超入門! お城セミナー 超入門!お城セミナー 第16回 |【鑑賞】お城はどうしてあんなに広いの?

初心者向けにお城の歴史・構造・鑑賞方法や、お城の用語など、ゼロからわかりやすく解説する「超入門!お城セミナー」。今回は、広大な城の敷地はどのように使われていたのかを解説します。

二条城、二の丸御殿
二条城二の丸御殿。二条城には、将軍が京都滞在中に政務を行う場としての機能が備えられている

軍事拠点・政庁…城には広い土地が必要!

観光地や公園化されている城って、ものすごく広いですよね。「○○城跡」として整備されている所だけでも相当な広さですが、実際はその外側の範囲までも城の敷地だったことがほとんどなのです。今回は、城の敷地がなぜあんなに広大だったか、そしてそこに何が建っていたのか、というお話です。

戦国時代、城は居住が目的ではなく、あくまでも国と城主を守るための軍事施設でした。鉄砲など火器の性能はまだまだ低かったので、戦力は、やはり人。多くの兵を駐屯させるためには、広い敷地が必要だったのです。天然の要害を利用した山城の場合、地形との兼ね合いで敷地を拡げるにも限度があります。そのため、本城と支城の間を繋ぐ「繋ぎの城」が、駐屯地としての役割も担っていました。

戦がなくなった江戸時代の城はどうでしょう。兵を駐屯させる必要がないから、もうスペースは必要ないかと思いきや、実はそうではありません。
元和元年(1615)の一国一城令で、一つの藩(国)に城は一城のみと定められました。そのため、一つの城にその藩の重要機関が集約されます。つまり、軍事機能を持たせるのはもちろん、地方自治の拠点となる藩庁や、藩主であるお殿様の住居も兼ねることになったのです。そうなると城内に、家臣に権威を示す儀式用の空間や、客人をもてなすための外交用の施設だってほしい…。軍事・政治・家臣の統率・外交・住居といった役割を一つの城に集約させるため、より広大な敷地が必要になっていったのです。

藩の政庁となる城があった場所は、現在でも都市の中心地となっています。本丸跡に県庁、二の丸跡に市役所が建っている前橋城(群馬県)や福井城(福井県)は、分かりやすい例ですね。

福井城、本丸跡、福井県庁
福井城の本丸跡には、現在の福井県政の中心である福井県庁が建っている

藩の中心地だった「御殿」

江戸時代の城で最も重要だったのは、天守…ではなく、「御殿」でした。御殿は、建てられた場所によって本丸御殿・二の丸御殿などと呼ばれ、軍事以外の城の重要な役割を担ったのです。軍事施設とは一線を画す御殿は、幕府が大名を取り締まるために定めた『武家諸法度』の規制の対象外。新築・増改築などが自由だったので、どんどん拡張が進み、付帯施設とともに広大な曲輪をほぼ埋め尽くしていたのです。

さてこの御殿の構造は、「表」と「奥」、そして「裏方」に分かれていました。

「表御殿」は、お役所の役割。城主と家臣の対面、正月などの行事・儀式、使者や客人のもてなしなどが行われていました。「広間」と「書院」のたくさんの部屋を相手の身分によって使い分けて対面施設として使っていました。おもてなし用の能舞台や茶室が備えられていたことも多かったようです。

対する「奥向」は、城主とその家族のプライベート空間。「奥御殿」がその中心の建物です。居間や寝所、夫人や女官たちの部屋、湯殿や便所などももちろんあって、表御殿とは異なるくつろぎ用の庭や茶室もありました。「裏方」は、家中の者の仕事部屋、料理や雑務のための施設です。近ごろの御殿復元ブームの先駆けである、彦根城(滋賀県)の表御殿を復元した彦根城博物館では、江戸時代の現存能舞台もみることができます。

江戸城、本丸御殿跡地、皇居東御苑
現在、皇居東御苑となっている江戸城本丸御殿跡地。この広大な敷地に徳川将軍が住む御殿が存在していたのだ

江戸城(東京都)の本丸御殿跡は、現在の皇居東御苑の広大な芝生広場あたり。大阪城(大阪府)天守前の広場も本丸御殿の跡ですし、御殿群の復元計画が持ち上がっている姫路城(兵庫県)天守南側の三の丸広場も……公園化されているやたらと広い空間は、御殿とその付帯施設の跡であることが多いのです。

現存御殿があるのは、川越城(埼玉県)・掛川城(静岡県)・二条城(京都)・高知城(高知県)の4城のみ。そう、天守よりも貴重な遺構です。そして近年、名古屋城(愛知県)、佐賀城(佐賀県)、熊本城(熊本県)など御殿の復元事業が相次いでいます。

名古屋城、本丸御殿
復元工事が行われている名古屋城本丸御殿。2018年6月には全面公開される

城の広大な敷地を埋め尽くした御殿が、今間違いなくアツい!皆さんもぜひ、御殿に注目して下さい。


執筆者/かみゆ
書籍や雑誌、ウェブ媒体の編集・執筆・制作を行う歴史コンテンツメーカー。

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