マイお城Life マイ お城 Life | 二宮博志さん[前編]「ないなら造ろう!」山城復元にかける情熱

城を仕事にしてしまうほどの生粋のファンにご登場いただく連載「マイ お城 Life」。第2回目のゲストは、土の城を精密に再現した城郭ジオラマ「城ラマ」シリーズを手がける、「お城ジオラマ復元堂」の二宮博志さん。城に目覚めたきっかけやジオラマづくりのこだわり、そして「城ラマ」制作に至る秘話に迫ります。



二宮博志、城ラマ、作業場
二宮博志さん。「城ラマ」の作業場も兼ねているパートナー産業でお話をうかがった(撮影=畠中和久)

「城の命は縄張と地形」。それを再現したかった

はじめて「城ラマ」のことを知ったのは、おそらく2013年、東京おもちゃショーに長篠城の城ラマが出展されたことを伝える報道記事だった。ぱっと見の印象は、「これは山城ファンが喜びそうなアイテムだな」。そして記事を読んで思ったのは、「でも商売としては成り立たないだろうな」という(今となってはとても失礼な)ことだった。

東京おもちゃショーでデビューしてから5年。商品としての城ラマは長篠城(愛知県)、高天神城(静岡県)、上田城(長野県)と広がり、「お城EXPO 2016」では小机城(神奈川県)、「お城EXPO 2017」では明石城(兵庫県)のジオラマが展示されるなど、自治体と共同でのプロジェクトも増えている。「城ラマで大もうけしているわけではありませんが、商売としては軌道に乗りはじめているところでしょうか」と二宮さんは話す。
(各お城の城ラマはこちら:長篠城高天神城上田城 ※外部サイトへ移動します

城ラマ、長篠城


城ラマ、高天神城


城ラマ、上田城
これまでに発売されてきた「城ラマ」シリーズ。上から長篠城、高天神城、上田城(本丸シリーズ)。「城ラマ」はいずれも1/1500サイズで表現されているため、城同士の規模を比較することもできる。詳細は公式HPを参照

城の模型やジオラマといえば、まず思い浮かべるのは優雅で壮大な天守だろう。しかし、城ラマはその常識を覆す山城、それも地形の再現を重視したジオラマだった。城ラマを見たことがある人は、誰でも疑問を抱くだろう。「なぜ、山城なんですか?」。

(二宮)
もともと、城郭模型に山城のモデルがないことを疑問に思っていました。世に出ている城のプラモデルは見栄えがする天守が中心で、山城の模型は資料館とか博物館にしかありませんよね。ないなら、自分でつくろうと。

とはいえ、山城だからというこだわりではなく、縄張(城の構造)や城が建つ地形を再現したかったのです。軍事施設である城は、第一に「なぜここに建っているのか」という立地や地形が大切ですし、さらに「どのように守るのか」という縄張が重要になりますよね。地形と縄張という城の全体像を再現するために中世城郭を入り口にしたので、結果として山城の製作につながったということです。

天守の建つ城ももちろん好きです。ただ、近世城郭はパーツがある程度規格化されているため、城ごとの個性が出にくい。一方で中世城郭は、地形にあわせて設計をしますから、城の個性が際立っています。だから、最初に取り組むのは中世城郭にしようと決めていました。近世城郭は規模が大きくて、縄張全体を再現するのが難しいという事情もありましたけど(笑)。

城ラマ第1弾は地形の利を活かした長篠城

こうして城ラマとして最初に商品化されたのが、長篠城(愛知県)だった。織田信長・徳川家康の連合軍と武田勝頼率いる武田軍が戦った長篠の戦いで、合戦が勃発する直接の要因となった城である。長篠の戦いは有名だが、長篠城は城ファンにもそれほど人気の城とはいえない。なぜ、第1弾を長篠城にしたのだろうか。

(二宮)
数ある中世城郭の中から長篠城を選んだのは、実際に合戦が起きた城を取り上げたいと考えたからです。長篠の戦いは誰もが知っていますし、旧勢力の武田氏と新興勢力の織田氏が激突した時代の転換点になった城なので。何より、長篠城は2つの川が合流する地点の断崖上に位置しており、非常に興味深い地形に築かれています。地形と縄張を再現する城ラマとしては、第1弾の城はもう長篠城しかないと思いました。あとは、僕が武田好きという理由もありますね(笑)。

城は軍事施設なので、戦うということが本質なんです。長篠城は武田の大軍に囲まれながら、攻め難い地形的な利点を活かして籠城戦を戦い、それが織田・徳川連合軍の勝利に結びつきました。その後商品化した高天神城や上田城も、攻城戦の舞台になった城という点では共通しています。

長篠城、宇蓮川、豊川、堀、堅城
長篠城は宇蓮川と豊川の合流地点に築かれており、唯一平地に面している北側には堀がいくつも掘られている堅城であった

「城ラマ」の原点となった幼い頃の思い出

ここまで読んでいただければお分かりのとおりだが、二宮さんが重視するのは「天守(建物)よりも地形」。その“お城観”はどのように育まれたのだろうか。

(二宮)
両親が四国出身だったので、小学生の頃、よく夏休みに四国へ旅行に行きました。それで小学校5年生の時に伊予松山城(愛媛県)に登り、「お城ってカッコイイな」と思ったのが城に興味を持ったきっかけです。6年生の卒業制作では山の上にある城をつくりたいと考えて岐阜城(岐阜県)のプラモデルをつくりました。その頃から、お城は地形が重要だということを感じていたのかもしれませんね。

岐阜城、織田信長、濃尾平野
屹立する金華山の山頂と山麓に築かれた岐阜城。織田信長の居城として有名であり、山頂の天守からは濃尾平野を一望することができる

社会人になってからもお城熱は冷めなくて、学研や新人物往来社などから出版される城本をよく読んでいました。長期の休暇を取れた時は地方へ行って何城も山城をめぐったり。この頃に登ったお城の中では、戸石城(長野県)や檜山城(秋田県)が印象に残っています。檜山城は大堀切や枡形虎口がしっかり残っていて、はじめて訪れた時は「こんなにカッコイイ山城があるのか」と感動しました。

檜山城、安東氏、中世城郭
二宮さんを虜にした檜山城。安東氏が5代にわたって居城とした城で、中世城郭の醍醐味を味わうことができる

こうして城の虜となり、やがて城ラマを制作することになる二宮さん。しかし、畑違いのジオラマづくりは苦難の連続だったという。次回の中編では、長篠城が発売されるまでの試行錯誤に迫ってみよう。

二宮博志(にのみや・ひろし)
1968年、東京都生まれ。2005年にパートナー産業株式会社代表取締役に就任。「城郭復元プロジェクト」を立ち上げ、2013年に城ラマシリーズ第1弾となる長篠城を発売。城ラマシリーズの他にも、公共施設に設置される城郭復元ジオラマなども手がけている。主な著書に『真田三代 名城と合戦のひみつ』(宝島社)がある。
「お城ジオラマ復元堂」http://joukaku-fukugen.com/

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写真=畠中和久

取材・執筆/かみゆ歴史編集部(滝沢弘康・小関裕香子)
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。最近の編集制作物に『完全詳解 山城ガイド』(学研プラス)、『エリア別だから流れがつながる世界史』(朝日新聞出版)、『教養として知っておきたい地政学』(ナツメ社)、『ゼロからわかるインド神話』(イースト・プレス)などがある。

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