2022/01/14
理文先生のお城がっこう 城歩き編 第44回 天守の象徴 破風
加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」の城歩き編。今回のテーマは、「破風(はふ)」と呼ばれる天守の屋根の端の部分について。一見するとお城の屋根はどこも同じ造りのようですが、よく見ると端の部分の形が異なります。その主な種類について見ていきましょう。
屋根の端(はし)の部分の形を見ると、実にさまざまな形をしていることに気付きます。この屋根の端の部分を「破風(はふ)」と呼(よ)びます。天守(てんしゅ)は、城の中で一番高い建物ですから、他の建物に比(くら)べてみると、たくさんの端が存在(そんざい)していました。そのため、端に設(もう)けられた破風が天守の象徴(しょうちょう)となったのです。
城に天守が築(きず)かれるまでは、高い建物と言えば寺に建てられていた「塔(とう)」でした。五重塔や三重塔が唯一(ゆいいつ)の高層建築(こうそうけんちく)でした。武家政権(せいけん)の最高権力者となった室町3代将軍(しょうぐん)・足利義満(あしかがよしみつ)は、「北山大塔(きたやまだいとう)」と呼ばれる七重塔を築き権力を見せつけました。この塔は、約110mと我(わ)が国で最も高い木造(もくぞう)建築物でしたが、その屋根に破風はまったくありませんでした。
織田信長の登場によって、「天主(天守)」が出現(しゅつげん)します。巨大な入母屋破風(いりもやはふ)を持つ建物の上に、最上階の屋根の両端に入母屋破風を持つその姿(すがた)は、それまでの我が国の人々が見たこともない姿をしていたのです。
姫路城大天守に見る様々な破風
破風を付けた建物
望楼型(ぼうろうがた)と呼ばれる入母屋建物の上に望楼を載(の)せた初めの時期の天守は、それまでの日本建築には無い屋根の形を生み出しました。屋根の形の変化がもたらす美しさは、権力の象徴として建てた天守に相応(ふさわ)しいものとなったのです。
織豊(しょくほう)政権の誕生(たんじょう)と共に、破風は天守や重要な櫓(やぐら)を選んで設けられました。姫路(ひめじ)城(兵庫県姫路市)や彦根(ひこね)城(滋賀県彦根市)など、慶長(けいちょう)の築城ラッシュと呼ばれた時代に築かれた天守は、いずれも様々な破風で飾(かざ)られることになったのです。
天守の中で最上階以外に破風が無いのは、層塔型(そうとうがた)天守として築かれた丹波亀山(たんばかめやま)城(京都府亀岡市)、津山(つやま)城(岡山県津山市)、小倉(こくら)城(福岡県北九州市)の3城だけでした。その小倉城も、戦後復興(ふっこう)された時に、破風が無いのは天守らしくないとの意見があり、多くの破風が付設(ふせつ)されたのです。破風が天守の象徴だったことを示(しめ)す出来事です。
彦根城天守のさまざまな破風
小倉城復興天守。層塔型天守を望楼型天守とし、入母屋破風・軒唐破風を付設し、外観意匠を派手に飾る姿にしました
破風の種類
破風は大きく分けると次の4種類になります。
入母屋破風
最も一般(いっぱん)に良く知られている破風が「入母屋破風」で、入母屋造(づくり)の屋根の両端には必ず付いている三角形の破風です。この破風は、天守の最上階には必ず付くことになります。初めの時期に建てられた望楼型天守には、その構造上(こうぞうじょう)一重目か二重目に入母屋破風が付いていました。従(したが)って、望楼型天守には、必ず入母屋破風が4個付いていたことになります。
千鳥破風(ちどりはふ)
入母屋破風と同様に三角形をした破風です。屋根の端部(たんぶ)ではなく、屋根の上に乗せた三角形の出窓(でまど)のことで装飾(そうしょく)のために設けられた破風です。制約(せいやく)が少なく、どこにでも造ることができたため、外部から自然光を取り入れる必要がある時などは、非常(ひじょう)に役立つ破風でした。
入母屋破風と千鳥破風の区別の仕方ですが、破風の上にある屋根が、別の方向の屋根と交差するのが千鳥破風で、軒先(のきさき)まで連続するものが入母屋破風になります。
