【北陸・東海編】必見のお城をピックアップ!日本100名城・続日本100名城の見どころガイド

公益財団法人日本城郭協会では、日本を代表する文化遺産であり地域の歴史的シンボルでもある城郭・城跡をより広く知ってもらうことを目的として、各都道府県から1~数城ずつ「日本100名城」「続日本100名城」を選定しています。いわば100名城は「見ごたえあり」というお墨付きのようなもので、これからお城めぐりを始めたい方にぜひオススメ! とはいえ「200城もあると選べない」「地元の近くにどんな100名城があるか知りたい」という方も多いはず。そこで城びとが、注目の日本100名城・続日本100名城をエリア別にご紹介! 今回は【北陸・東海編】です。

「日本100名城」「続日本100名城」についてもっと知りたい方はこちらの記事もチェック!

【石川県】城攻めの名手・上杉謙信も攻城に苦戦した「七尾城」(日本100名城)

標高約300mの石動山山系のふもとから山頂までを有し、日本五大山城の一つに数えられる巨大な山城・七尾城。七尾城主・畠山氏と上杉謙信による「七尾城の戦い」の舞台となり、城攻めの名手として知られる謙信が落城までに1年も要したという堅固なお城でした。

今は本丸の石垣と各曲輪の石垣が現存し、往時の姿や堅牢さを感じさせます。本丸の三段石垣、桜馬場門の五段石垣、低い石垣を段にして高石垣のように感じさせる調度丸と桜馬場の石垣など、さまざまなバリエーションを楽しむことができます。能登半島の七尾湾が一望できる城跡からの絶景もおすすめ!

七尾城、石垣
七尾城跡の石垣を眺めながら登山が楽しめる


【富山県】戦国武将・佐々成政と富山前田家の居城「富山城」(続日本100名城)

戦乱の渦中にあった中世は佐々成政(さっさなりまさ)が拠点とし、近世には前田家から分家した富山藩が本格的な整備を行い居城とした富山城。神通川の流れを城の防御に利用したため、水に浮いたように見えたことから「浮城(うきしろ)」とも呼ばれていました。

そんな富山城の見どころは、虎口を固める石垣と鉄門跡の鏡石。巨石が放つ威圧感は圧巻で、まさに権威を示すには効果絶大! 門越しに富山市郷土博物館が撮影できる“映えスポット”の千歳御門(埋門)も必見です。

富山城、富山市郷土博物館、鉄門
水堀越しに見る富山城のシンボル、富山市郷土博物館と鉄門(くろがねもん)跡


【福井県】笏谷石による石垣に注目!天下普請で築かれた壮大な城「福井城」(日本100名城)

柴田勝家の居城・北ノ庄城があった場所に徳川家康の次男・結城秀康が築き、福井藩68万石の拠点となった福井城。2km四方の広さを誇るこの大きな城は、幕府が諸大名に築城を命じた「天下普請」によって工事が行われました。現在、本丸の中には福井県警察本部庁舎や福井県庁舎などが建ち、たくさんの人が“城へ”出勤しています。

当時の姿を残すのは本丸の石垣と内堀のみですが、笏谷石を用いた立派な石垣は見ごたえ満点! 平成後半に復元され、今や福井城を代表する新たな見どころと言っても過言ではない御廊下橋と山里口御門も必見です。

福井城、本丸
本丸は堀幅30mの水堀と、高さ7mの石垣によって守られている

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【福井県】信長・秀吉・家康の三英傑が集った「佐柿国吉城」(続日本100名城)

北陸への勢力拡大を目指す織田信長が拠点とし、信長に従う木下藤吉郎(豊臣秀吉)や徳川家康も入城した佐柿国吉城。約10年間も越前朝倉氏の攻撃を耐え抜いた「難攻不落の城」としての面影が、現存する虎口や堀切からうかがうことができます。

佐柿国吉城の見どころは、豊臣政権下の戦国時代末期、京極氏が城主となった江戸初期、さらに廃城後の江戸時代という3つの時期の石垣を堪能できること。さらに、古い町並みや鉤(かぎ)状に折れた道が残っている旧丹後街道をたどれば、佐柿国吉城を目指した信長の気分になれるかも!?

