2021/07/12
超入門! お城セミナー 第116回【鑑賞】もうひとつの江戸城!? 東京中心地に残る「見附」を歩く
初心者向けにお城の歴史・構造・鑑賞方法を、ゼロからわかりやすく解説する「超入門! お城セミナー」。かつて東京には徳川将軍家の江戸城がありましたが、その広さは現在皇居があるエリアにとどまらず、その外側にまで広がっていました。そこで、今回は都内に残る江戸城の遺構である「見附」をご紹介! 隠れた東京の名所を散策してみませんか?
飯田橋駅のそばに残る牛込門の石垣。東京の中心地には、多くの見附跡の遺構が残る
「見附」とは江戸城惣構を守る城門のこと
世界に冠たる都市TOKYOの城というと、真っ先に江戸城が思い浮かぶでしょう。江戸城が江戸幕府の政庁として大改修された日本一の城郭であり、明治維新によって天皇が京の御所から江戸城へと移り、今日に続く皇居となったのはこれまでの本連載で解説してきたとおりです。
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これまでの連載でも触れてきましたが、江戸城最大の特徴は、内濠の内側である「内郭」と、その外側に大きく広がる「外郭」の二段構えということ。内郭がいわゆる城郭の部分なのに対して、外濠で囲まれた外郭は城下町となります。「城下町なら城じゃないじゃん」と疑問を感じる人もいるかもしれませんが、外濠が城下町全体をぐるりと囲む防御施設は「総構(そうがまえ)」と呼ばれ、江戸城以外の城でも数例見られます。例えば、北条氏の小田原城(神奈川県)や豊臣秀吉の大坂城(大阪府)など。その中でも江戸城は、最大かつ最強の総構を持っていたのです。
江戸城を守るための濠には、当然ですがそこを通るための橋が架けられ、橋を渡ると城門が設置されていました。この城門は「見附(みつけ/見付とも)」と呼ばれました。見附と聞いて、「赤坂見附駅」を連想された方もいるでしょう。そう、赤坂見附は江戸時代に、外濠に架かる城門、「赤坂見附」があった場所なのです。
江戸城の外濠(一部内濠も)に構えられていた見附(城門)。外濠は「の」の字を描いており、それが総構となって城と城下町を守った(MAP制作:ウエイド)
「見附」って、城郭用語としては聞き慣れないですよね。城門には通行人を見張る番兵が置かれており、見附とはそもそも番兵が駐屯する番所を指したようです。それがいつからか城門(虎口)全体が見附と認識されるようになったようです。江戸城以外で城門を見附と呼ぶ例はまれですが、宿場町に設置された番所や土塁が「見附(見付)」と呼ばれることはありました。宿場町の江戸側の入り口が「江戸方見附」、京都・大坂側が「上方見附」なんて呼称されたようです。(ちなみに東海道の宿場町で「見附宿」がありますが、これは番所の見附とは関係なく、京都から下ってきた旅人がはじめて富士山を“見つけ”ることからついた名前とか)
江戸城の濠に設置された見附は、そのほとんどが高い防御力を誇る「枡形虎口」でした。枡形虎口は城びとの読者であればご存知かと思いますが、簡単にご説明を。「枡形」とは、居酒屋で日本酒を注文すると出てくるあの枡のように四角く囲まれた空間で、通常の枡は木製ですが、虎口の枡形は石垣か土塁で構成されています。もちろん、四辺を囲んでしまうと誰も通れないわけで、2つの門を設けることで通行を可能にしていました。
枡形虎口の構造。突破することが困難な鉄壁の防御施設であり、近世城郭ではスタンダードな城門となった
枡形虎口の多くは、城外(濠)側に「二の門」と呼ばれる簡易な門が設置され、そこを通って右か左に向きを変え、「一の門」と呼ばれるでっかい櫓門の下を通って城内に入るという構造です。この鉄壁を誇る枡形虎口を総構となる外濠にも設置することで、江戸城の守りをより固めていたわけです。
往時の姿を留める見附跡を紹介
さて、江戸城の見附は「江戸城三十六見附」なんて呼ばれて、当時から名所になっていました。ただし、江戸城の城門は時代によって数が異なり(多いときは90あったという説も)、語呂よく「三十六」というキャッチコピーが付けられたようです。近代以降の都市開発とともに多くの見附が失われてしまいましたが、当時を偲ぶことができる見附跡をいくつか紹介しましょう。
【必見の見附跡①】牛込見附門
牛込門の一部を形成していた石垣。近年の整備で見やすくなり、観賞用のデッキが付いたのが嬉しい
整備後、JR飯田橋駅のホーム(新宿寄り)からも石垣が鑑賞できるようになった。夢中になりすぎて線路に落ちないよう注意
飯田橋駅西口の改札を出ると、すぐ左手に見えるのが牛込門跡の石垣です。車道の両サイドに残る石垣は外濠に面していた二の門の石垣であり、ちょうど車道中央あたりに門があったと考えられます。残念ながら枡形全体の石垣は残っていませんが、規模感は充分に感じられるでしょう。
「阿波守内」と刻印された珍しい石材が路上展示されているので見逃さないようにしましょう。蜂須賀家(阿波守)が石垣工事を行ったことを示すそうです。
【必見の見附跡②】四ツ谷見附門
四ツ谷駅そばに残る四ツ谷門跡の石垣。足早に通り過ぎるサラリーマンや学生たちが石垣に見向きもしないのが少し寂しい
JR四ツ谷駅のホームは外濠を利用しているため半地下駅となる