入母屋破風と千鳥破風の違(ちが)い
松本城天守の破風
切妻破風(きりづまはふ)
切妻造の建物の屋根に必ずできる破風で、これも三角形をしています。三角形の屋根の端を軒先まで出っ張(ぱ)らせたもので、一階に設けられた出窓の上に付けることが多く見られます。
弘前(ひろさき)城天守の出窓上に設けられた切妻破風
唐破風(からはふ)
最も装飾性の高い破風が唐破風で、半円形に持ち上がった形が特徴(とくちょう)です。軒先の一部を丸く持ち上げた軒唐破風(のきからはふ)と、屋根全体を丸く作った向唐破風(むこうからはふ)の2種類があります。もともとは、社寺(しゃじ)建築に用いられた装飾性の高い破風でした。
その格調の高さから、軒唐破風は最上階に付けられる例が多く見られます。姫路城や宇和島(うわじま)城(愛媛県宇和島市)に見られます。向唐破風は、千鳥破風と同じで、屋根の上に置くことが出来る便利な破風でした。
宇和島城の破風は、完全に装飾で、千鳥破風には破風の間も存在しません
破風を多く付けるために
姫路城や名古屋城(愛知県名古屋市)のように特別に大きな天守は、入母屋破風や千鳥破風を横に2つ並(なら)べることがありました。2つ並べることで、外観に大きな変化を持たせることができたのです。入母屋破風を横に2つ並べると比翼(ひよく)入母屋破風、千鳥破風を2つ並べると比翼千鳥破風と言います。
名古屋城の破風。巨大天守の名古屋城には、実に多くの破風が設けられました
これとは別に、屋根の上に出窓を配置すると、その上に屋根を載せなくてはなりません。屋根を載せると必然的に入母屋破風か切妻破風が付くことになります。松江(まつえ)城(島根県松江市)や会津若松(あいづわかまつ)城(福島県会津若松市)は入母屋破風が、弘前城(青森県弘前市)では切妻破風が採用(さいよう)されています。これによって、外観に大きな変化を持たせたのです。
松江城天守の巨大な入母屋破風。現在の天守は江戸時代に大きな改造(かいぞう)を受けており、かつては千鳥破風が存在したことが、絵図や修理から確実視(かくじつし)されています
天守には構造上必要な破風と、装飾のための破風があり、入母屋破風、切妻破風、千鳥破風、唐破風の全部で4種類の破風がありました。その違いが理解(りかい)できましたか?
天守を見る時の注目ポイントの一つが、破風なのです。
今日ならったお城の用語(※は再掲)
※破風(はふ)
切妻造(きりづまづくり)や入母屋造(いりもやづくり)の屋根の妻側(つまがわ)に見られる端部のことです。破風には、入母屋破風、切妻破風、千鳥(ちどり)破風、唐(から)破風などがあります。
※天守(てんしゅ)
近世大名の居城(きょじょう)の中心建物で、通常最大規模(きぼ)、高さを持つ建物のことです。安土城天主のみ「天主」と命名したため「天主」と表記しますが、他は「天守」が用いられます。
※望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)
入母屋造(いりもやづくり)(四方に屋根がある建物です)の建物(一階または二階建て)の屋根の上に、上階(望楼部)(一階から三階建て)を載せた形式の天守です。下の階が不整形でも、望楼(ぼうろう)部(物見)を載せることができる古い形式の天守です。
※層塔型天守(そうとうがたてんしゅ)
一階から最上階まで、上の階を下の階より規則的(きそくてき)に小さくし、一階から順番に積み上げて造った天守のことです。関ヶ原合戦後に登場する新式の天守形式です。
※出窓(でまど)
建物から突出するように設けられた窓です。死角を補(おぎな)ったり、横矢(よこや)を掛(か)けたりする目的と共に、下部を石落(いしおと)しとするケースが多く見られます。
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加藤理文(かとうまさふみ)先生
公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。