2023/08/01
都道府県のお城シリーズ 【富山県のお城】隣国の武将たちが覇権を争い、築かれたお城の数は約400!
日本100名城・続日本100名城を中心に、各都道府県を代表するお城をご紹介する「都道府県のお城シリーズ」。今回は富山県編です。三方を山に囲まれ、戦国時代には近隣の有力武将たちが覇権を争った富山には、そうした歴史的背景や地形の特徴を反映したお城が多く築かれました。日本100名城の高岡城、続日本100名城の富山城などをご紹介します。
富山県にあるお城は?
越中(現在の富山県)は神保氏などが守護代を務めていましたが一国を治める強力な武将がいなかったため、越後の上杉氏や能登の畠山氏など侵攻してきた隣国の武将たちが次々と城を築いていきました。富山県には約400のお城がありますが、水堀も石垣も備えた城は富山城と高岡城のみ。それ以外のほとんどは「土の城」です。さらに富山県が東・西・南を山に囲まれているという地形の事情もあり、山城が大多数を占めていることも特徴的です。
■わずか6年で役割を終えた隠居城・高岡城(高岡市・日本100名城)
画像提供:高岡市
富山県のお城の中で、唯一日本100名城に選定されている高岡城。加賀藩2代藩主・前田利長が富山城に隠居した後、富山城が大火で焼失したため、慶長14年(1609)に高岡城を築きました。隠居目的の城ということもあり突貫工事が行われ、未完ながらも築城開始からわずか半年で入城。しかし、慶長19年(1614)に利長が亡くなると、翌年の一国一城令で廃城となりました。
城を守る広大な水堀が壮観!
このように短い歴史で幕を閉じた高岡城。当時の建造物は現存していませんが、幅の広い水堀や馬出を含む郭など防御性の高さを物語る遺構がほぼ残っていて、それらの保存率は日本一といわれています。ちなみに水掘は城跡の総面積約21万㎡のうち37%を占める広大さ! 全国的にも珍しい風情豊かな水濠公園として親しまれています。
高岡城の所在地・アクセス・城びとおすすめの楽しみ方
所在地:富山県高岡市古城1
アクセス:あいの風とやま鉄道高岡駅から徒歩10分
楽しみ方:城跡を整備した高岡古城公園は「日本さくら名所100選」にも選定されています。23種2700本もの桜が満開になる春の季節に訪れたい!
■江戸時代に近世城郭へと改修!富山城(富山市・続日本100名城)
新ろくべえさんご投稿写真
天文12年(1543)、越中西部の守護代・神保長職(じんぼうながもと)が築いた富山城。その後、上杉謙信、織田信長の手中に治められ、信長の命令で入城した佐々成政(さっさなりまさ)が大規模な改修を加えて居城としました。江戸時代に加賀藩主・前田利長が近世城郭へと整備しますが、慶長14年(1609)に火災で焼失。加賀藩から分家した富山藩の藩庁となったことから本格的に修復され、明治4年(1871)の廃藩置県まで存続しました。
千歳御門越しに天守を撮影しよう!
富山城の建築遺構として唯一現存するのは、移築された千歳御門。門越しに天守閣(富山市郷土博物館)を撮影できる映えスポットです! 本丸鉄門跡の石垣には、前田家の莫大な財力を誇示する立派な鏡石を見ることができます。なお、実際には江戸時代に天守が建造されたことはなく、現在見られる天守閣は昭和29年(1954)に戦災復興事業の完了を記念し建設された歴史的な天守閣です。
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富山城の所在地・アクセス・城びとおすすめの楽しみ方
所在地:富山県富山市本丸1-62
アクセス:JR・あいの風とやま鉄道富山駅から徒歩10分
楽しみ方:二階櫓門唯一の痕跡となる礎石が富山市郷土博物館入口横に展示されているので、要チェック!
