超入門! お城セミナー 第106回【武将】武田信玄がトンネルを掘ってお城を落としたって本当?

お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。今回はあの武田信玄が使った、ちょっと変わった城攻めの方法「もぐら攻め」を紹介。トンネルを掘って城を壊す。一見、小説やマンガに登場するトンデモ戦法のようにも思えますが、実は数々の戦果を上げている信玄の必勝戦法なのです。このもぐら攻めのやり方や実際に用いられた合戦についてご紹介しましょう!


陣城
武将たちは城を落とすために、陣城を築いて城を孤立させる、放火や悪口で敵を挑発する、仕寄りで敵の攻撃を防ぎながら近づくなどの工夫を行っていた。しかし、地形や土木技術をフル活用して造られた城を落とすのは容易ではない(イラスト=香川元太郎)

トンネルで城内に侵入し、城の重要施設を破壊!

防御施設である城は、敵方のあらゆる攻めを想定して築かれています。堀で囲み、土塁を築き、道を折り曲げ、堀切で尾根道を断つ。斜面には切岸や石垣を築き、兵が殺到する虎口には、土居を築いたり枡形を構えたり。

一方、攻める側も正攻法で突撃する「力攻め」の他に、道路や水路など兵糧の補給路を断って飢えさせる「兵糧攻め」、城の周囲に堤防を築いて川などの水を堰き止め、決壊させて水没させる「水攻め」など、さまざまな方法を用いて城の攻略にかかります。しかし、何重もの防御を施した城には、そう簡単に攻め入ることはできません。そんな鉄壁の防御を崩すために考えられた攻城方法の中に、ちょっと変わった「もぐら攻め」というものがありました。これはその名の通り、もぐらのように地下にトンネルを掘って城内に侵入する攻め方。しかし、こんなに手間のかかりそうな変わった攻め方を採用していたのは、一体誰なのでしょうか?

もぐら攻め
もぐら攻めは、城外から城内にトンネルを掘り、城内の重要な建物や水の手を破壊する(イラスト=香川元太郎)

ヒントは、この攻め方が「金堀攻め(かなほりぜめ)」とも呼ばれること。「金堀」とは、鉱山で金・銀・銅などの資源を掘ること。またその鉱山で働く人のことも指しますが、その場合は「金堀衆(かなほりしゅう)」ともいいます。つまりもぐら攻めとは、城の防御力を削ぐために、この金堀衆に城外から城内に向かってトンネルを掘らせて侵入し、火を放ったり水の手を切ったり、また櫓などの破壊を行った城攻め法のことなのです。

戦国大名は、鉱山開発にも力を入れていました。もちろん経済力強化のためだったのですが、そこは戦の勝敗が最もモノをいう戦国時代。武将たちは金堀衆のこの優れた技術を、城攻めにも活用しようと考えたのです。このもぐら攻めを多用したと伝えられているのは……かの武田信玄です!

武田信玄
精強な軍を率い、織田信長や徳川家康などからも恐れられた最強武将として知られる信玄。内政手腕にも優れ、治水や鉱山開発を行って甲斐の発展に寄与した

信玄の本拠地だった甲斐国は、黒川金山、湯乃奥金山など多くの金山があり、これらが戦国最強と謳われた武田軍の軍資金を産出していました。武田の(信玄の)隠し金山などと呼ばれることもありますよね。この二つの金山は、現在国の史跡に指定されています(湯乃奥金山は、中山・内山・茅小屋の3金山の総称で、国史跡指定されているのは中山金山)。そんなわけで、武田領内には、多くの金堀衆が代々住みついていたのです。
※武田領内では「金山衆(かなやましゅう)」と呼ばれたそうですが、ここでは一般的な「金堀衆」で統一します。

黒川金山、鶏冠山
武田家の金山の一つ・黒川金山があった鶏冠山(けいかんざん)。武田滅亡後は徳川家によって江戸中期頃まで採掘が行われた。甲州征伐後、金山の秘密が漏れることを恐れた武田旧臣が、鉱山で働いていた武士や彼らを客にしていた遊女を集め、付近の「花魁淵」に落として殺害したという、悲しい伝説も残る

彼らは穴を掘るだけでなく、井戸を掘ったり、橋を架けたり、水路を築いたりもしたといいますから、鉱山師兼土木工事業者だったことになります。この連載の第78回「戦国大名の治水事業−−城を造るときに川の流れを変える!?」で説明した、信玄の治水事業である信玄堤(しんげんづつみ)なども、彼ら金堀衆の技術が活用されたようです。

信玄が行ったもぐら攻め

野田城
信玄がもぐら攻めを行った城として最も有名な野田城。三方ヶ原の戦い後に武田軍に包囲され、金堀衆の活躍によって落城するが、信玄はその直後に病でこの世を去ってしまう

実際に武田の金堀衆が参戦してもぐら攻めを行ったとして伝えられている戦が、いくつかあります。永禄6年(1563)に北条氏康が松山城(埼玉県)を攻めた時は、同盟関係だった武田軍が援軍を送り、もぐら攻めの奇襲を行ったといいます。さらに元亀4年(1573)、信玄が徳川家康の野田城(愛知県)を攻めた際の金堀衆の活躍も見事でした。野田城の本丸・二ノ丸間の塀を崩して連絡を絶ち、本丸の井戸に向かってトンネルを掘って井戸水を抜くことに成功。さらに、堀に流れ込む水も断ちました。完全に水の手を断たれた野田城側は、籠城を続けることができず、陥落してしまいました。

深沢城
上記の合戦以外でも、信玄はもぐら攻めを行った。元亀元年(1570)の深沢城(静岡県)攻めでは、金堀衆に城を破壊させて敵の士気を大いに下げたという

城方もこのもぐら攻めを恐れ、水を張って地面に置いた水瓶の水面の揺れから侵入を察知し、城内からもトンネルを掘り、行き当たったところで戦ったり、煙でいぶしたりという作戦で対抗した例もあったとか。また、空の水瓶を埋めて土中の音の反響をチェックするといった対処法も取られたそうですが、金堀衆側は城内に近づくと、土中でわざと騒いだり鉄砲を打ったりしてカモフラージュしたそうです。

金堀衆は、いわば特殊部隊であり、もぐら攻めは特殊作戦。信玄は、金堀衆の馬の通行税を免除したり、商いを許可したりという特権を与え、いざ戦となると参戦させてその技術を活用したのです。時の権力者は、他にも忍者、修験者(山伏)、芸人といった影の存在と上手に手を組んで共存していたようですが、これら「影」の実態はあまり記録に残っていません。だからこそ、自由に想像できることが楽しくもありますが、はてさて今後、彼らの実像にせまる新たな史料が発見される日が来るのでしょうか?


執筆・写真/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。城郭の専門家が山城の見どころを紹介する『隠れた名城 日本の城を歩く』(山川出版社)や、全国の都市に残る城郭の遺構を紹介する“再発見”街中の名城 −−廃城をゆく7−−』が好評発売中!

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