マイお城Life 漫画家・ 宮下英樹さん[後編]人によって楽しみ方が違うのが城の醍醐味

”史上最も失敗し挽回した男”仙石権兵衛秀久を主人公に描く人気歴史マンガ『センゴク』の著者・宮下英樹さんに、マンガに登場した城の魅力を伺う特別インタビュー。後半もセンゴク最大の失敗・戸次川の戦いのエピソード振り返りや、2020年大河ドラマ主人公に決定した明智光秀の人物考など盛りだくさんな内容をお届けします!
ページの最後で『センゴク』の試し読みもしていただけますので、まだ読まれていない方はぜひチェック!




センゴク、宮下英樹
最新刊の発売日は11月6日! 13巻では天下静謐を目指す豊臣政権が描かれる

戸次川はこの目で見ないといけないと思ったんです

2004年からスタートしたシリーズは、『センゴク』、『センゴク天正記』、『センゴク一統記』の3部が展開され、現在第4部の『センゴク権兵衛』が連載中だ。近刊では仙石秀久の運命を大きく変えた戸次川の戦い、そして仙石家の改易と思い悩む秀久の姿が描かれた。戸次川の戦いとは島津家に圧迫される大友家を救援に出陣した秀久、長宗我部元親・信親父子、十河存保と島津家久がぶつかった合戦だ。この戦いで秀久たちは島津の必勝先方「釣り野伏」にかかり信親や存保が戦死する大敗を喫してしまうのだ。

これまで順調に出世の道を歩んでいた秀久の生涯最大の事件といえる戸次川の戦い描くにあたって、宮下さんはどのような準備をしたのだろうか。

(宮下)
戸次川の戦いはセンゴクの人生を大きく揺るがす大切な合戦なので、しっかり調べなくてはと考え、2回取材に行きました。実際に戦場になった河原の様子を見たかったんです。鏡城(大分県)から麓に降りたら対岸の地形とか河原の段差とかも全然見えないし、地図上では通れそうに見えても実際は葦原になっていて通れなかったりして、なかなか古戦場に到達できず途方に暮れました。結局、地元の人に道を聞いて道を間違えながらなんとかたどり着いたのを覚えています。

戦場を実際に見た感想は「ここで本当に戦ったのか?」でした。地図などで俯瞰的に見たら広そうに見えるんですが、実際に行ってみると足場が悪く葦が茂っていてとても狭い。この時の両軍の兵力は島津軍が約1万人、豊臣軍が6000人とされていますが、とてもそんな数の兵が戦える場所じゃないと感じました。マンガでは渡河後に戦闘をしていますが、現地を見た所感としては、渡河中に攻撃されたという説もありえるのではないかと思っています。

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戸次川を渡河して対岸に布陣する豊臣軍。果たして実際の戦いでもこのようにしっかり陣を展開できたのだろうか(『センゴク権兵衛』第9巻より)

1回目の取材の時に現地の研究者の方と知り合って、仙石たちが陣を張った鏡城からは見えない場所に窪地があったということを教えてもらいました。そこで2回目の取材ではその窪地を見つけようと近くまで行ったんですが、作中でも書いたとおり見つけられませんでした。森がとても深く見えて「これは、一人で行ったら絶対に迷う」と思って引き返したんです。

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戦場と窪地を隔てる森は直線距離で100mもないが、対岸や古戦場から見ると背後に窪地があるとは思えないほど深く見える(『センゴク権兵衛』第9巻より)

戸次川の戦いで秀久は秀吉からの「合流する本隊を待て」という命令に背いて出陣しようとします。この時、長宗我部元親が渡河に反対したという記録に基づいて、作中でも反対させていますが、あえて強く制止しないようにしています。思慮深く策に長けた元親は、感情的に声を荒げはしないだろうと考えたからです。元親は「コイツは反対するほど燃え上がるタイプだ」と秀久の性質を理解しているので、強く制止しない代わりに策を提案して自軍の被害を押さえる方向に動かしました。

