2021/09/10
理文先生のお城がっこう 城歩き編 第40回 望楼型天守と層塔型天守
加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」の城歩き編。40回目は「天守の構造」がテーマ。全国にさまざまな形の天守が建てられましたが、それらは主に「望楼(ぼうろう)型」「層塔(そうとう)型」の2種類に分けられます。それぞれの特徴や違いについて詳しく見ていきましょう。
関ヶ原合戦の後、戦に勝利した徳川家康は、その活躍(かつやく)の程度(ていど)によって、全国の大名を大きな規模(きぼ)で配置転換(はいちてんかん)(治める領(りょう)地・領国を変えることです)しました。新しい領地を得(え)た大名たちは、石高(こくだか)(現在(げんざい)の給料です)に相応(ふさわ)しい新しい城を、それぞれが作りました。小田原合戦や朝鮮(ちょうせん)出兵を経験(けいけん)したことによって、城を作る技術(ぎじゅつ)はますます発達し、今までに無い程(ほど)の、進んだ形をした城がたくさん造(つく)られたのです。シンボルとなる天守も、同じようにいろいろな形をした新しい天守が作られました。
この時築(きず)かれた天守の内、織田信長(おだのぶなが)の安土城(滋賀県近江八幡市)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)の大坂城(大阪府大阪市)と同じ構造をした天守を、望楼(ぼうろう)型(望楼式)天守と呼(よ)んでいます。もう一つは、関ケ原合戦後に登場する今までにない新しい構造(こうぞう)をした天守で、層塔(そうとう)型(層塔式)天守と呼ばれています。今回は、この二つの形をした天守の違(ちが)いについてまとめていくことにします。
望楼型と層塔型の見分け方
天守は、望楼型と層塔型の二つの形式に分けられます。どう見分けたらいいのでしょう。見分け方は、大変簡単(かんたん)で、天守の一階か二階の屋根に入母屋破風(いりもやはふ)(入母屋造の屋根の妻(つま)側部分に出来る三角形の破風のことです)があれば望楼型天守で、なければ層塔型天守になります。
その時、気を付けてほしいのが入母屋破風によく似た千鳥破風(ちどりはふ)という破風があることです。千鳥破風は、飾(かざ)りとしての要素(ようそ)が強い破風ですので、望楼型と層塔型のどちらにも使われます。共に三角形をしていますが、簡単に区別できます。二つの破風の下の部分をたどってみましょう。入母屋破風は屋根の隅棟(すみむね)(屋根の四隅の先端(せんたん)へと続く棟のことです)へと繋(つな)がっていますが、千鳥破風は下にある屋根にあたって止まっています。隅まで行けば入母屋破風、屋根で止まれば千鳥破風ですので、簡単に見分けることが出来るでしょう。
松本城乾小天守の入母屋破風と大天守の千鳥破風。屋根の隅棟に繋がっているかいないかの違いを確認してみて下さい
望楼型天守の特徴
望楼型天守は、入母屋造の建物(一階建、二階建があります)を建て、その屋根の上に望楼(ぼうろう)(遠くを見渡(わた)すための櫓(やぐら)のことです)を載(の)せた形式の建物を言います。単純(たんじゅん)に考えるなら、屋根の上に物見台(ものみだい)を載せた建物ということになります。入母屋造の建物の屋根のほぼ真ん中あたりを割(わ)って、物見を載せたため、その屋根の端部にある入母屋破風がそのままの形で残されています。
犬山城に見る入母屋造の建物と、その屋根の上に載せた望楼部
我(わ)が国初の本格的(ほんかくてき)天守であった安土城天主は「望楼型」でした。天主台は、不等辺八角形です。国宝(こくほう)に指定されている犬山城(愛知県犬山市)や姫路城(兵庫県姫路市)の天守台は、台形に歪(ゆが)んでいて、彦根城(滋賀県彦根市)は、細長い長方形をしています。石垣(いしがき)構築技術が、急速に発達するのは関ヶ原合戦の後のことで、元和・寛永(かんえい)期(1615~45)にほぼ完成域(いき)に達しています。石垣を積む技術が低かった時代の天守台は、正方形に積むことが難(むずか)しく、必ず歪んでしまいました。そのために、多角形や台形になってしまったのです。こうした歪んだ天守台の上いっぱいに建物を作ると、当然歪んだ1階になりますが、中央部分に方形の身舎(もや)(内部の部屋のことです)を取れば、部屋は方形になります。その周囲(しゅうい)だけに不整形な形をした部分が残りますが、ここを入側(武者(むしゃ)走り)とすれば大きな問題にはなりません。
