)



基肄城、本丸跡付近
基肄城本丸跡付近より。古代や中世の山城との出合いが続日本100名城の楽しみ

九州には18の「続日本100名城」があります(沖縄県は除く)。「日本100名城」と比べ、中世の山城が多くアクセスが難しくなっていますが、できる限り公共の交通機関を利用して、効率よく、福岡を起点にぐるりと一周するプランです。

1日目:博多駅を起点にJR鹿児島本線を利用して3城を攻略!

水城駅、鹿児島本線
JR水城駅から鹿児島本線を望む

<DAY1>
博多駅
↓JR鹿児島本線20分(260円)「水城」駅から徒歩1分
水城  
↓「水城」駅からJR鹿児島本線20分(280円)「基山」駅から徒歩約1時間(約5km)
基肄城 
↓「基山」駅からJR鹿児島本線18分(280円)「久留米」駅から徒歩約15分
久留米城
↓「久留米駅」駅からJR鹿児島本線35分(740円)
博多駅(博多泊)

「続日本100名城」攻略の旅は博多から!福岡県では、古く奈良時代に築かれた水城基肄(きい)、そして立派な高石垣が残る久留米城を一気に巡ります。JR鹿児島本線を利用しながら、駅から歩いて足で稼ぐ1日。一番の難所は、最寄りの基山駅から約5km歩くことになる基肄城。タクシー利用も要検討ですが、日本最古の朝鮮式山城を踏破すれば、この上ない達成感を得られるはずです。とはいえご無理のないように。3城ともJR鹿児島本線を起点にアクセスできますので、先に久留米城から基肄城、水城へと博多方面に戻るのも一手。翌日に備え博多に戻って宿泊します。


■水城(福岡県太宰府市・大野城市・春日市)
水城、土塁、断面
水城では大きな土塁の断面が見学できる
博多駅からJR鹿児島本線に乗り、福岡平野を抜けながら「水城駅」で下車します。『日本書紀』に「筑紫に大堤を築き水を貯へ、名づけて水城と曰う」と記述される古代ロマンあふれる土地。

水城は、なんと今から1300年以上前の天智天皇3年(664)に築城。総延長約1.2km、高さ10mの直線的な土塁が延びていました。というのも、663年に起こった白村江の戦いで唐・新羅連合軍に倭国(日本)が敗れたため、外国からの脅威に備え、国土防衛の目的で築かれたのです。ここは福岡平野が最も狭くなったところで、南北に遮断する役割がありました。水城のほか、日本100名城のひとつ大野城(福岡県大野城市・太宰府市・宇美町)や、次に向かう基肄城も築かれました。


■基肄城(福岡県筑紫野市・佐賀県基山町)
基肄城、石碑、筑後平野
基肄城跡石碑と一面に広がる筑後平野

読み方も難しいですが、攻略も難しい。。。福岡県と佐賀県の境界にある標高約404mの基山(きざん)に築かれ、約3.9kmの城壁が巡らされていました。水城が築かれた翌年、天智天皇4年(665)に築城。北方約8kmにある大宰府の防衛を目的とした、長大な城壁です。

基山山頂からは、筑後平野から有明海を一望することができ、大宰府の南方を守るのにふさわしい立地であることがよく分かります。石塁や水門など、古代の優れた土木技術を伝えています。3~5月、9月中旬~11月には草スキー場としても利用されています。季節によってはチョウやトンボなど、豊かな自然にも出会えます。


■久留米城(福岡県久留米市)
久留米城、本丸、石垣
久留米城本丸の石垣は当時の威容を伝える

古代の城を攻略した後は、いわゆる「お城らしい」高石垣を備える久留米城へ。久留米駅には大きなタイヤのモニュメントがありますが、世界屈指のタイヤメーカー・ブリヂストン創始者・石橋正二郎さんの出身地です。

天正15年(1587)に豊臣秀吉が九州を平定すると、毛利秀包(もうりひでかね)が入封し修築。その後、田中氏の時代を経て有馬豊氏(ありまとようじ)が城主となり、約70年かけて完成しました。本丸中心部には歴代藩主を祀る篠山神社が立ち、本丸の石垣と堀は往時の姿を残しています。

2日目:JR日豊本線で九州東部を縦断!北九州を経て大分へ!

