超入門! お城セミナー 超入門! お城セミナー 第9回 |【鑑賞】:江戸時代、お城に桜は咲いてなかったって本当?

初心者向けにお城の歴史・構造・鑑賞方法や、お城の用語など、ゼロからわかりやすく解説する「超入門!お城セミナー」。今回はお城に生えている木々について。お城で桜鑑賞をするようになったのは、いつからのことでしょうか?

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日本の美を代表するような一幕(写真は姫路城)。しかしこの光景は、明治以降に登場したもの

お城に桜が植えられたのはいつのこと?

城びとの特集「全国縦断!桜を愛でる花見の城」でも「桜の名城」を100城近く紹介しているように、全国には花見を楽しめる城が数多く存在します。登城道がピンクに染まり、天守を背景に桜が咲き誇る光景は、日本の〝美〟を代表するような一幕。外国人ならずとも、「オー! ビューティフル・ジャポン」と思わずつぶやいてしまいます。

〝ザ・日本〟ともいえるような桜と城の組み合わせですが、その歴史は実はそれほど長くありません。

城に桜の木が植えられるようになったのは、明治維新以降のこと。明治時代に入って政府は廃城令を発布し、城の管理は陸軍省に委ねられるか、学校や公園・神社へと姿を変えていきました。その過程で多くの城郭建造物が破却されることになったのですが、その結果、上物がなくなったことにより石垣や土塁の崩落が相次いだのです。崩落を防止するためには、根の張る木々を植樹すればよい。そこで選ばれたのが、手入れが簡単で見栄えのよい桜、特にソメイヨシノでした。

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石垣の保全のため、そして城を市民の憩いの場とするために、多くの城に桜が植樹されてきた(写真は新発田城

ソメイヨシノは江戸時代末期に、江戸の染井村(現・東京都豊島区)の造園師によって育成されはじめた品種で、明治中期ぐらいに爆発的に全国で植樹されるようになりました。城で見る桜にソメイヨシノが多いのは、明治以降になってから植樹されたためです。崩落防止のためだけでなく、日本三大桜名所に数えられる弘前城(青森県)や高遠城(長野県)のように、城の荒廃を嘆いた旧藩士によって桜が植樹された例もたくさんあります。城に桜が植えられ、城に咲く桜を愛でるようになったのは明治以降の光景なのです。

お城の中の植栽事情

それでは、江戸時代以前の城にはどのような木が生えていたのでしょうか。

山城でも近世城郭でも、現在の城とは比べものにならないほど樹木は少なかったのです。山城の場合は山頂から周囲を見渡せることが重要になるため、眺望を開くために木々を伐採しました。とはいえ、一山全部を丸坊主にしたわけではありません。木を切りすぎると山崩れの原因となり、また保水力を失って井戸が枯れることもあるため、必要に応じて最低限の伐採をしていたようです。

近世以降の居城では、城内の樹木はきちんと管理・植栽されていました。各藩が江戸幕府に提出した城絵図を見ると、城内に生えている木の種類と本数のみならず、その高さまで記されている史料も残っています。

植栽された木では、松が多かったようです。松は松明や松ヤニとして重宝されたほか、柵などの材料にもなり、手間がかからず地盤が固い場所でも育ちやすいという理由もありました。その他には竹や梅、銀杏や椎の木などが植樹されており、食糧の足しとなり、薬用として使われることもあったようです。いずれも、実用性の高い樹木が選ばれていたわけですね。

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イラスト左から、城内に多く生えていた松・竹・梅。松は松明や松ヤニ、柵や逆茂木(防御施設)の材料として、竹は鉄砲を防ぐ竹束や弓矢の素材として、梅は食用であり観賞用として利用された(イラスト=香川元太郎)

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熊本城の大銀杏(写真は震災前)。築城者の加藤清正が籠城戦に備えて植えたという伝承が残る

現在の城内には桜をはじめ多くの木々が生えていますが、張った根が石垣を破壊する要因になっており、また城そのものを鑑賞する妨げにもなってしまっています。城を保護するために、伸び放題になってしまっている樹木をどう伐採・管理していくのか、喫緊の課題といえるでしょう。


執筆・写真/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。最近の編集制作物に『完全詳解 山城ガイド』(学研プラス)、『エリア別だから流れがつながる世界史』(朝日新聞出版)、『教養として知っておきたい地政学』(ナツメ社)、『ゼロからわかるインド神話』(イースト・プレス)などがある。

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