佐柿国吉城、居館跡
城主居館跡最下段には、横長石を多用した木村期(豊臣時代)の石垣(写真右側)と、算木積みを用いた京極期(江戸時代初期)の張出石垣(写真左側)が見られる

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【岐阜県】織豊系城郭の石垣が良好に残る「美濃金山城」(続日本100名城)

中山道の要衝にそびえ、織田信長の側近を務めた森蘭丸が幼少期を過ごした美濃金山城。織田信長や豊臣秀吉の建築技法の影響を受けた「織豊系城郭」の中でも、石垣・瓦・建物礎石が残る好例として国指定史跡に指定されています。

登城道は大きく分けて大手道と搦手道の2つありますが、大手門や三の丸、二の丸を経て本丸へと至る大手道がおすすめ。登るにつれて石垣の量が増え、また虎口が連続して待ち受けているので、攻め手気分が盛り上がる! 搦手道側の麓に広がる、高さ約6m、長さ約40mもの野面積の石垣も必見です。

美濃金山城、石垣
搦手側麓に築かれた迫力ある野面積の石垣。美濃金山城と同時期に築かれたと考えられている

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【静岡県】武田氏と徳川氏の激戦を通じて進化した「高天神城」(続日本100名城)

三方が崖に囲まれ要害の地に築かれた高天神城は、「高天神を制するものは遠州を制す」とも称された難攻不落の城。戦国時代に武田信玄・勝頼親子と徳川家康が奪い合った数々の攻防でも有名です。

そんな高天神城の特徴は、二つの曲輪(くるわ)が補完し合って一つの城として機能する「一城別郭」と呼ばれる構造。お城めぐりの起点となる東峰の追手門から本丸へ登城した後、勝頼が拡張した曲輪が見られる西峰まで足を延ばせば、「一城別郭」の構造がよく分かります。

高天神城
高天神城は鶴が羽を広げたような鶴翁山に築かれ、別名「鶴舞城」(がくぶじょう)とよばれた

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【静岡県】遠江と駿河の国境に築かれた、武田と徳川のハイブリッド城「諏訪原城」(続日本100名城)

武田勝頼が徳川氏の領土への侵攻を図って築いた諏訪原城。長篠の合戦に勝利した徳川氏が奪取し改修しましたが、武田氏が滅亡した後に廃城。城としての役割はわずか20年程度だったとか。

それでもお城としての見ごたえは抜群! 城内には防衛力強化のため7カ所の丸馬出が設けられ、なかでも「二の曲輪中馬出」は諏訪原城のシンボルとなっているほど圧巻です。ほかにも武田氏と徳川氏の2期の遺構を確認できる場所が随所にあるので、ぜひ城内全域を歩いてみましょう。実際に扉を開け閉めすることで“戦国の知恵”を実感できる薬医門(2017年に復元)も必見です。

諏訪原城、丸馬出
二の曲輪中馬出は諏訪原城のシンボルのような存在! もし自分が足軽ならば、この虎口は絶対に突破できないだろう

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【愛知県】こだわりぬいた現存天守のデザインに注目!「犬山城」(日本100名城)

織田信長の叔父・信康が築城した犬山城、その見どころといえば何と言っても、全国に12城しかない現存天守! 江戸時代に現在の姿に改良したとされています。望楼型の建物は豪華絢爛とはいきませんが、優美さが際立つ白漆喰、廻縁の下の唐破風、飾りのための華頭窓など、よく観察するとこだわりのデザイン性が十分うかがえます!

天守から絶景を望む際にぜひ意識して見つけてほしいのが、肉眼で確認できる周囲のお城。ほかのお城とバチバチと相対する緊張感は、さながら大名気分です。また、天守の廻縁を歩く時は、不思議な形をした魔除けの瓦にもご注目ください。

犬山城
オススメの訪問時期は春。桜の時期の犬山城は特別な美しさがある

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執筆/城びと編集部
写真/yotusiro(七尾城)、藪内成基(佐柿国吉城、美濃金山城、高天神城)、いなもと かおり(富山城、福井城、諏訪原城、犬山城)