お城ライブラリー vol.8 澁澤龍彦著『城』

お城のガイドや解説本はもちろん、小説から写真集まで、お城に関連する書籍を幅広くピックアップする「お城ライブラリー」。今回は、澁澤龍彦著『城 夢想と現実のモニュメント』。幻想とエロスの作家は城砦に何を見たのか。



異端の作家による文学的城砦鑑賞という夢想

幻想やエロス・倒錯をテーマに、人間の本質に迫る小説や評論を残した澁澤龍彦(1828-1987年)。澁澤は暴力的快楽を追求したフランス革命期の侯爵、マルキ・ド・サド(サディズムの語源となる)を日本に紹介した作家という評価が一般的だが、それは彼の仕事の一端に過ぎず、古今東西を問わない膨大な文学知識と独特の感性を背景に、表舞台に出てこない歴史人物を紹介し、アングラな文芸論を開拓した。本書はそんな彼が残した異色の紀行エッセイである。

本書の中で澁澤は、「たいそう好き」と評価する織田信長の安土城を訪れ、念願であり懸案となっていた南仏のラコストにあるサド侯爵の城に足を向け、再び国内の姫路城へと戻ってくる。ただし、彼の想像力は目の前に見えている城郭を軽々と越えていく。例えば、姫路城天守の最上階にある刑部神社の祭壇を見て、松浦静山の『甲子夜話』を参照し、女の霊が城のヌシになったとする南方熊楠の民俗学的推論を紹介し、さらに泉鏡花の戯曲『天守物語』へと展開する。読者は澁澤が誘う文学的世界を漂いながら、城が持つ〝言語化しがたい摩訶不思議で深淵なパワー〟を感じるだろう。こうした〝文学的(または詩的)冒険〟こそが澁澤文学の魅力なのだが、城にも〝文学的鑑賞法〟があることを思い知らされる。歴史を知る・建築を見る・写真を撮るといったお城鑑賞とは異なるベクトルの、そしてあまり語られることがない鑑賞方法が本書には提示されている。

澁澤は本書で、権力者や文学作品の主人公らが、城を愛し、城に籠もる精神の傾向を「カステロフィリア(城砦愛好)」という造語を用いて説明している。洋の東西を問わず権力者は、自らの城を誇示し、そして城に籠もりたがる。そうした志向性について、澁澤は「閉じこもることによって力を凝集する、——これがおそらく、城というものの本質的な機能ではないか」と推論する。城の内側はせまく閉じられているが、城と城主が感応することで、「凝集された無限の欲望」が蓄積されていく。「外から眺めれば、一つの巨大なモニュメント、権力誇示のための空っぽな建築空間にすぎない城が、その内部に、渦巻くようにエネルギーを吸収する装置を備えている」。

澁澤によるこうした城の定義(または夢想)を読んで、信長が築いた安土城天守を想像する人もいるだろう。信長の無限の欲望やエネルギーが安土城の天守を築かせ、前代未聞、古今無双の天守に居住することで、信長は天下人へのエネルギーを貯えていった。本能寺の変後、信長の欲望を内包する安土城は焼失せざるをえなかったこと、そして信長を継いだ豊臣秀吉が、何かに捕らわれるように大坂城聚楽第伏見城名護屋城と巨大城郭を築き続けたことも、城が「渦巻くようにエネルギーを吸収する装置」であるという論から説明できるかもしれない。

と書き進めてきたが、これは筆者の乏しい想像力によるもので、本書を読んだ読者の夢想ははるかに遠く、そして1人ひとりの夢想の行き先は異なることだろう。ひとつ結論じみたことを言うとすると、城には裏の顔・文学的な顔があるということだ。その文学的な顔は普段は秘されているのだが、いざ蓋を開けて覗こうとすると、魔力的な“何か”に満ちあふれているのである。

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[著 者]澁澤龍彦
[版 元]河出書房新社
[刊行日]2001年(単行本初版は1981年)


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執筆者/かみゆ歴史編集部(滝沢弘康)
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。最近の編集制作物に『完全詳解 山城ガイド』(学研プラス)、『エリア別だから流れがつながる世界史』(朝日新聞出版)、『教養として知っておきたい地政学』(ナツメ社)、『ゼロからわかるインド神話』(イースト・プレス)などがある。

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