飯田橋駅から四ツ谷駅までは、外濠に沿ってJR中央線が走っており、遊歩道も設けられています。この遊歩道は総構の守りとなった土塁上に設置され、桜や松などの植樹が気持ちよく、外濠を一望することもできます。JR四ツ谷駅にあったのが四ツ谷門。四ツ谷駅の上を新宿通り(国道20号線)が通っていますが、江戸時代この道は甲州街道と呼ばれ、甲州街道の起点となった見附が四ツ谷門でした。麹町口の改札を出て階段を登ると、石垣の一角だけが残ります。
さて、四ツ谷駅は半地下となっていますが、それはかつての外濠を利用しているから。ホームから見上げると土塁の高さがよくわかります。あと、麹町口改札を出た場所には「外堀史跡展示広場」が設けられ、四ツ谷のみならず、近代以降に外濠がどう開発されてきたのかくわしく解説されていますので必見です。
【必見の見附跡③】喰違見附門
喰違門はその名のとおり、枡形ではなく喰い違いの構造。石垣ではなく土塁なのも特徴的
四ツ谷駅から外濠は南へと延びます。この土塁上も遊歩道になっており、南へ進むと左手には上智大学、右手には外濠を埋め立てた上智大学運動場が広がります。やがてホテルニューオータニが見えてきますが、その入り口近くに残るのが喰違門です。
見附の構造は枡形虎口だったという説明をしましたが、この見附だけはその名の通り喰い違い虎口。虎口を屈曲させることで敵の突撃を防ぐ構造であり、今も車道が喰い違いに沿って折れ曲がっています。なぜ、この見附だけ喰い違いなのか。その理由はじつはよくわかっていません。この見附が寛永13年(1636)に築かれたという記録もあり、ほかの見附はその後に枡形虎口へと改修されたのに対して、喰違門は古い時期の見附の構造を残しているということかもしれません。
【必見の見附跡④】赤坂見附門
外濠(弁慶濠)から赤坂門跡の高石垣を望む。ちなみに、石垣前面の弁慶濠は釣りのメッカでもある
観賞用デッキから見た高石垣。刻印石の様々なマークを間近に見ることができる
現在も見附の名前を冠する東京メトロ・赤坂見附駅。駅から徒歩5分程度、青山通り(国道246号線)沿いに見附跡の石垣が残ります。高さは10メートル程度あるでしょうか。まるで外濠と首都高の前に立ちはだかり、通せんぼをしているようです。(実際の首都高は石垣のすぐ脇を抜けてトンネルに入ります。運転しながらの鑑賞は危ないので絶対にしないように)
石垣のすぐそばには大型複合施設である東京ガーデンテラス紀尾井町が建ちますが、ビルの脇には石垣の真横まで抜けられる遊歩道が設置。石垣そばのデッキには説明板も設置され、刻印石や石材を割った矢穴を確認することができます。最近の都市開発は、少しずつですが歴史に優しくなっています。
【必見の見附跡⑤】一ツ橋見附門
高速道路の下にひっそりとたたずむ一ツ橋門跡の石垣
NHK大河ドラマ「青天を衝け」を毎週楽しみにしている人ならピンとくるでしょう。一ツ橋門は一橋(徳川)慶喜が当主を務めた徳川御三卿のひとつ、一橋家の屋敷跡近くに設けられていた見附です。現在の丸紅東京本社ビルからKKRホテル東京の一帯にあった一橋家屋敷跡は、残念ながら痕跡を何一つ残しません。
一ツ橋門も一見、遺構のようなものが何もないのですが、高速道路に覆われた日本橋川をよく見てみると、石垣の一部が確認できます。これは見附の櫓台跡とのこと。「ここに櫓台があったとすると、二の門はこの部分で、枡形はこのぐらいの規模だったのかな」、などとわずかな遺構から想像を膨らませてみるのも見附ウォーキングの楽しみ方かもしれません。
【必見の見附跡⑥】田安門
田安門の一の門(高麗門)を望む。日本武道館に訪れるさいに通るので見覚えのある人も多いのでは
枡形内から撮影。門はどちらも現存建造物で重要文化財指定
ここまで紹介してきたのはすべて外濠の見附でしたが、最後に内濠に設置された田安門を紹介させてください。田安門は、枡形虎口の石垣と門が完存し、その構造が最もよくわかる見附だからです。田安門と聞いて思い浮かばない人でも、九段下の駅を降りて、日本武道館に向かう途中で通る門というと思い出す人がいるのではないでしょうか。東京オリンピックの会場にもなる日本武道館は江戸城北の丸に位置されていますが、この北の丸に徳川御三卿のひとつである田安家の屋敷があり、そのため田安門と呼ばれました。
枡形内に足を踏み入れると、四方を石垣と城門に囲まれます。四方から鉄砲や弓矢で狙われるとしたら…ひとたまりもありませんね。これが枡形虎口の威力であり、怖さです。石垣の積み方にも注目しましょう。石垣は隙間なくぴったりと重なり合う切込接で積まれ、石材には「はつり」と呼ばれるノミで加工した化粧が施されています。さすが徳川御三卿という格式の高さを感じさせます。
今回は6つの見附跡を紹介しました。ほかにも石垣の一部が残されていたり、石碑だけが立っていたり、さまざまな状態の見附跡が、東京の中心部に点在しています。是非、見附ウォーキングを楽しんでください!
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執筆・写真/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。主な城関連の編集制作物に『日本の山城100名城』『超入門「山城」の見方・歩き方』(ともに洋泉社)、『よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書』『完全詳解 山城ガイド』(ともに学研プラス)、『戦国最強の城』(プレジデント社)、『カラー図解 城の攻め方・つくり方』(宝島社)、「廃城をゆく」シリーズ(イカロス出版)など。