「新選組が好き!」お城インスタグラマーKaoriさんが語る、その魅力

昔から高い人気を誇る、幕末に活躍した新選組(しんせんぐみ)。大河ドラマ「青天を衝け」や映画「燃えよ剣」で注目を集めている今、新選組大ファンのお城インスタグラマー・Kaoriさんに、その魅力とゆかりのおすすめスポットについて熱く語っていただきました! 歴史好きになったきっかけが新選組というKaoriさん。新選組についての説明もあるので、歴史・お城ビギナーの方も要チェックです!

 ■新選組との出会い

私が新選組を知ったきっかけは、学生の頃にハマった漫画『新撰組異聞 PEACE MAKER』でした。漫画には、とにかくひたむきに一念をもって職務に取り組む新選組が描かれていたのです。それまで歴史にあまり興味がなかったのですが、ただひたすらに「日本の為に将軍の助けとなるよう支えたい」と自分たちにできることを毎日コツコツと積み重ねていく新選組の生きざまに感動し、新選組について調べるようになりました。

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お城インスタグラマー・Kaoriさん。東映太秦映画村(京都府)にある新選組屯所セット前にて

私が新選組の中で特に好きなのは副長の「土方歳三」で、この人の足跡を訪ねるのがライフワークになっています。ご本人にお会いすることができないので、その行動やご本人を描いた作品たちから推測することしかできませんが、地元のガキ大将である近藤勇を大将に組織を作って、自分が信じる正義のために一生懸命生きた人なんじゃないかなと思います。
近藤さんが亡くなってからも、近藤さんの遺志を継ぎ、旧幕府側として最後まで信念を曲げず生き抜いた姿がとてもカッコイイと思っています。

実は新選組は内部の粛清が多く、戊辰戦争以前だと外部との戦いによる死者よりも、「局中法度」と呼ばれる規律違反による内部の粛清で亡くなった人数のほうが多い悲しい組織だったそうです。多くのあらくれ者を抱えた集団で、最大200名にまで成長した巨大な組織。それを統率するには厳しいルールを設ける必要があり、おそらく幹部の誰もがつらい想いを抱えながら、ただ「新選組」という組織を守る為にそうした粛清を行っていたのではないかと思います。

今回はそんな「新選組」の魅力をお伝えしたいと思います!

■ そもそも新選組って?

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新選組は幕末、過激浪士によってテロが横行する京の都の治安維持の為に結成され、たった6年間だけパッと日本史の表舞台に躍り出た幕府最後の打ち上げ花火のような集団です。
新選組局長の近藤勇と副長の土方歳三は江戸幕府の直轄地である武州多摩(現東京都)の農家の生まれで、子供の頃は「バラガキ」と呼ばれるガキ大将のような少年たちだったそうです。
 
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東京都日野市にある土方歳三の生家。現在は土方歳三資料館となっています。開館日が少ないため、公式サイトで開館状況を確認してから訪れるのがおすすめです!

幕府の直轄地に生まれたため幕府や将軍への敬意の気持ちが一際強かった二人は、武士になることに憧れ、自分たちの剣の腕を頼りに近藤勇が道場主を務める天然理心流の道場「試衛館」の門弟たちと共に、江戸幕府14代将軍・徳川家茂の警護を目的とした「浪士組」に志願しました。

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東京都新宿区にある「試衛館」跡の記念碑

浪士組は、結成を建白した清河八郎によって率いられ京都に上洛を果たしましたが、いざ京都に着いてみると清河八郎から将軍警護という役目ではなく、朝廷直属の兵となるべきと尊王攘夷論を説かれます。開国路線の幕府に反旗を翻すことはできないと、将軍への忠義に厚い近藤・土方たち試衛館の一行および芹沢鴨を筆頭とする水戸脱藩浪士の一行は清河八郎一派と袂を分かち、「壬生浪士組」として京都守護職に京都残留の嘆願書を提出、京都守護職預かりとなりました。
 
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文久2年(1862)、幕府は政治や治安の維持のため京都守護職を設置し、会津藩主・松平容保(かたもり)を任命。その本陣となったのが、くろ谷金戒光明寺(京都府京都市)です

