2023/02/16
萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第63回 増山城 大規模な堀切!越中三大山城の一つ
城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。63回目の今回は、上杉謙信をはじめ名だたる武将たちによる戦乱の舞台となった増山城(富山県)です。堅牢強固な城として知られる増山城の特徴を、ダイナミックな堀切など現存する遺構を中心に見ていきましょう。
二ノ丸と安室屋敷の間の大堀切
神保氏の城からめまぐるしい城主交代
増山城は、越中三大山城の一つに数えられる富山県内最大級の山城です。16世紀半ば、越中守護代の神保氏がこの地域を掌握すべく拠点とした城の一つと考えられています。
越後守護代の長尾為景が神保慶宗(じんぼうよしむね)を討つも、為景が没すると神保氏が再興。やがて長尾景虎(上杉謙信)が越中へ侵攻し、神保氏を討つこととなります。増山城は謙信と神保氏との攻防の舞台となり、何度も謙信の攻撃を受けました。
その後も、城主はめまぐるしく入れ替わり、天正4年(1576)には上杉方の城となりました。謙信が没すると織田信長に焼き払われ、信長配下の佐々成政(さっさなりまさ)が越中を平定。成政が秀吉に降伏すると、増山城は利家の支配下となって重臣の中川光重が入ったとされています。城主の交代のたびに、城は改変されていったようです。
安室屋敷と三ノ丸の間の堀切
ダイナミックな堀切などが見どころ
増山城は、平野全域をほぼ見渡せる和田川東岸の標高約120メートルの丘陵上にあり、4つのエリア(増山城中心部、亀山城、孫次山砦、赤坂山屋敷・団子地山屋敷)に大別されます。
中心部は最高所に置かれた最大規模の二ノ丸が主郭と考えられ、二ノ丸を囲むように一ノ丸、安室屋敷、三ノ丸などが並び、その外側に堀切や竪堀を駆使した防衛線が張られていました。各曲輪の独立性が高く、主郭との連動性が低いのが印象的。能登畠山氏の森寺城(富山県氷見市)や七尾城(石川県七尾市)などを連想させるつくりです。守護代・神保氏時代の城をベースに、謙信や成政が部分的に改変を施したと思われます。
広大な城域の要所に設けられた、大規模な堀切や空堀に目を見張ります。二ノ丸の南側にも曲輪が並び、その南〜南東側の斜面には並行するように長大な堀切が掘り込まれ、南西側には畝状竪堀もあります。さらに谷を挟んだ尾根の南端にも最南端の防御線として堀切が確認されています。
二ノ丸と安室屋敷の間の大堀切は、幅16メートル、深さは10メートル以上。二ノ丸には二つの隅櫓があり、その一つである鐘楼堂からは安室屋敷との間の堀切を見下ろすことができます。
二ノ丸から見下ろす、安室屋敷との間の大堀切
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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。