“信長を殺せる男”を考えてできたのが、あの明智光秀でした

2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公に抜擢され注目が集まる明智光秀。『センゴク』では仙石秀久の主君である羽柴秀吉のライバルとして登場する。後世でも人によって評価が分かれる“信長を殺した男”を、宮下さんはどんな人物としてとらえたのだろうか。

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傾き化粧にザンバラ髪というこれまでにない出で立ちで、初登場から読者に強烈なインパクトを与えた明智光秀(『センゴク』第3巻より)

(宮下)
初登場の時にはまだ人物像がつかみ切れていなくて、インパクトを出すために傾きの化粧をさせました。その後、様々な文献を読みながら、織田信長を殺した男としての光秀を考えていたときに、本気に殺そうとしたのは光秀だけなのではないかと感じたんです。

基本的に人ってシステムの中にいるのが楽だから、そこから抜け出せないじゃないですか。常識を打ち破ろうとしても、結局は人として最低ラインの常識から逃れられない。当時の人々にとって信長はそういった“システム”に近い存在になっていたのではないかと考えました。確かに信長は恐ろしい人物ですが、その配下に収まっていればどこに進めばいいか導いてくれます。信長包囲網に加わった勢力も同じで、彼らは「信長を倒す」という目的の下に結束していましたが、恐らく本当に倒してしまった後のビジョンは見えていなかったんじゃないか。じゃあ、信長という“システム”を壊せる人間はどういう人物だろうと考えてできたのが、あの底知れない冷徹さと合理性を持った明智光秀です。

2020年の大河ドラマで光秀が主人公になったこともあって、11月23日(金・祝)〜25日(日)に岐阜県可児市で行われる「山城へ行こう!」でも、今年は光秀のイラストを描かせていただきました。『センゴク』の光秀は決してヒーローではない冷徹で妖しげな人物ですが、その中にある人物の奥深さを感じてもらえたら作者冥利につきますね。

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本能寺の変後に安土城天主に登り、城下を見晴らす光秀。かつて信長が立っていた場所に立つ彼は、いったい何を想っていたのだろうか(『センゴク一統記』第5巻より)

城とは生きるのに必死な人間が造った“巣”

2004年の連載開始から14年にわたって城を描き続けてきた宮下さんにとって、城とはどのようなものに見えているのだろうか。

(宮下)
僕は一言で言うと「城とは人間の巣」だと思っています。野生の動物も本能で立派な巣を作りますが、中世の城も生き延びたい将兵たちの本能で造られていると、実際に城をめぐると感じますね。現代の僕たちは後付けで「横矢は〜」とか「虎口は〜」とか体系立てて説明できますが、城を造った本人たちにはそんな余裕はもちろんなく、死なないために防御設備を試行錯誤して築城技術を高めていった。その集大成が近世城郭だと考えると感慨深いですよね。本能というと、戸次川の敗戦後に仙石秀久が一目散に聖通寺城(香川県)に逃げ帰ったのも、戦国時代を生き抜いた彼の生存本能だったのかなと思えてきます。

センゴク、宮下英樹
「日本の城は海外と違って、敵をある程度侵入させて叩くという発想で造られているのが、面白いです」と宮下さんは語る

これまでに取材した城では、小谷城(滋賀県)が堀や土塁を遺構としてしっかり認識できたはじめての城なので今でも思い出深いです。それから、支城を含めたお城の機能が分かってきた頃に三木城包囲網の陣城に大塚城(ともに兵庫県)というのがあって、今も住宅街に遺構が残っています。ちょっとした高台に土塁がめぐらされただけの小規模な城なんですが、土塁の折れがしっかり残っていて見つけたときは感動しました。

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作中に登場する大塚城。団地の一角に土塁や虎口が残るのみだが、下草がきれいに刈ってあるため遺構は見やすい(『センゴク天正記』第9巻より)

