逸話とゆかりの城で知る! 戦国武将 第12回【武田勝頼・中編】運命の決戦への道と勝頼の苦闘

戦国時代を彩った大名や武将の生涯と城との関わりを紹介する「逸話とゆかりの城で知る!戦国武将」。第12回は、武田勝頼の中編。遠江の戦いで武勇を見せつけた勝頼は、信長・家康と決着をつけるべく長篠へ向かいます。しかし待ち受けていたのは、想定外の大軍と大量の鉄砲。壊滅的敗北を喫した勝頼は、軍を建て直すことができるのか——?

▶前編の記事
第11回【武田勝頼・前編】なぜオレが?四男に転がり込んできた名門当主の座
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武田勝頼肖像
武田勝頼肖像(模写/東京大学史料編纂所蔵)

武田勝頼

武田勝頼、長篠城
長篠の戦いの契機となった長篠城。寒狭川・宇連川に守られた堅城である

家康の撃滅を狙うも長篠の戦いに惨敗

目的は徳川家康の本城、岡崎城攻略!?

お家騒動と父・信玄の急死により武田家当主となった武田勝頼。就任早々、東美濃・遠江で織田・徳川軍を圧倒した彼は、意気揚々と家康の本国・三河に攻め入ります。従来説では、奥平信昌の寝返りに激怒し信昌の籠もる長篠城(愛知県)を攻めるため出陣したとされていました。しかし、近年の研究では勝頼の目的は家康の本城・岡崎城(愛知県)攻略だった可能性が高まっています。

岡崎城は当時、家康の嫡男・信康が城主を務めていましたが、信康の部下である大賀(大岡)弥四郎が武田家に内通。岡崎城を乗っ取る手引きをすると申し出たのです。この大賀という人物は岡崎町奉行という重職を務めており、勝頼は信用できると判断。この時、家康の同盟相手・織田信長は畿内の反抗勢力と戦っており家康の救援は不可能。勝頼は徳川家を滅ぼす好機と考え岡崎城へ向かったのです。

岡崎城
徳川家の本拠地・岡崎城。城主の徳川信康がこのクーデターに関わっていたかは不明だが、後に彼は武田家内通の疑いで自刃に追い込まれている

岡崎攻略をあきらめ、奥三河の城攻略に臨む

ところが、このクーデターは発覚し、大賀は処刑されてしまいます。内通者を失ったことで岡崎攻略を諦めた勝頼は、奥三河の城を攻略して家康を戦場に引きずり出す作戦に変更。野田城二連木城(ともに愛知県)を落とし、家康が籠もる吉田城(愛知県)を攻撃します。そして城の守りが堅いとみるや、長篠城を包囲して猛攻を加え、家康が後詰めに出ざるを得ない状況をつくり出します。

徳川家康像
東岡崎駅前に立つ徳川家康像(岡崎市提供)。信玄・勝頼の侵攻に悩まされていたが、長篠の戦い後反攻を開始。奥三河を奪還し、遠江・駿河へ攻め込んでいく

単独で武田軍に対抗する兵力を持たない家康は信長に援軍を依頼。ちょうど畿内での戦いが一段落した信長は、自ら援軍に向かうことを決めました。信長の出馬を知った勝頼と重臣たちは、撤退か決戦かを話し合います。

勝頼は重臣たちの反対を押し切って決戦を決定。いまだ当主としての権力が安定しない彼は、信長・家康を一度に討ち果たすことで重臣たちも自分を認めるだろうと考えたのです。また、この時武田軍が織田・徳川軍の兵力を自分たちより少し多い程度と誤認していたことも彼を後押ししたと考えられています。

ところが、長篠城から設楽原へ移動した武田軍を待ち受けていたのは、約3万8000の大軍勢。約1万5000の武田軍の倍以上でした。それでも、重臣たちの奮戦により武田軍は敵陣へ迫りますが、大量投入された火縄銃の射撃により敗北。山県、馬場、内藤らが戦死し、勝頼自身も命からがら戦場を脱出しました。

長篠の戦い、才ノ神
勝頼が本陣を置いた才ノ神。織田・徳川軍の馬防柵からわずか500mのこの場所からは、戦場はどのように見えていたのだろうか

織田・徳川軍の反攻に悩む勝頼

長篠の敗戦により、武田家の軍事力は大きく低下していました。攻勢を強める徳川軍に対応できず、奥三河の武節城作手城(ともに愛知県)、遠江の諏訪原城(静岡県)が陥落。遠江の重要拠点である高天神城二俣城(ともに静岡県)も危機に瀕していました。美濃方面でも織田軍の攻撃により岩村城(岐阜県)が落城し、信玄以来の重臣・秋山虎繁が信長に処刑されるなど、武田軍は苦しい状況に追い込まれていました。

勝頼は急いで軍勢をかき集め、遠江に出陣し高天神城への救援・補給を行いますが、徳川軍を武田領から追い払うまでには至らず、程なくして二俣城も落城してしまうのでした。

この状況を打破するため、勝頼は軍の再強化を図るとともに、上杉、北条、大坂本願寺、毛利などと同盟・和睦を結んで織田・徳川に対抗しようとします。特に父以来の同盟相手・北条家を重視し、北条氏政の妹・桂林院と再婚しています(先妻・龍勝院はすでに死去)。

桂林院肖像
桂林院肖像(模写/東京大学史料編纂所蔵)。14歳という若さで勝頼に嫁いだ。甲相同盟破綻後も北条家に帰らず、武田滅亡まで勝頼と連れ添ったことから、政略結婚ではあるが仲睦まじかったことがうかがえる

ところが、外交関係が安定したのも束の間、同盟相手である上杉謙信の訃報が武田家に届きます。父・信玄の宿敵だった男の死は、勝頼と武田家の運命に思わぬ影を落とすことになるのです。

ゆかりの城

武田勝頼の城と攻めた城

【支城】諏訪原城(静岡県)
高天神城への補給拠点として勝頼が築いた。長篠の戦い後、徳川家康に攻略され、高天神城の攻略拠点となる。巨大な丸馬出が特徴だが、これは徳川軍が改修した際に造られたものである可能性が高い。

諏訪原城、馬出
二の曲輪大手の巨大馬出

【支城】岩村城(岐阜県)
元は遠山氏の城だったが、重臣・秋山虎繁が攻略し女城主だったおつやの方(信長の叔母)を妻とした。東美濃支配の拠点だったが、長篠の戦い後に落城。叔母の裏切りに激怒した信長によって、虎繁とおつやは磔にされたという。

岩村城
岩村城は江戸時代に石垣の城へ改修され、現在も見事な石垣を見ることができる

【攻めた城】長篠城(愛知県)
宇連川・寒狭川に建てられた堅城。奥三河の要衝として徳川・武田軍の間で争奪された。長篠の戦いで激しく損傷したため、戦後すぐに廃城となる。宅地化や鉄道敷設により多くの遺構が失われているが、本丸や野牛曲輪などが良好に残る。

長篠城
本丸跡に立つ城址碑

▶後編
第13回【武田勝頼・後編】追いつめられる勝頼と名門滅亡の時

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執筆・写真/かみゆ歴史編集部(小関裕香子)
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。戦国時代の出来事を地方別に紹介・解説する『地域別×武将だからおもしろい 戦国史』(朝日新聞出版)や、『あやしい天守閣 ベスト100城+α』(イカロス出版)、『キーパーソンと時代の流れで一気にわかる 鎌倉・室町時代』が好評発売中!

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