超入門! お城セミナー 超入門!お城セミナーまとめ【武将編Vol.1】

初心者向けにゼロからわかりやすく解説する「超入門!お城セミナー」。領国を守るため敵と戦う武将たちにとって、お城は重要な軍事拠点でした。では、名だたる武将たちはどのようにお城を築いたのか? 彼らの戦略的な観点から名城に迫っていけば、お城への理解が今まで以上に深まるはずです。



織田信長はなんで居城を次々と変えたの?

戦国時代の大名たちは、領土を拡大しても居城を変えることはほとんどありませんでした。その中でも例外的な存在が織田信長で、なんと4回も居城を変えているのです。

では、なぜこのように常識外れな引っ越しを繰り返したのか? 実は、信長が天下統一を目指した過程と深く関係しているのです。

織田信長像
清須城(愛知県)公園に立つ織田信長像

▼続きはこちらから

武田信玄が戦国随一の築城名人だったって本当?

織田信長の最大のライバルといえば、甲斐国(現・山梨県)を本拠とした武田信玄。安土城(滋賀県)などの名城で知られる信長と比べると、信玄には城のイメージが薄いという方も多いのでは?

しかし実は、信玄は独自の築城術を編み出し、当時としては特に発達した城郭を築いていたのです。

上田城
徳川家を2度にわたり撃退した上田城(長野県)は、千曲川の河岸段丘を利用して築かれている。築城者の真田昌幸は、信玄の薫陶を受けており、築城術も学んだと考えられる(イラスト=香川元太郎)

▼続きはこちらから

軍神・上杉謙信が10年かけても落とせなかったお城って?

甲斐の隣国・越後(現・新潟県)を本拠とし、武田信玄と幾度となく対決した上杉謙信。「越後の虎」や「軍神」の異名をもつ、戦の天才として有名です。

ところが、そんな謙信が10年かけて何度攻めても落とせなかった城があるのです! 一体どんな城? 城主は誰?

唐沢山城
唐沢山城(栃木県)は、本丸をはじめとする主要部を石垣で守っている。この石垣は昌綱時代ではなく、豊臣秀吉配下時代に改修されたものである可能性が高い

▼続きはこちらから

加藤清正はどんな城を造ったの?

天下統一を目指す豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の七本槍など数々の武勇で貢献した加藤清正。その一方、藤堂高虎や黒田官兵衛と並ぶ築城名人としても知られています。

清正が戦国随一の築城名人と称される理由。その答えは、鉄壁の守りで名高い熊本城(熊本県)の造りが雄弁に物語っています。

加藤清正像
熊本城内にある加藤清正の銅像。治水などを積極的に行い熊本の発展に貢献した清正は、現在も熊本の人々から「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれ慕われている

▼続きはこちらから

北条氏の小田原城はなぜ難攻不落と呼ばれるの?

西国屈指の鉄壁の城が熊本城なら、関東最強の難攻不落の城に挙げられるのが、関東を五代にわたって支配した北条氏の本拠地である小田原城(神奈川県)です。

小田原城といえば「豊臣秀吉の小田原攻めで陥落した城」というイメージが強いでしょうが、実は秀吉以前にこの城を攻めた名だたる武将たちはことごとく撃退されているのです。その鉄壁の守りの秘訣とは?

小田原城
関東の大大名・北条氏が居城とした小田原城。上杉謙信や武田信玄を寄せつけなかった名城である

▼続きはこちらから