2021/07/07
【夏の城旅】近畿編:信長・秀吉・家康、3大天下人ゆかりの名城を一気にめぐる!
「夏の城旅」第2弾では、滋賀から京都、そして大阪へと公共の交通機関を使って旅する2泊3日のコースを紹介。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という、3大天下人ゆかりの名城をご案内します。今回のポイントは「天守」と「石垣」です。※2018年8月3日初回公開。2023年7月10日更新
彦根城の国宝天守。屋根の三角形の意匠を破風というが、彦根城天守はさまざまなタイプの破風に飾られている
[1日目]国宝天守が残る彦根城から信長の居城・安土城へ
今回の城旅は、東海道新幹線の「ひかり」と「こだま」が停まる米原駅から出発します。東京駅から2時間20分程度、新大阪駅から40分程度の距離。この米原駅から在来線で10分ほど行くと、名門・井伊家が治めた彦根に到着します。
江戸時代の彦根藩は、NHKの大河ドラマ『おんな城主 直虎』でもおなじみ、井伊直政が初代藩主をつとめました。徳川四天王の一角とされ、徳川家康の信頼が高かった直政は、関西方面の押さえとして要衝の彦根を任せられ、彦根城(滋賀県彦根市)築城を開始しました。
彦根城の見どころは、なんと言っても国宝5天守に数えられる天守でしょう。屋根につく三角形の意匠を「破風」と呼びますが、彦根城は現存天守の中でもっとも多くの破風に彩られています。現存天守で“一番お洒落”な天守といえるかもしれません。その一方で、天守にもうけられた狭間(鉄砲を撃つ穴)や、登城路ににらみをきかす天秤櫓、西の丸側の堀切(大きな横堀)など、高い防御力を誇っています。家康の天下を守らんと築城に命をかけた、直政の意気込みを見逃さないようにしましょう。
天秤櫓。両サイドに櫓が建つのが名前の由来
彦根城の次は織田信長が築いた安土城(滋賀県近江八幡市)へ。彦根駅から安土駅へは電車で約20分。駅から安土城までは徒歩だと30分ぐらいかかるので、タクシーか駅前にあるレンタサイクルを利用するとよいでしょう。先に信長の館や安土城郭史料館に立ち寄り、予習してから向かうのもいいかもしれません。
天守が建つ石垣の城を「近世城郭」と呼びますが、そのはじまりとなった城が安土城です。登城口からまっすぐにのびる大手道、左へ右へと折れ曲がる石垣づくりの出入り口(虎口)、かつては高層の天守が建っていた天守台など、そのすべてが日本城郭史上、前代未聞のことでした。信長はそれまで土造りだった城を石造りに変え、さらに天守という高層建造物を築くことで、自らの権力の巨大さを見せつけたのです。石垣の積み方にも注目しましょう。安土城の石垣は加工されていない石をそのまま積んだ「野面積み」です。
大手口から一直線にのびる大手道
安土城天守台。この上に史上初の天守(信長時代は天主)がそびえていた
翌日以降の旅路を考慮して、この日の宿は京都にとるとよいかもしれません。彦根城と安土城をしっかり見たのなら、相当な距離を歩いていることになります。しっかり休みをとりましょう。
[2日目]絢爛豪華な桃山文化の息吹を伝える二条城
2日目はまず二条城(京都府京都市)から。京都駅からだと、乗り換えが必要な地下鉄よりもバスが便利です。
戦国時代、京都には「二条城」と名乗る城がいくつかありましたが、現在に残る二条城を築いたのは、関ヶ原の戦いに勝利して天下をにぎった家康です。京都所司代の政庁、つまり江戸幕府の出張機関でした。国宝である二の丸御殿や重要文化財である唐門は、多くの装飾に彩られた華美な造りで、派手できらびやかだった桃山文化の雰囲気を今に伝えています。江戸初期には五重天守がそびえ建っていたそうですが、焼失後は再建されませんでした。
7月15日〜9月30日までは、非公開の庭園「清流園」を眺めながら「ゆば粥」を食すことができます。1日40食限定の予約制なので、事前の電話をお忘れなく。
金色に輝く唐門。細やかな彫刻に彩られている。門の先に二の丸御殿が見える
国宝である二の丸御殿。大きな飾りに注目してみよう
さて、せっかく京都に来たのですから、旅路を急がず京都観光も楽しみたいですね。歴代天皇の住まいであった京都御所は、二条城から徒歩20分程度の距離となります。また、二条城から金閣寺や竜安寺へと行くバスも通っていますので利用してもよいでしょう。
