超入門! お城セミナー 超入門!お城セミナーまとめ【鑑賞編 Vol.1】

初心者向けにゼロからわかりやすく解説する「超入門!お城セミナー」。「お城へ行くにはどんな格好がいいの?」「よく聞く『縄張』って何のこと?」など、お城の鑑賞に関する記事をまとめました!訪問のコツや見どころ、注意するべきポイントなど、初めてのお城めぐりに必読です!

お城へ行くにはどんな格好がいいの?

近世城郭へのおすすめは「スニーカー+パンツスタイル」。きれいに整備された観光地のお城も侮ることなかれ。城内は土や砂利敷きの場所が多いので、歩きやすい靴で出かけましょう。

天守の見学は、脱いだ靴を持ち歩かなければならないところも多いので、要注意。「素足で板の間を歩く」なんてことにならないように、靴下を持って行くと便利です。また、狭くて歩きにくい場所も多いので、バッグは両手が空き、小ぶりなものがおすすめです一方、山城に行く場合は、格好も持ち物も変わってきます。

では、山城ではどんな格好だと安心?


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お城、恰好、ファッション、持ち物
城内をかなり歩くこともあるので、軽食や飲みもを持っていくとよいでしょう(イラスト=かみゆ歴史編集部/みぽ)

よく聞く「縄張」って何のこと?

お城の本や解説でよく目にする「縄張」。なんとなくわかるけど…という人も多いのでは?

「縄張」とは、本丸をどこに置くか、曲輪をどう配置するか、堀や土塁はどう巡らせるかなど、お城の全体像の設計を意味しています。また「縄張図」は、現状の遺構から曲輪や防御施設の配置を読み取り、城の構造をわかりやすく示した図面です。

難しく思われがちな山城も、「縄張」がわかるようになるともっと楽しめるかも!?

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お城、縄張、縄張図
江戸時代に幕府に届け出るために作成された「正保城絵図」(画像は掛川城)。城の構造=「縄張」が描かれている(国立公文書館蔵)

お城めぐりのベストシーズンっていつ?

お城に季節なんて関係あるの?と思った読者もいるかもしれませんが、大阪城(大阪府)や名古屋城(愛知県)、姫路城(兵庫県)など観光地として名高いお城は、城内の大半が歩きやすく整備されており、手入れが行き届いているお城。

実は、こうした季節に関係なく訪れることができるお城は、全国でもごくわずか。城が屋外の遺構である以上、そして日本が四季の豊かな列島である以上、自然の影響は少なからずあります。

そんな自然の中にたたずむ山城や土の城のベストシーズンって?

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屋代城、山城、鑑賞
山城鑑賞は冬がおすすめ。夏場は堀や曲輪全体が藪に覆われていることが多い。写真は屋代城(長野県)

江戸時代、お城に桜は咲いてなかったって本当?

城びとの特集「全国縦断!桜を愛でる花見の城」でも「桜の名城」を100城近く紹介しているように、全国には花見を楽しめる城が数多く存在します。天守を背景に桜が咲き誇る光景は「日本らしい」組み合わせですが、その歴史はそれほど長くありません。

城に桜の木が植えられるようになったのは、明治維新以降のこと。それまでは、松明や松ヤニとして重宝された松や、食糧や薬用として使われることもあったとされる竹や梅、銀杏や椎の木など、実用性の高い樹木が植えられていました。

ではなぜ明治時代になってから、お城に桜の木が植えられるようになったのでしょうか?「桜」に秘められた役割とは?

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姫路城、日本の美
日本の美を代表するような一幕(写真は姫路城)。しかしこの光景は、明治以降に登場したもの

お城はどうしてあんなに広いの?

観光地や公園化されている城って、ものすごく広いですよね。ですが実際は、その外側の範囲までも城の敷地だったことがほとんど。なぜ城の敷地はあんなに広大だったのか、そしてそこには何が建っていたのでしょうか。

戦国時代、城は居住が目的ではなく、国と城主を守るための軍事施設でした。鉄砲など火器の性能はまだまだ低かったため、戦力である兵を多く駐屯させるためには、広い敷地が必要だったのです。
では戦がなくなった江戸時代のお城はどうでしょうか。兵を駐屯させる必要がないから、もうスペースは必要ないかと思いきや、実はそうでもありません。

より広大な敷地が必要になったその理由とは?

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二条城、二の丸御殿
二条城二の丸御殿。二条城には、将軍が京都滞在中に政務を行う場としての機能が備えられている

大名庭園って何をするところ?

お城の近くに「○○園」や「○○庭園」などと名付けられた庭園があることが多いのはご存知ですか?実はこれらの庭園は、城や大名と関係があるのです。 

まず、中世の守護屋敷。守護大名たちは、室町幕府とのつながりを見せつけて権力を誇示するため、幕府の花の御所(京都府)を縮小したような御殿と庭園のセットを地方の自領に造っていました。これは、信長とその後継者である豊臣秀吉により近世城郭にも持ち込まれ、御殿と庭園のセットがスタンダードになっていきました。

そして江戸時代には、江戸はなんと面積の約50%が庭園で占められた「庭園都市」に…。果たしてその理由とは?

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彦根城、玄宮園、庭園、井伊直興
彦根城(滋賀県)内にある玄宮園。紅葉が美しいこの庭園は彦根藩4代藩主・井伊直興(いいなおおき)が整備したものといわれている

夏にお城に行くべきじゃないのはなんで?

その理由は、城、特に山城は屋外施設であり、夏は自然界のもろもろが最も活動的になるから。

まず心配なのは「暑さ」。猛暑の中、炎天下を何時間も歩くのはきわめて危険です。山城目的の登山の場合、人の少ない山中で熱中症になって倒れてしまったり、携帯電話の電波が不安定だったりで、すぐに助けを求められないこともあります。

また、木々が生い茂る夏の山は、直射日光を避けることができますが、この生い茂った木々は、城の遺構を見る時の大敵。歩きにくい上に木々で視界が遮られるため、土塁や堀の高低差を見極めたり、遺構の規模を把握したりすることは至難のワザ。

でももし夏にお城めぐりをするなら・・・?

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村上城、竪堀
初夏に撮影した村上城。中央に竪堀が写っているのだが、草で覆われ全く見えなくなっている

山城には木が生えていなかったって本当?

守りやすく攻めにくいことが基本となる「城」という名の軍事的防御施設。日本全国に3万とも4万ともいわれる城跡のほとんどを占めるのが「山城」です。自然の山そのものを要害として、その山に、守りやすく攻めにくくなるように、土を掘って、盛って、堀・土塁・切岸・堀切などの防御システムを施しています。

現在目にする山城の姿は、樹木に覆われているため視界が遮られ、遺構の高低差や全体の規模を見極めるのは、なかなか大変。「山城ってそういうものでしょ?」と思っている人も多いかもしれません。でも、軍事施設としてバリバリ使用されていた当時の山城は、ほとんど木が生えていなかったといわれています。

これは一体なぜなのか?その謎に迫ります。

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荒砥城、武田信玄
戦国時代に武田信玄が村上氏から奪った荒砥城は、山全体が往時のように伐採してあるため戦国時代の眺望が楽しめる


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執筆/城びと編集部

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