角牟礼城、豊後森駅
角牟礼城の起点となる豊後森駅は鉄道ファンおなじみの駅でもある

<DAY2>
博多駅
↓JR鹿児島本線40分(1290円 特別料金510円)西小倉駅から徒歩約10分
小倉城
↓小倉駅からJR日豊本線30分(1110円 特別料金820円)中津駅から徒歩約15分
中津城
↓中津駅からJR日豊本線で大分駅乗り換え、久大本線2時間40分(2810円 特別料金1750円)豊後森駅から大分交通バスで約8分(200円)「上伏原」すぐ 
※本数が少ないので豊後森駅から角牟礼城の麓の豊後森藩資料館まで徒歩約40分(約2.5km)が無難
角牟礼城
↓豊後森駅からJR久大本線・日豊本線2時間40分(2130円 特別料金620円)
臼杵駅
★臼杵泊 
※移動が難しければ、由布院、大分で宿泊

博多を発ち、九州西部を南北に延びるJR日豊本線を利用します。まずは北九州を代表する天守がそびえる小倉城(復興天守)の後は、大分を代表する天守を構える中津城(模擬天守)へ。2天守を攻略した後がこの日の勝負所。大分駅でJR久大本線に乗り換え、車窓に美しい由布岳を見ながら、豊後森駅で下車し、山城である角牟礼城を攻めます。攻略後は大分駅まで同じルートを戻り、また日豊本線に乗り換え、臼杵駅へ。翌朝の臼杵城攻略に備え臼杵駅近くで宿泊。久大本線沿いにある由布院駅や、大分駅近くで宿泊するのもアリです。


■小倉城(福岡県北九州市)
小倉城、天守、復元
現在の小倉城天守は昭和34年(1959)に復興されたもの

名門・細川家の細川忠興が江戸時代に大改修し、現在の姿になりました。細川家が熊本城へ移った後は、江戸時代を通じて小笠原家の居城となりましたが、幕末の第2次長州戦争で敗れて自ら城に火を放ち、ほとんどの建物が焼失してしまいました。

最寄り駅は西小倉駅ですが、小倉駅周辺には「北九州の台所」と呼ばれる旦過市場(たんがいちば)があるので、行きは西小倉駅、帰りは小倉駅を利用するのがおすすめ。また、小倉城に隣接して松本清張記念館がありますので、清張ファンの方はお見逃しなく。


■中津城(大分県中津市)
中津城、奥平氏、模擬五重天守、復興二階櫓
昭和39年(1964)に旧藩主の子孫、奥平氏が模擬五重天守と復興二階櫓を建てた

ここからは大分県。黒田官兵衛が築城したことで有名な中津城。実は領内の反乱や朝鮮出兵などで、未完成のうちに10年以上が経ってしまいました。その後、関ヶ原の戦い後、細川忠興が城主となり、小倉城と並行して中津城の大修築も行いました。細川家が熊本城へ移った後も、九州の外様大藩の監視役として、大きな役割を果たしています。

天守からは中津川の流れる先、周防灘まで一望できます。また、中津藩出身と言えば、福沢諭吉。福澤諭吉旧居・福澤記念館や福澤通りなど、諭吉ゆかりの地を訪ねてみてはいかがですか?


■角牟礼城(大分県玖珠町)
角牟礼城、麓、末廣神社、御長坂
角牟礼城の麓、末廣神社につながる御長坂

豊後森駅に近付くと大きな蒸気機関車があり目をひきます。かつての豊後森機関庫や豊後森機関庫転車台の跡が残り、豊後森機関車ミュージアムも。鉄道ファンにはたまりませんが、ここは我慢して角牟礼城を目指します。

豊後森駅から角牟礼城の麓にあたる豊後森藩資料館まで約2.5km。バスの本数が少ないので、タクシーまたは歩く方がスケジュールは組み立てやすいです。戦国時代には九州の名門・大友家が治め、島津軍の侵攻に耐えた名城。切り立った岩山でハイキングコースとしてもよく利用されますので、登城の際にはしっかりと準備をお忘れなく!

3日目:JR日豊本線でさらに南下し、大分から宮崎へ!