その後、薩摩・会津藩を中心とした公武合体派が京都の尊王攘夷派を一掃した文久3年(1863)の八月十八日の政変における働きを評価され、会津藩より「新選組」を拝命し、市中取締の命を受けます。翌月かねてより押し借りや乱闘など素行に問題のあった芹沢鴨の一派を粛清し、本格的に新選組が動きだしました。局長である近藤勇、幼馴染で副長の土方歳三、幼いころに試衛館に預けられた二人の弟分の沖田総司を中心に、山南敬助、永倉新八、原田左之助、藤堂平助、井上源三郎ら試衛館のメンバーといった隊員構成でした。
 
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新選組最初の屯所「壬生屯所」(現八木家・京都府京都市)。浪士組として上洛した近藤たちが宿所としており、そのまま新選組屯所となりました

本格始動してからの新選組は京都の治安維持の為、不定浪士の取り締まりを行い、その強烈な強さで京都の町を震撼させました。しかし、結成から4年後の慶応3年(1867)に大政奉還が行われ、幕府がなくなると形勢は逆転、旧幕府軍と共に北へ転戦していくことになります。転戦する中で仲間の死や別れを繰り返し、最後にたどり着いた箱館の地で新選組は降伏、最後を迎えます。

■Kaori的新選組エピソードベスト3

新選組

私が好きな新選組のエピソードを3つご紹介します!

1.池田屋事件:一番新選組が輝かしかった瞬間 

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新選組といえば「池田屋事件」と言われるほど、新選組を象徴するできごと。
新選組が結成された翌年である元治元年(1864)6月5日(新暦で7月8日)に京都三条木屋町(三条小橋)の旅籠・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、新選組が襲撃した事件です。
 
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事件当時の刀傷が残る三条大橋

この時、新選組は隊服であるダンダラの羽織(浅黄色の地に袖口と裾に山形の模様が入った羽織)を着て出動したのですが、私はこの羽織も大好きなんです。というのも、新選組は「忠臣」の鏡である忠臣蔵の「赤穂浪士」を尊敬していて、自分たちも同じ浪士であり、忠臣たらんと赤穂浪士が打ちいる時に来ていた羽織の意匠を用い、浅葱色は武士の死に装束の色であるとして、いつでもその覚悟があるという意味で色と意匠を決めたと言われているからです※諸説あります)。いつでも死ぬ覚悟があるという意味で隊服にするところは井伊の赤備えにも似た気組み(気合、気迫)だなと感じます。

2.会津戦争:新選組の名付け親である会津藩での戦い 

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会津戦争の舞台となった鶴ヶ城(会津若松城・福島県会津若松市)にて

戊辰戦争が始まり、新選組が属する旧幕府軍側が連敗していく中で、新選組の生みの親である会津藩が戦いの地になりました。会津戦争は新選組にとっても一際力を尽くしたかった戦いだと思います。
 
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鶴ヶ城(会津若松城・福島県会津若松市)

戦いの中で、他藩に援軍を求めに奔走し、得られないことがわかった土方歳三は旧幕府海軍と合流する決意をします。他方、旧幕府軍としてではなく会津藩への恩義に殉じることを決意した斎藤一とはこの地で別れることになりました。

▼鶴ヶ城(会津若松城)の戦いについては、こちらの記事もご覧ください
・明治維新150周年企画「維新の舞台と城」 第9回 【会津若松城】城内への侵入を許さなかった会津魂(https://shirobito.jp/article/363


3.箱館戦争:土方歳三の最後の一日

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2010年に元の1/3のスケールで復元された箱館奉行所。五稜郭(北海道函館市)の中にあります

土方歳三は会津から仙台に行き、旧幕府軍海軍副総裁・榎本武揚が率いる旧幕府軍と合流し箱館に渡ります。榎本により蝦夷共和国が設立され、陸軍奉行並という地位で軍事を司どっていた土方は、この地で最後の戦いに臨みました。新政府軍と旧幕府軍が激突した箱館戦争です。