彦根城天守1階の入側(武者走り)。中央部に3間×3間の部屋を2つ取り、その周囲は入側としています
1階の歪みは、当然一階建物を覆(おお)う入母屋造の屋根にまで伝わります。しかし、その屋根の上に載せる望楼部は、下の屋根の形に左右される必要はないのです。正確(せいかく)な正方形平面とすることができます。そうすれば、これより上は、方形の建物になります。このように、望楼型天守の利点は、どんなに歪んだ天守台上にも建てられることです。
岡山城天守(※現在改修工事中)は、天正18年(1590)~慶長2年(1597)の大改修によって、天守が完成しました。関ヶ原合戦以前の姿を伝える貴重な城です。現在の天守は、RC造りの復興天守です
望楼型天守は、望楼部が小さく、下階の屋根が大きく造られた岡山城(岡山県岡山市)や犬山城天守のような形と、姫路城天守のように、望楼部の大きさと下階の大きさにそれ程差が見られない天守があります。
関ヶ原合戦後に入封した池田輝政が、慶長14年(1609)完成させた姫路城大天守は、望楼部と下階の大きさにそれ程差は認められません
層塔型天守の特徴
関ヶ原合戦後の慶長9年(1604)、藤堂高虎(とうどうたかとら)が築いた今治城(愛媛県今治市)に、今までとは違う形式の天守が登場しました。望楼型のように下階(基部)に入母屋造の大屋根が無く、上階の望楼部もありません。1階から同じ形の建物を規則的(きそくてき)に小さくしながら積み上げていくという、きわめて単純(たんじゅん)な構造でした。従(したが)って、入母屋破風は、最上階の屋根にしか見られません。破風は、千鳥破風や唐破風(からはふ)など装飾的な破風が用いられました。また、最上階の屋根以外、まったく破風の無い天守も存在(そんざい)しました。
層塔型天守を建てるためには、正確な四角形(正方形に近い)の天守台を築くことが条件です。そのために、石垣構築技術の発達が欠かせませんでした。直角に積む技術が完成したことによって、層塔型天守を造ることが可能になったのです。天守台の上に造られた1階の上に、次の階を少しずつ小さくして積み上げていきます。3階・4階・5階と同じことを繰(く)り返すと、層塔型天守が完成します。望楼を載せたわけではありませんが、層塔型天守の最上階も「物見」と呼ばれたので、機能(きのう)は望楼ということになります。
1階から規則的に低減する層塔式天守の代表例の島原城復興天守。破風の無い天守です
層塔型の天守は同じ形の構造物を積み上げていくので、工期が短縮(たんしゅく)できる上に建築コストが抑(おさ)えられるため、短期間で多数の城を築くことが求められた慶長(けいちょう)の築城(ちくじょう)ラッシュで一気に全国に広まりました。
なお、最初に登場した望楼型天守を旧式、後に造られた層塔型天守を新式の天守と呼ぶこともあります。
現存する層塔式天守の丸亀城(香川県丸亀市)天守
今日ならったお城の用語(※は再掲)
入母屋破風(いりもやはふ)
入母屋造の屋根に付く破風です。屋根の隅棟に接続(せつぞく)し二等辺三角形のような形をした破風です。
千鳥破風(ちどりはふ)
屋根の上に載せた三角形の出窓(でまど)で、装飾(そうしょく)や明るさを確保(かくほ)するために設(もう)けられたものです。屋根の上に置(お)くだけで、どこにでも造ることができます。2つ並べたものを「比翼(ひよく)千鳥破風」と言います。
隅棟(すみむね)
入母屋造・寄棟(よせむね)造の屋根で、屋根面が互(たが)いに接した部分に出来る隅に向かって傾斜(けいしゃ)した棟のことです。
唐破風(からはふ)
軒先の一部を丸く持ち上げて造った「軒(のき)唐破風」と、屋根自体を丸く造った「向(むかい)唐破風」とがあります。もとは神社建築に多く使用された装飾性の高い破風でした。
(※)…岡山城の天守は、2021年6月~2022年11月(予定)までリニューアル工事を行っています。
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加藤理文(かとうまさふみ)先生
公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。