■越中三大山城の一つ・増山城(砺波市・続日本100名城)
やまさんご投稿写真
守山城・松倉城とともに越中三大山城の一つに数えられている増山城。南北朝時代に起源を持ち、戦国時代に越中守護代の神保氏が拠点としました。上杉謙信と神保氏の間で城をめぐる攻防が何度も繰り広げられ、織田信長の越中制圧でその勢力下に入ってからは前田氏の持ち城に。こうして何度も城主が代わる間に城の改変が繰り返され、慶長20年(1615)に一国一城令で廃城となりました。
防御力の高さを物語るダイナミックな堀切
増山城は砺波郡(となみぐん)・射水郡(いみずぐん)・婦負郡(ねいぐん)の境にある広大な山城。主郭を中心にいくつかの主要な曲輪が並ぶ構造で、土塁、切岸、竪堀、畝状空堀群、さらに要所に大規模な堀切や空堀が設けられています。その中には幅16m・深さ10mもの大堀切も! 山道を登りながらそのスケールと防御力を体感してみてください。
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増山城の所在地・アクセス・城びとおすすめの楽しみ方
所在地:富山県砺波市増山
アクセス:JR城端線砺波駅から車で約30分
楽しみ方:城内の看板のQRコードを読み取ると、増山城名誉城主・春風亭昇太師匠による音声ガイド「ますナビ」を再生できます。師匠の解説を聞きながら歩けば、増山城への理解がもっと深まるはず!
■国境を守る要衝の山城・森寺城(氷見市)
昌官忠さんご投稿写真
森寺城は越中と能登の国境近くに立地し、南北約1.2km・東西約0.5kmに及ぶ山城。16世紀初めに能登守護畠山氏が越中進出の拠点として築城し、その後上杉氏を経て佐々成政の城となりました。中世史料では「湯山城」と書かれています。城内には荒山峠を経て能登へ至る道が通っていて、国境を守る城としての役割を果たしていました。天正13年(1585)に成政が秀吉に降服し、一帯が前田氏所領になった際、廃城になったと推測されています。
富山で唯一!中世城郭の本格的な石垣を持つ山城
城内には土塁・堀切・竪堀などの防御遺構が良好な状態で現存。また、本丸・二の丸の出入口や土塁などの重要な部分には河原石を用いた石垣が築かれていて、織豊系城郭の地方伝播を示す一例として評価されています。ちなみに、富山県の中世城郭で本格的な石垣を備えているのは森寺城のみ!
森寺城の所在地・アクセス・城びとおすすめの楽しみ方
所在地:富山県氷見市森寺城山
アクセス:JR氷見線氷見駅から車で約15分
楽しみ方:搦手口は土塁や堀で食い違いに区画され、厳重な構えとなっています。駐車場から本丸とは逆方向にあるので、忘れずに足を運びましょう。
■女武者の武勇伝と悲話が残る若栗城(黒部市)
カズサンさんご投稿写真
南北朝時代に築かれたと伝わる中世居館型の平城。戦国時代には不悪凡斎右京輔(ふあくぼんさいうきょうのすけ)が城主を務め、上杉氏との激しい戦の舞台にもなりました。この戦いの際、女性の侍大将(不悪凡済右京輔の息女という説も)が指揮を執り、飛んでくる矢を竹筒で集めては打ち返したという勇猛果敢な逸話が語り継がれています。なお、この女武者は討ち死にし、やがて若栗城も陥落したそうです。
平城を守っていた高い土塁がトレードマーク
若栗城は現在は公園として整備され、土塁と郭跡が遺構として残っています。土塁は高さ約5m、幅10~20m、長さは東西に約90m・南北に約70mというコの字形で、堅固な土塁で平城を守っていた当時の様子を伝えています。また、秋のお彼岸の季節になると真っ赤な彼岸花が土塁に咲き、その光景はまるで戦いで散った人たちを弔っているかのようです。
若栗城の所在地・アクセス・城びとおすすめの楽しみ方
所在地:富山県黒部市若栗3737
アクセス:北陸新幹線・黒部宇奈月温泉駅から徒歩約15分、または富山地方鉄道舌山駅から徒歩約10分
楽しみ方:若栗城から北へ約500mの場所には、館跡と伝えられる長安寺があります。境内をコの字に囲むように高さ約3mの土塁が残っています。
執筆/城びと編集部