2021/01/18
超入門! お城セミナー 第105回【鑑賞】なぜ山城には建物が残っていないの?
お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する城びとの連載「超入門! お城セミナー」。今回のテーマは山城の建物。頑張って山城歩きに挑戦してみたけど、城内にはまったく建物が残っていなくて「あれ…?」と拍子抜け…なんて経験ありませんか? 戦国時代の山城にはどんな建物が建っていたのか、なぜ現在見ることができないのかを解説します!
戦国時代の建物が推定復元されている荒砥城。戦国時代の山城には、天守のような恒常的な建物はなく、簡易的な物見櫓や掘立小屋が建っている程度だった
戦国山城の建物現存率は…0パーセント!?
「お城ブーム」といわれる近年、テレビ番組などでも城の特集が頻繁に企画されるようになりましたね。その影響もあり、姫路城(兵庫県)や二条城(京都府)、名古屋城(愛知県)、松本城(長野県)など以前から観光地として人気のある城はもちろんのこと、地方都市の近世城郭やその城下町にも、たくさんの新たな城ファンが訪れています。さらに今までは、城マニアと呼ばれるほど目の肥えたお城好きしかほとんど訪れることのなかった中世の山城にもスポットが当てられるようになってきました。
息をのむほど壮大な眺望や武将の戦略が体感できる巧みな縄張、戦国時代の息吹が感じられる遺構など、山城歩きでは様々な楽しみに出会えます。ところが山城初心者からよく聞かれる感想は、「なぜ天守や櫓などの建物が残っていないの?」「建物がないからただの山の中にしか見えず、どこがどうお城なのかわからない」というもの。
杉山城(埼玉県)は、技巧的な縄張が楽しめる上に比高差が小さく歩きやすい城として人気の山城。堀や馬出などの遺構もほぼ完全に残っているが、近世城郭に見られるような建物は一切見られない
確かに、お城のイメージといえば…天守、白壁、石垣、水堀、そして瓦屋根にシャチホコといったところが一般的。でも本来の山城にはこれらすべてがありません。備中松山城(岡山県)、高取城(奈良県)、竹田城(兵庫県)など、山の上にありながらこれらが見られる城も多いですが、これらは石造りの近世城郭に改修されてその遺構が残っているものです。さらに、備中松山城以外の山城の天守は、町のシンボルとして近代以降に建てられたもの。中世に軍事施設として築かれ、近世城郭に改修されることなく、そのままの姿で山中に残っている本来の山城には、現存建造物は皆無なのです。同じ「城」なのに建造物が残っている城と何もない城がある…。それって一体なぜなのでしょうか?
山上に天守が残る唯一の例である備中松山城。実は、明治時代の廃城により山上の建物が放置され、天守が崩壊寸前にまで至った歴史を持つ(papa88/PIXTA)
そもそも、山城にはどんな建物があったの?
そもそも山城は、川や崖といった自然地形そのものが防御設備であり、そこに竪堀・堀切・切岸など、その場の土を切り盛りすることで守りを強化したもの。このため、土留めの石積程度はあっても、大規模な水堀や高い石垣は必要としなかったのです。また、山城はあくまで戦時のための臨時的な施設、つまりは使い捨てだったため、役目を終えると破却されてしまいます。このため長持ちする建造物は不要。建物があったとしても簡素なものしか造られず、さらに廃城後は取り壊されるか風化が進んで、残ることはなかったのです。
例えば、城の囲いには紐などで簡単に組める木柵が用いられていました。主要部には土塀が使われた例もあったようですが、それも竹や木で編んだ下地に土壁を塗っただけのもの。
復元された荒砥城の木柵。安全のために往時よりも頑丈な造りになっているが、本来は木を組んだだけの簡単な造りだっただろう
門はどうでしょう。鎌倉時代に成立した『一遍上人絵伝』には、板造りの二階門が描かれていて、中世頃には武士が大規模な門を造っていたことがわかります。実際にこのスタイルの門が復元されている山城もあります。でもこれはあくまで平地に建てた武士の居館を守った門であり、曲輪の数がものすごく多い山城で採用するのはとうてい不可能だったでしょう。おそらくは、『大坂冬の陣図屏風』に描かれた幕府軍陣屋の門のような、2本の丸太を掘立門柱にして、跳ね上げ式の竹や柴で編んだ戸を付けた程度の門だったとみられています。
高根城本曲輪の虎口に復元された城門。むき出しの柱に屋根と扉をつけただけの簡素な薬医門である
建物も居住用ではないので、丈夫な礎石建ちではなく、簡易な掘立柱の建造物でした。要所に城下を見張る物見台と射撃用の矢倉(櫓)を設け、さらに武器などを集めておく倉庫があったくらいで、物見台や矢倉はほとんどが屋根なし。倉庫は屋根がありましたが、簡単な板葺き。う~む、確かにこれでは少し放置しただけで風化してしまいますね。現存例がないのも納得です。
足助城に復元された物見櫓(左奥)、厨(中央)、カマド小屋(左手前)。物見櫓には屋根がなく、厨も掘立建物である
こうして建物が失われ、「ただの山の中」のような城が日本中のあちこちに無数に残ったというわけなのです。整備されずに樹木が生い茂った山城跡は眺望さえもままなりませんが、山城の魅力は眺望だけではありません! 時に山の姿を変えてしまうほどの土木工事が行われた中世の山城。切岸や堀切、竪堀・横堀、虎口など、土の遺構は腐らずによく残っているので、山中で縄張図を見ながらよ~く目を凝らして高低差に注目を。この場所でどう守ろうとしていたのか、当時の築城者の意図が見えてきます。
また、荒砥城(新潟県)や高根城(静岡県)、足助城(愛知県)など、発掘調査に基づいて戦国時代の建物が復元された城もあります。どうしても、山城の建物が想像できなければ、こうした城を訪れてイメージの参考にするのも一つの手。そうして、山城歩きの経験を積んでいけば、何もない曲輪跡にだって、きっと掘立小屋や物見台が見えるようになってきますよ!
執筆・写真/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。城郭の専門家が山城の見どころを紹介する『隠れた名城 日本の城を歩く』(山川出版社)や、全国の都市に残る城郭の遺構を紹介する“再発見”街中の名城 −−廃城をゆく7−−』が好評発売中!