太閤ヶ平(鳥取県)の取材では、地図で見るのと現地で空気を感じるのとは全く城の違うということを教わりました。地図で見たときは鳥取城(鳥取県)からずいぶん離れているなと思ったんですが、秀吉の本陣まで登ってみたら目の前に鳥取城があって驚きました。作中では秀久がちょっと大げさに「兵の食べてる米粒まで見える」といっていますが、本気でそう思うくらい近かったです。ジャンプしたら鳥取城まで届くんじゃないかって思ったくらい(笑)。

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作中でも鳥取城と太閤ヶ平は互いの顔が見える距離と描写されている。太閤ヶ平の方が標高が少し高いため、秀吉本陣から城内は丸見えだっただろう(『センゴク天正記』第14巻より)

宮下さんは、12月22日(土)~24日(月・休)に横浜で開催される「お城EXPO 2018」で、「あの感動をもう一度、センゴク山城名場面」と題して、いなもとかおりさん(お城マニア&観光ライター)、長沼毅さん(可児市)とともにトークショーに出演する。最後に「お城EXPO 2018」に来城する読者へのメッセージをいただいた。

(宮下)
『センゴク』は、勢力の推移が激しくて取っつきにくいと思われている戦国時代を分かりやすく描くというコンセプトで描いているので、戦国時代を今まで学んでこなかったという人にこそ読んでもらいたいです。城もものすごくマニアックな城を描いているわけではないですし、僕自身全く興味がないところから勉強をはじめていますから、城や歴史の初心者でも楽しんでいただける内容になっていると思います。今回の記事を読んだ人や「お城EXPO 2018」のトークショーを聞いてくれた人が、一人でも『センゴク』に興味を持ってくれれば嬉しいです。


宮下英樹
1976年、石川県生まれ。2001年『春の手紙』でデビュー。2004年に『週刊ヤングマガジン』にて『センゴク』を連載開始する。現在は第4部である『センゴク権兵衛』が連載中。2007年から2010年に『センゴク外伝 桶狭間戦記』を『月刊ヤングマガジン』および『週刊ヤングマガジン』で連載。2014年に大河ドラマ『軍師官兵衛』出演。

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書名:『センゴク権兵衛』
著 :宮下英樹
発行:講談社
既刊:『センゴク権兵衛』1~13巻。

戦国時代に生きた人間の激しさとひたむきさをリアルに描く、壮大なる合戦絵巻は第4部に突入!! 主役は“史上最も失敗し挽回した男”仙石権兵衛秀久。数々の合戦を生き抜いて立身出世を続けてきた権兵衛だが、この先に彼を待っているのは人生最大の試練…!! 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた実在の武将が、今、激動の時代に立ち向かう!!

13巻では、豊臣秀吉の覇道は日ノ本の外へと広がってゆく。栄華を極める豊臣家は、このまま天下静謐を実現できるのか? その鍵のひとつは、仙石権兵衛が握っている。高野山から京へと移り、激動する時代を目の当たりにする権兵衛。今は「無用の武士」なれど、その力が必要とされる日は近い!!

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時は戦国時代。美濃・斉藤家の家臣、仙石権兵衛秀久は、落城寸前の稲葉山城にいた。敵は覇王・織田上総介信長!!  
織田信長の新政権が起こった天正年間の頃。織田家中、羽柴秀吉の下、仙石権兵衛秀久は22歳にして千石の土地を治める武将となり、来るべき武田家との合戦に備え、力を蓄えていた。
時は天正十年、京・本能寺で勃発した日本史上最大の事件”本能寺の変”‥‥そこで何があったのか!? そして仙石権兵衛秀久の”歴史的大失敗”と”不屈の挽回劇”とは!?
織田信長と羽柴秀吉の下で合戦に明け暮れ、淡路国を治める戦国大名へと出世した仙石権兵衛秀久。だが、天下一統を成すためには、いまだ残る数多の敵を従わせる必要があった―

執筆/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。

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