佐伯城、眺望
佐伯城からの眺望。佐伯駅付近では豊後水道に沿って日豊本線は走る

<DAY3>
臼杵駅
↓徒歩約10分
臼杵城
↓JR日豊本線30分(560円 特別料金620円)佐伯駅から大分交通バス「上り方面」で約6分「大手前」下車(140円)徒歩約5分
※佐伯駅から「大手前」まで徒歩約2km
佐伯城
↓佐伯駅からJR日豊本線1時間(1110円 特別料金820円)延岡駅から徒歩約25分。宮崎交通バス「保健福祉大学」行きで約7分(170円)「市役所前」下車徒歩約5分
延岡城
↓JR日豊本線1時間10分(1650円 特別料金930円)
宮崎駅
※宮崎泊

3日目もJR日豊本線を利用して城攻めを行います。まずは臼杵駅から歩いて臼杵城へ。レンタサイクルも借りられますので、城下町もくまなく見たい方におすすめです。臼杵の後は佐伯。佐伯駅から城下町まで約2㎞、麓から約20分で山頂へ。延岡城も延岡駅から約2kmと少し距離があります。佐伯城も延岡城も、駅からバスを利用すれば移動時間を短縮できます。

延岡より先は距離があるため、翌日に備え宮崎駅まで移動します。宮崎県は南北に広く、続日本100名城は北の延岡城と南の佐土原城の2つです。移動を苦とせず車窓からの日向灘の爽やかな景色をお楽しみください。


■臼杵城(大分県臼杵市)
臼杵城、石橋、鐙坂
石橋を渡り、岩場をくり抜いたような鐙(あぶみ)坂を登っていく

「日本一のキリシタン大名」と称された大友義鎮(宗麟)が築城。本丸跡には大友氏がポルトガルから入手した大砲「国崩し」のレプリカが置かれています。この国崩しのおかげで、天正14年(1586)に島津軍に囲まれつつも撃退できたとされています。

かつては臼杵川河口の島だけあって、海に浮かぶ天然の要害。岩を利用した独特の城のデザインも必見です。城下町にある「サーラ・デ・うすき」は修道院と日本の蔵を合わせた建築。南蛮文化伝来に関する展示を見学可能。臼杵城から約6km、ひと足のばせば国宝の臼杵磨崖仏もあります。


■佐伯城(大分県佐伯市)
佐伯城、二の丸、天守台
二の丸から望む天守台。かつては山頂の天守へつながる唯一の道だった

城下町から、文豪・国木田独歩が愛した道を歩いて山頂を目指します。山頂からは豊後水道が一望できます。山城でありながら豊富に使われた石垣は圧巻。築城者・毛利高政による複雑で立体的な縄張りの工夫を感じることができます。

ちなみに毛利高政が佐伯城に移ったのは関ヶ原の戦いの後。以前は2日目に訪ねた角牟礼城の城主でした。元和3年(1617)の火災で本丸と天守は焼失。江戸時代を通じて毛利氏の藩主が続き、6代目藩主・毛利高慶(たかやす)の時、約19年かけて大改修を行い天守以外の建物が修復・再建されました。


■延岡城(宮崎県延岡市)
延岡城、千人殺しの石垣
見る者を圧倒する「千人殺しの石垣」

何といってもみどころは二の丸跡にそびえる約19mもの石垣。その名も何ともものものしい「千人殺しの石垣」。。。名前の由来は、一番下の隅石を外すと石垣が崩れ落ち、敵の大軍を殲滅する仕掛けになっているからとか。築城期から残り城内最大規模を誇ります。豊臣秀吉に命じられて築城した高橋元種に始まり、有馬氏、三浦氏、牧野氏、内藤氏と城主が変わりながら明治維新を迎えました。

延岡は歌人・若山牧水が多感な少年時代8年間過ごした町でもあり、延岡城に立つ牧水の歌碑からも偲べます。


※時刻やアクセス、料金につきましては、事前に関係施設や交通機関で最新情報をご確認ください。所要時間は、乗る列車によって差が生じます。
※スタンプの設置場所は事前にご確認ください。


執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。30代の城愛好家。国内旅行業務取扱管理者。出版社にて旅行雑誌『ノジュール』などを編集。退職し九州の城下町に移住。観光PRやガイドの傍ら、「城と暮らし」をテーマに執筆・撮影。『地域人』(大正大学出版会)など。海外含め訪問城は500以上。知識ゼロで楽しめる城の情報発信を目指す。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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