理文先生のお城がっこう 城歩き編 第45回 破風の間と懸魚(げぎょ)

加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」の城歩き編。今回のテーマは、天守の屋根を彩る破風(はふ)の飾りの種類について、全国のお城を例に見ていきましょう。また、破風の内部には「破風の間」と呼ばれる部屋がありました。この部屋の構造や、どんな目的で造られたのかも考えてみましょう。





前回は、天守や櫓(やぐら)を飾(かざ)る様々な破風(はふ)についての学習をしました。今回は、屋根の破風の中央および左右に下げて、棟木(むなぎ)(母屋(おもや)や桁と平行に取りつけられる屋根の一番高い位置にある部材です)(けた)(柱の上に、棟木と平行方向に横に渡(わた)して、建物の上からの荷重を支(ささ)える部材のことです)の先端(せんたん)を隠(かく)す装飾板(そうしょくばん)である「懸魚(げぎょ)」などの破風内の飾りの種類についてまとめておきたいと思います。

破風の周囲(しゅうい)には、飾りのためにいろいろな付属品(ふぞくひん)が付いていました。また、屋根を飾る破風のうち、内部に狭(せま)い部屋を設(もう)ける例があることについて考えてみたいと思います。千鳥(ちどり)破風や入母屋(いりもや)破風などの内側に設けられた部屋で「破風の間(ま)」と呼(よ)ばれます。

姫路城大天守、破風
姫路城大天守を飾る様々な破風。入母屋破風も千鳥破風も軒唐破風なども見られます

破風の飾り

破風は、破風板(破風の端部(たんぶ)の屋根と壁(かべ)の間にある板材のことです)妻壁(つまかべ)(三角の外壁(がいへき)の部分です)とから構成(こうせい)され、破風板の(おが)(左右の破風板が合わさる頂部(ちょうぶ)のことです)には、懸魚という飾りをつけていました。

古い時期の天守である姫路(ひめじ)(兵庫県姫路市)や広島城(広島県広島市)などは、妻壁から外側に軒(のき)が突(つ)き出し破風板と離(はな)れていました。時代が下ると、破風板と妻壁が密着(みっちゃく)するようになり、これが一般化(いっぱんか)していきます。密着するようになったのは、類焼を防(ふせ)ぐための工夫でした。

松江城、入母屋破風
松江城の入母屋破風。妻壁から外側に軒が突き出し破風板と離れています。また、破風板も懸魚も塗籠られていません

高知城、千鳥破風
高知城の千鳥破風。破風板と妻壁は密着し、妻壁は、防火のために塗籠られました

妻壁は、防火(ぼうか)のために塗籠(ぬりごめ)られましたが、丸岡城(福井県坂井市)や松江(まつえ)(島根県松江市)のように塗籠としない古式な天守も残されています。また、松本城(長野県松本市)天守のように書院造(しょいんづくり)風に木連格子(きづれごうし)(縦横(たてよこ)等間隔(とうかんかく)で組まれた格子のことで、狐(きつね)格子とも言います。通常の城郭(じょうかく)建築(けんちく)では防火性が低いため天守ではあまり採用されません)を採用(さいよう)した例もあります。和歌山城(和歌山県和歌山市)天守のように、破風板から妻壁、懸魚まですべて銅板張(どういたばりとすることもありました。

懸魚は、主に神社仏閣(ぶっかく)の屋根に取り付けられた妻飾りのことです。本来は、火災(かさい)を嫌(きら)う意味で、水に関係の深い魚形から出たといわれますが、日本には魚形のものはありません。天守に使用されたのは、梅鉢(うめばち)懸魚、蕪(かぶら)懸魚、三花蕪(みつばなかぶら)懸魚の3種類です。

松本城天守、妻壁、和歌山城天守、破風
松本城天守の木連格子の妻壁(左)と、和歌山城天守の銅板張りの破風(右)

梅鉢懸魚
梅の花を図形化したもので、五角形または六角形をしています。小さく簡素(かんそ)なもので、小さな千鳥破風や切妻(きりづま)破風などに取り付けられます。彦根(ひこね)(滋賀県彦根市)天守の切妻破風や入母屋破風は梅鉢懸魚です。

蕪懸魚
野菜の蕪(かぶ)に似(に)ているのでこの名前が付いたとされます。胴体(どうたい)が細くくびれていて、渦巻(うずま)きの形状が特徴(とくちょう)です。松本城、高知城(高知県高知市)両天守の千鳥破風は蕪懸魚です。

三花蕪懸魚
蕪懸魚の変形で、3個(こ)組み合わせて1つの形にしたものです。入母屋破風や大きな千鳥破風に取り付けられ、両端から鰭(ひれ)と呼ばれる若葉(わかば)や波をかたどった飾りがついています。姫路城天守や乾(いぬい)小天守で見ることができます。

どの懸魚を使用するかは、破風の大きさによって決められました。小さな破風には梅鉢懸魚を、通常の破風には蕪懸魚を、大型の入母屋破風などには三花蕪懸魚を付けました。また、唐破風には兎毛通(うのけどおし)と呼ばれる厚(あつ)くて横長の独特(どくとく)の懸魚が用いられました。

彦根城、梅鉢懸魚、弘前城、蕪懸魚
彦根城の梅鉢懸魚(左)と弘前(ひろさき)城の蕪懸魚(右)