京都駅から長岡京駅へと移動し、徒歩10分ほどで勝竜寺城公園に着きます。2020年・2021年放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』で主役だった明智光秀。勝竜寺城はその光秀に関連の深い城。信長を本能寺で自刃に追い込んだ光秀ですが、「中国大返し」によってすぐさま秀吉が京都へ進軍してきました。その秀吉との決戦直前、光秀が拠点としたのが勝龍寺城(京都府長岡京市)です。
勝竜寺城は建物や城門など、すべて現在になって復元されたもので、あまり見どころは多いといえませんが、この城で盛大な結婚式をあげた細川忠興と光秀の娘・ガラシャの像が立ちます。 また、長岡京駅から勝竜寺城へ移動する道路の途上には、かつての堀と土塁跡が公園化されて残りますので見逃さないようにしましょう。
勝竜寺城の水堀と土塁。塀や建物は推測で築かれたもの
発掘された堀と土塁が公園として整備されている
2日目は大阪市内に宿をとり、「天下の台所」とされる大阪名物に舌鼓を打つのがよいでしょう。
[3日目]日本一の高石垣誇る大阪城をじっくりめぐる
3日目に訪れる大阪城(大阪府大阪市)は、いまや世界に誇る大阪随一の観光名所。城内に入ると洋の東西問わず外国人にあふれ、コスモポリタンな雰囲気が漂っています。
大阪城本丸はいつ行っても、イベントや出し物でにぎわう
大阪城というと、誰もが“太閤”豊臣秀吉の居城だと考えますが、現在目にすることができる大阪城は、徳川家によって改修されたものです。秀吉は信長が構想した近世城郭の構造や役割を受け継ぎ、安土城(滋賀県近江八幡市)を軽く上回るような巨大な大阪城を築城しました。しかし、大坂夏の陣で豊臣家は滅亡。その後、秀吉時代の城を完全に埋め立て、盛り土の上に築いたのが現在に残る大阪城なのです。
現在の天守は、豊臣時代、徳川時代に次いで、昭和初期に鉄筋コンクリート製で建てられた3代目。内部の資料館はたいへん充実しているので、エレベーターで最上階まで上ってしまうことなく、1階ずつちゃんと鑑賞するようにしましょう。大阪城の見どころは多くて絞るのが難しいのですが、石垣はやはり注目ポイントのひとつ。南外堀沿いや内堀沿いの高石垣は高さが日本一であるとともに、まったく隙間のない「切込接(きりこみはぎ)」で積まれており、最高技術が用いられています。また、蛸石や肥後石など、来る者を圧倒する巨大な「鏡石」も必見です。
巨石によって積まれた南側外堀の高石垣。大阪城は水堀も石垣も日本最大級である
本丸内の「ミライザ大阪城」にはレストランやショップが入り、屋上ではバーベキューも楽しめる(写真:大阪城パークセンター提供)
さて、大阪城鑑賞後にまだ体力と時間に余裕があれば、もう1城めぐってもよいでしょう。在来線で50分ほど行くと、「続日本100名城」にも選ばれている岸和田城(大阪府岸和田市)があります。立派な天守が建ちますが、これは模擬天守。注目はやはり石垣で、小さな石で隙間を埋める「打込接(うちこみはぎ)」という積み方。今回めぐった城だと、安土城と大阪城の中間にあたる技術です。
岸和田城には2度天守が築かれたが、現在の天守の外観はそのどちらとも異なる姿である
今回の2泊3日の旅は、近世城郭の発展を知る旅路になりました。近世城郭は「天守」と「石垣」がそのシンボルとなります。今回の旅で興味を抱いたら、是非全国の近世城郭をめぐって、天守と石垣を比較してみましょう!
[1日目]
米原駅
↓ 電車で約10分
彦根駅
↓ 徒歩約15分
彦根城
↓
彦根駅
↓ 電車で約20分
安土駅
↓ 徒歩約30分
安土城
↓
安土駅
↓ 電車で約45分
京都駅、京都泊
[2日目]
京都駅
↓ 地下鉄で約20分
二条城前
↓ 徒歩すぐ
二条城…京都御所まで徒歩20分、金閣寺行きのバス有り
↓
京都駅
↓ 電車で約12分
長岡京駅
↓ 徒歩で約10分
勝龍寺城
↓
長岡京駅
↓ 電車で約35分
大阪駅、大阪市内泊
[3日目]
大阪駅
↓ 電車で約10分
大阪城公園駅
↓ 徒歩約10分
大阪城
↓
帰宅、もしくは岸和田城へ
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執筆・写真/かみゆ(滝沢弘康)
ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。かみゆ歴史編集部として著書・制作物多数。