現存12天守に登閣しよう 【犬山城】木曽川に聳える白帝城

歴史研究家の小和田泰経先生が、現存12天守を一城ずつ解説!今回は、木曽川のほとりに建つ・国宝の犬山城。最近まで、個人が所有するお城だったのをご存知ですか?





濃尾国境の要衝

木曽川、犬山城
木曽川の河川敷から望む犬山城

犬山の地は、尾張国(愛知県)と美濃国(岐阜県)の国境に位置する要衝でした。特に、戦国時代は木曽川の水運が発達していましたから、その水運を抑える目的もあったわけです。犬山城は、高さ40mほどの丘陵の突端に築かれており、天守の直下を木曽川が流れるという天険の要害でした。江戸時代に、儒学者の荻生徂徠が李白の漢詩「早に白帝城を発す」で知られる長江流域の白帝城に比したことから、「白帝城」と呼ばれるようになっています。

この犬山城は、天文6年(1537)に織田信康によって築かれたといわれています。しかし、信康の子で信長にとっては従兄弟にあたる織田信清は、美濃国の斎藤龍興に通じて信長に反旗を翻しました。そこで永禄6年(1563)、信長は犬山城の南方およそ10kmに位置する小牧山に城を築くと、翌永禄7年、その小牧山城を拠点に犬山城を攻略したのです。信清は、甲斐国(山梨県)の武田信玄を頼って落ちのびました。

争乱の舞台

独立丘陵、小牧山城
遠くに見える独立丘陵が小牧山城

その後、犬山城は信長の支城となり、天正10年(1582)の本能寺の変で信長が横死すると、尾張国を相続した信長の次男信雄の支城になります。天正12年(1584)、この信雄が豊臣秀吉と争った小牧・長久手の戦いでは、秀吉についた美濃大垣城主池田恒興に攻略され、犬山城は一時的に秀吉の本陣にもなっています。これに対し、信雄は徳川家康とともに小牧山城を本陣として秀吉に対峙しました。小牧・長久手の戦い後は、犬山城は信雄の支城として認められましたが、天正18年(1590)、信雄は秀吉による転封命令を拒絶したことから改易されてしまいました。
 
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、当時の城主である石川貞清が秀吉の近臣であったため、犬山城は石田三成に従う西軍に属しました。同じ尾張国内でも清須城の福島正則は、徳川家康に従う東軍についたため、犬山城は西軍の最前線基地になったのです。そこで、美濃国内から、郡上八幡城主稲葉貞通・黒野城主加藤貞泰・多良城主関一政・岩手城主竹中重門らが援将として詰めかけて犬山城を守備しました。しかし、家康の重臣井伊直政による降伏勧告をうけた援将らが東軍に転属したため、城主の石川貞清は城を退去せざるをえなくなったのです。

尾張藩の支城

犬山城、天守地階、太い梁
天守地階の手斧で仕上げられた太い梁

関ヶ原の戦い後、犬山城は尾張藩主となった家康の四男松平忠吉の支城となりました。入り口の横に付櫓を設けた複合式とよばれる天守も、このころに建てられたと考えられています。その後、犬山城は家康の九男義直の支城となり、元和3年(1617)からは、尾張徳川家の附家老となった成瀬氏が城主となりました。そのころ、三階の唐破風や最上階の廻縁・高欄が新たに設けられたとされています。

犬山城、採光、破風の間
採光のために設けられた三階の破風の間

ちなみに、附家老とは、将軍の命令によって大名に附属された家老のことを言います。成瀬家の石高は3万5000石もあり、並の大名よりも石高があったのですが、あくまでも附家老ということで、独立した藩主とは認められませんでした。しかし、独立を嘆願し続けた結果、明治元年(1868)になってようやく新政府から藩主として認められたのです。もっとも、藩主でいられたのは、わずかの期間にすぎません。明治4年(1871)の廃藩置県により犬山藩は消滅し、愛知県に属すことになったからです。犬山城は愛知県の所有となり、天守を除く建物は、すべて取り壊されてしまいました。

酢漿草、犬山城、天守、棟込瓦
天守の屋根を飾る棟込瓦に用いられた成瀬家の家紋「酢漿草」

唯一残った天守も、明治24年(1891)の濃尾地震で半壊してしまいました。そこで、天守の修復を条件に、旧藩主の成瀬家に譲渡されたのです。そのため、犬山城は成瀬家の当主が個人所有する珍しい城となりました。しかし、国宝の城を個人で維持するにはあまりにも負担が大きいと言わざるをえません。そのため、現在では、公益財団法人犬山城白帝文庫によって維持されています。


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小和田泰経(おわだやすつね)
静岡英和学院大学講師
歴史研究家
1972年生。國學院大學大学院 文学研究科博士課程後期退学。専門は日本中世史。

著書『家康と茶屋四郎次郎』(静岡新聞社、2007年)
  『戦国合戦史事典 存亡を懸けた戦国864の戦い』(新紀元社、2010年)
  『兵法 勝ち残るための戦略と戦術』(新紀元社、2011年)
  『別冊太陽 歴史ムック〈徹底的に歩く〉織田信長天下布武の足跡』(小和田哲男共著、平凡社、2012年)ほか多数。

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