【まとめ】光秀の人生と戦いの舞台を歩く

本能寺の変で織田信長を討った武将として知られ、2020年・2021年放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公として描かれた明智光秀。そのミステリアスな生涯や参戦した合戦の軌跡をたどり、出来事の背景や舞台となった城を紹介していきます。

光秀の生涯におけるターニングポイントとなった城は?

一乗谷城、武家屋敷
一乗谷城の復元武家屋敷。光秀もこのどこかに住んでいたのだろうか?

明智光秀は織田信長に仕えることで頭角を現した武将として知られていますが、信長に仕えるまでの前半生は何をしていたのか詳しく分かっていません。出生地はどこなのか? どうやって信長と出会い、配下となったのでしょうか?

信長の忠臣として活躍した光秀は、信長から恩賞として与えられた近江滋賀の地に坂本城(滋賀県)を築き、信長配下で最初の城持ち大名となりました。さらに光秀は、数々の城を戦略的に活用していたのです。

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「光秀の人生と戦いの舞台を歩く  第1回|謎多き光秀の人生とかかわりの深い城たち【光秀の生涯】」

光秀が誕生したのはどこの城なのか?

明智長山城
光秀出生地の候補地である岐阜県可児市の明智(長山)城からの眺望

光秀の前半生にまつわる謎のうち、お城好きとして特に興味深いのは「どの城で生まれたか」ということ。光秀は美濃の明智荘の明智城の出身と言われていますが、実はこの明智城にはいくつかの候補があるのです。

そんな光秀が史書に初めて登場するのが、永禄9年(1566)10月ごろ、足利将軍家を支持する勢力の要所だった田中城(滋賀県)での籠城戦。この時期の光秀は越前にいるはずなのに、なぜ近江の城に籠城したのでしょう?

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「光秀の人生と戦いの舞台を歩く 第2回|光秀の出生地と若き日の活躍【明智城・田中城など】」

信長が光秀に託した城に隠された意味とは?

宇佐山城
宇佐山城内に残る石垣。坂本城築城後に廃城となったため、遺構は光秀時代のものである可能性が高いと考えられている

信長に仕官していよいよ歴史の表舞台に出た光秀。彼が出世するきっかけとなったのが、朝倉攻めに臨む信長軍が浅井長政の裏切りによって撤退を余儀なくされた「金ヶ崎の退き口」でした。

信長の信頼を得た光秀は、交通の要衝に建つ宇佐山城(滋賀県)の城番(城の管理人)を任されます。その理由は、信長と敵対する比叡山延暦寺の焼き討ちとも大きく関係していたようです。

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「光秀の人生と戦いの舞台を歩く 第3回|信長家臣時代の光秀と居城【宇佐山城・坂本城など】」

丹波攻めで光秀を苦しめた城とは?

黒井城
赤井忠家・荻野直正が籠もり、長年にわたって光秀を苦しめた黒井城

織田家で順調に出世を重ねる光秀は、天正3年(1575)、信長の天下統一事業の一つである丹波攻めの総指揮官に任じられます。信長に抵抗を続ける赤井家を倒すべく、本拠地の黒井城(兵庫県)を包囲した光秀ですが、味方の波多野秀治に裏切られ形勢不利に!

その敗戦から2年後。再び信長の命を受けて丹波攻めに向かった光秀は、巧みな戦略を駆使してまずは秀治の本拠地・八上城(兵庫県)を落とし、満を持して黒井城への攻撃を再開したのです。

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「光秀の人生と戦いの舞台を歩く 第4回|光秀に抗った丹波国人たちの城【黒井城・八上城など】」

丹波攻めや支配の拠点として複数の城を築城

福知山城
福知山城は江戸時代の城主によって改修の手が加わっているが、天守台など光秀時代とされる遺構も残る

2度目の丹波攻めにおける光秀の巧みな戦略──。それは、平定の足掛かりとなる拠点の城を築き、さらに平定後も視野に入れて複数の城を築いたことです。

まず京からの足掛かりとして亀山城(京都府)を築いた光秀は、黒井城の近隣に位置する横山城(別名・龍ヶ城)を攻め落として改修し、福知山城(京都府)を築城。さらに丹波を平定した後も、街道にアクセスできる要衝の地に巨大な山城を築き、領国経営を盤石としたのです。

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「光秀の人生と戦いの舞台を歩く 第5回|丹波攻略のため築かれた城たち【亀山城・福知山城・周山城】」

本能寺の変から山崎合戦へ──光秀が最後に戦った城は?

勝龍寺城
勝龍寺城は、かつて光秀の娘・たまと細川忠興が婚礼をあげた城。戦場を離脱して逃げ込んだ光秀は、この城で何を想ったのだろうか

そしてついに光秀の人生におけるクライマックスと言うべき、本能寺の変が勃発。信長と嫡男の信忠を討った光秀は、自分こそが新たな“天下人”であることを知らしめるため、信長の居城である安土城(滋賀県)を占拠しました。

しかし本能寺の変からわずか11日後、中国地方を攻略中の豊臣秀吉が不眠不休の進軍で光秀に迫り、山崎の戦いが開戦。天王山の攻防に競り負けた光秀は、進軍の拠点としていた勝龍寺(しょうりゅうじ)城(京都府)へと退却し…。

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「光秀の人生と戦いの舞台を歩く 第6回|本能寺の変と光秀の最期【安土城・山崎城・勝龍寺城】」

執筆:城びと編集部