姫路城、三花蕪懸魚、宇和島城、兎毛通
姫路城の三花蕪懸魚(左)と宇和島城の兎毛通(右)。兎毛通は塗籠となる例が多く認められますが、宇和島城は素木(しらき)のままになっています


「破風の間」を造る

「破風の間」は、入母屋破風の屋根裏(うら)を活用するものと、わざわざ千鳥破風を設けてその中に造(つく)るものとがあります。破風の中でも極めて大きな入母屋破風には、広い破風の間を置くことができました。屋根の裏に入れるようにすれば、破風の間は簡単に作ることができます。

姫路城、破風の間
姫路城4階の破風の間。姫路城のような巨大な破風になると、窓を設け、その左右に狭間を切るなど、余裕のある造りが可能でした

破風の間の広さは、破風の大きさによりまちまちで、広いものでは約12畳(じょう)もあり、狭ければ2畳程度(ていど)でしかありません。小さな破風の間だと、入るのもやっとで、まさに屋根裏部屋だと実感できます。当然、天井もなく、三角形の屋根裏がそのまま見えていました。天守や櫓本体からは、階段(かいだん)を降(お)りて入ることが多く、外側の壁面に明(あか)り取りの窓(まど)を設けていますが、窓が無く鉄砲(てっぽう)を撃(う)つための狭間(さま)のみ切られた、薄(うす)暗い間となることも少なくありませんでした。

破風の間は、敵を攻撃(こうげき)するためのスペースですので、必ず鉄砲狭間が切られました。破風の間は、屋根の端(はし)に位置し、すぐ下の屋根の軒先近くまで突き出ているため、屋根が邪魔(じゃま)をして見えない死角が少なく、敵(てき)と向かい合う最前線の陣地(じんち)の役目を担(にな)っていたのです。

伊予松山城、破風の間
伊予松山城の破風の間。狭間を2カ所に設けただけの極めて狭い場所でした

松本城、破風の間
松本城の木連格子の部分に設けられた破風の間です。こちらも非常に狭い部屋になります

破風の間は、入母屋破風の屋根裏を利用すれば、広いスペースが確保(かくほ)できました。しかし、入母屋破風は、最上階を除(のぞ)けば望楼(ぼうろう)型天守にしかなく、最も多い岡山城(岡山県岡山市)などでも6ヵ所だけしかありませんでした。層塔(そうとう)型天守にいたっては、1つもないことも少なくありません。そこで、千鳥破風を設け、そこに破風の間を設けたのです。

千鳥破風は、屋根の上に載(の)せた三角形の出窓(でまど)のことで装飾のために設けられた破風です。制約(せいやく)が少なく、どこにでも造ることができたため、数多く設けることも可能でした。大型の名古屋城(愛知県名古屋市)天守には、10個の千鳥破風が配されていました。千鳥破風の下の屋根面に穴(あな)を開けて、そこに床板(ゆかいた)を貼(は)って、屋根の中に小部屋を設ければよいわけです。そして壁に鉄砲狭間を切れば、破風の間が完成します。

宇和島城天守、千鳥破風
宇和島城天守に見られる3ヵ所の千鳥破風はいずれも飾りで、内部に破風の間は設けられていませんでした。太平の世には不要だったことが解ります

現存する伊予松山城(愛媛県松山市)などの破風の間を見ると、非常に狭く、狭間は低い場所に位置しています。立ち上がるのは無理な広さですので、座(すわ)ったままで鉄砲を撃てるようにしたのでしょう。こうした破風の間は、豊臣(とよとみ)氏滅亡(めつぼう)前に築(きず)かれた天守に、数多く設けられていました。元和(げんわ)元年(1615)の大坂夏の陣以後、世の中が太平になると、城は軍事的な側面が省かれていきます。千鳥破風も単なる装飾となり、内部に破風の間を造らないようになります。宇和島(うわじま)(愛媛県宇和島市)天守などは、完全に形骸化(けいがいか)した飾りのみの千鳥破風になっています。

今日ならったお城の用語(※は再掲)

※木連格子(きづれごうし)
縦横に組んだ格子の裏に板を張(は)ったもので、狐格子(きつねごうし)とも言います。屋根の破風の下などにつける装飾の一種ですが、防火性に劣(おと)るため、城郭建築に用いられることは多くはありませんでした。                                                

※兎毛通(うのけどうし)
唐破風の中央部につく懸魚のことを言います。厚くて平らで横長の独特の形をしています。

※望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)
入母屋造(いりもやづくり)(四方に屋根がある建物です)の建物(1階または2階建て)の屋根の上に、上階(望楼部。一階から三階建て)を載せた形式の天守です。下の階が不整形でも、望楼部(物見(ものみ))を載せることができる古い形式の天守です。

※層塔型天守(そうとうがたてんしゅ)
1階から最上階まで、上の階を下の階より規則(きそく)的に小さくし、1階から順番に積み上げて造った天守のことです。関ヶ原合戦後に登場する新式の天守形式です。

※狭間(さま)
天守や櫓の壁面、塀(へい)などに開けてある防御(ぼうぎょ)用の穴や窓のことです。内側から外側に向かって円形・三角形・正角形・長方形などの穴が開けられており、戦闘(せんとう)の際(さい)はそこから弓矢や鉄砲などで攻撃することができました。銃眼(じゅうがん)とも言います。

次回は「窓のつけ方」です。

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加藤理文(かとうまさふみ)先生
加藤理文先生
公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。

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