箱館戦争において土方は連戦連勝でしたが、新政府軍による箱館市内への総攻撃が開始され、新選組が弁天台場で孤立しているという知らせを聞き、救援しようと五稜郭を出陣、銃弾に倒れます。その後弁天台場も食料弾薬が底をつき降伏、その他の台場も降伏や玉砕に至り、約1年半にわたった戊辰戦争は五稜郭の降伏で幕を閉じました。

私は、最後弁天台場にたどり着けなかった土方さんと、土方さんに再会することなく降伏するしかなかった新選組の隊士たちのことを思うと涙が止まりません。

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土方歳三最期の地碑。土方が銃弾に倒れたと言われる一本木関門跡(現若松緑地公園内)にあります

▼箱館戦争についてはこちらの記事もご参考ください
・五稜郭で土方歳三が戦った、箱館戦争にまつわる歴史とは?(https://shirobito.jp/article/301

■Kaori的新選組関連城郭3城

新選組

ご本人に会うことはできませんが、ゆかりのお城を訪れて、志士たちとその時代を感じることはできます!

1.二条城(京都府京都市) 

二条城東大手門,新選組
二条城東大手門(画像提供:文化市民局 元離宮二条城事務所)

慶応3年(1867)、徳川慶喜の大政奉還を受けて王政復古の大号令が発せられた後、新選組は伏見奉行所に滞在していました。近藤勇は軍議の為に訪れた二条城からの帰り道、伏見の手前で襲撃されます。これを聞いた慶喜は伏見奉行所に医師を派遣しています。将軍が一介の幕臣を心配し医師を派遣するということからみても、近藤勇がそれまでに発した軍議での発言や新選組の行動が、幕府にとって心強いものだったことを裏付けるのではないかと思います。

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京都伏見の料亭「清和荘」 の玄関に建てられた、近藤勇が襲撃された地であることを表す石碑

▼二条城に関する記事はこちらをご覧ください
・「最後の将軍」徳川慶喜と幕末三名城 第1回【慶喜と二条城】慶喜は二条城を嫌っていた? 意外な理由とは(https://shirobito.jp/article/1365

2.神指城(こうざしじょう・福島県会津若松市) 

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会津戦争で斎藤一率いる会津残留の新選組が戦った場所。神指城の土塁の上に祀られた如来堂には碑が建てられています。

▼神指城についての記事はこちらをご覧ください
・関ヶ原の戦い① 関ヶ原の戦いはなぜ起こったのか(https://shirobito.jp/article/501

3.五稜郭(北海道函館市)

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土方歳三が最後に出陣した場所。戊辰戦争終結の地。

▼五稜郭についての記事はこちらをご覧ください
・萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第9回 五稜郭 幕末に築かれた星型の要塞(https://shirobito.jp/article/443
・明治維新150周年企画「維新の舞台と城」第10回後編 【五稜郭】旧幕臣の思いとともに散った洋式要塞(https://shirobito.jp/article/412


▼上記のほか、ゆかりの場所についてはこちらの記事もご参考に!
・お城紀行〜城下と美味と名湯と 第3回 |【会津若松城・後編】土方歳三が傷を癒した、東山温泉へ(https://shirobito.jp/article/220


幕末の動乱期に現れた真っすぐな忠義の心を持った男たちの集団「新選組」。彼らのひたむきな心が令和を生きる私たちにも感動を与え、興味を持たせ続けているのではないでしょうか。

執筆・写真/Kaori
お城インスタグラマー。新選組の漫画をきっかけに歴史が好きになり、歴史を一番肌で感じられる場所としてお城が好きになる。奈良県吉野町の観光大使や島根県津和野町の応援大使に任命されており、現在はクラブツーリズム株式会社とのYouTubeタイアップや、大阪ガス株式会社が運営するオンライン講座専用サービス「さがする」で講師を務める他、各地でガイドツアーも行っている。自身のYouTubeチャンネルでは新選組ゆかりの地をめぐる動画を公開中(https://www.youtube.com/watch?v=TKU050xXJ2U)。

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