理文先生のお城がっこう 城歩き編 第17回 堀の役割と種類を見てみよう

加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」の城歩き編。17回目の今回は、空堀、水堀、土塁、堀切など、堀の種類、役割について理文先生が解説します。



■理文先生のお城がっこう
前回「城歩き編 第16回 石垣山城を歩こう 2」はこちら

(ほり)は、城(しろ)を奪(うば)うために攻(せ)め寄せてきた軍隊(ぐんたい)を城の中に入れさせないようにするための遮断線(しゃだんせん)です。土塁(どるい)や石垣(いしがき)の前という敵(てき)にいちばん近い場所に作られた防御施設(ぼうぎょしせつ)です。

堀が作られたのは古く、すでに縄文(じょうもん)・弥生(やよい)時代にあったことが、発掘調査(はっくつちょうさ)で確認(かくにん)されています。当初の堀は、害獣(がいじゅう)(鼠や猪のように、人々の暮らしに害をもたらす動物のことです)から集落や耕作(こうさく)する土地を守るために掘られたもので、規模(きぼ)は小さく、堀というより溝(みぞ)のような施設(しせつ)でした。

堀は、内部に水を張った(溜めた)水堀(みずぼり)と、水の無い空堀(からぼり)とに大きく分けられます。水を張った堀は、「濠(ほり)」と表記されることも多く見られます。城の周りが水はけの悪い低い土地であったり、沼や窪(くぼ)地などに水が溜(た)まっていたりする地形では、水堀とも空堀とも区別のつかない泥田堀(どいたぼり)も見られます。

山城や平山城では、山麓(さんろく)や丘陵(きゅうりょう)の下に、河川(かせん)の流れを取り込み、天然の堀とする場合もありました。なお、堀土塁は切っても切れない関係で、普通(ふつう)は堀を掘って出てきた土を盛り上げて土塁を設(もう)けることになります。そうすることで、残土(ざんど)を有効使用することになったのです。

堀切とは、どんな堀だろう

堀切(ほりきり)は、曲輪(くるわ)と曲輪を独立(どくりつ)させるためや、城の外側(そとがわ)に続く尾根続きからの道を完全に断(た)ち切る目的がありました。従(したが)って、多くの堀切は等高線(とうこうせん)(地形図上で、同じ高さを結んだ線のことです)に対して、直角になるように掘られていました。特に、城の境界(きょうかい)に当たる場所には、2本、3本と連続して配置し、より守りを固めて容易に侵入することを阻(はば)んでいました。この堀切の両サイドに竪堀(たてぼり)を堀切に連続して設けると、守りを一層固くすることができ、敵方はなかなか城の中に入ることが出来なくなります。


堀イラスト
堀イラスト
尾根筋からの侵入(しんにゅう)者が、堀切によって曲輪へたどり着くことが出来ません

飯盛山城、堀切
飯盛山城(いいもりやまじょう)(大阪府大東市・四條畷市(しじょうなわてし))最大の堀切
五体塚丸と三本松丸間に設けられた、岩盤(がんばん)を削り抜いた堀切です

竪堀とは、どんな堀だろう

竪堀は、等高線に対して直角に設けたものです。竪堀を掘ることによって斜面(しゃめん)を縦に仕切ることが出来るので、敵は横方向へ移動することが極めて難しくなります。また、竪堀は堀切部分に連続して設けられることが多く見られますが、曲輪のすぐ直下にも同じくらい多く配されています。斜面に取り付いた敵兵(てきへい)が、自由に横方向へ移動することが出来ないようにするのが目的でした。

竪堀を、1条だけでなく連続していくつも並べたものを畝状竪堀(うねじょうたてぼりぐん)といいます。連続空堀群、連続竪堀群とも言います。その構造(こうぞう)は、竪堀を掘って出てきた土を横に積み上げ土塁とするので、土塁と竪堀が交互(こうご)に連続することになります。土塁と土塁の間に竪堀、竪堀と竪堀の間に土塁があることになるわけです。

この畝状竪堀群は、全国にあるわけではなく、特に九州北部地方に集中する傾向が見られます。長野城(福岡県北九州市)、馬ヶ岳城(うまがだけじょう)(福岡県行橋(ゆくはし)市)、益富城(ますとみじょう)(福岡県嘉麻(かま)市)、荒平城(あらひらじょう)(福岡県福岡市)、蔦ヶ岳城(つたがたけじょう)(福岡県宗像(むなかた)市・岡垣(おかがき)町)では、畝状竪堀群の堀の数が実に100本を超えています。

その他の地域としては、新潟県・山形県・秋田県・長野県など、日本海沿岸(えんがん)地域の城に多く見られます。逆(ぎゃく)に、東海(とうかい)地方・関東(かんとう)地方・東北(とうほく)地方の太平洋(たいへいよう)岸などではあまり見ることが出来ません。織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく)でも、ほとんど使用はされていません。

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竪堀イラスト
斜面の横移動が出来ないようにするための堀です。イラストのように連続して竪堀を設けた場合「畝状竪堀群」と呼んでいます

有子山城、竪堀
有子山城(ありこやまじょう)(兵庫県豊岡市)千畳敷東下北面の竪堀
城の南斜面の東西の行き来を出来ないようにするために設けられた竪堀です

市場城、畝状竪堀群
市場城(いちばじょう)(愛知県豊田市)の畝状竪堀群
三河では類例(るいれい)が少ない畝状竪堀群が主郭(しゅかく)の北東下斜面に見られます。竪堀は3~4条確認出来ます。かなり埋まっているとは思われますが、肉眼(にくがん)で確認されます

横堀って、どんな堀だろう

等高線に沿って掘られた堀を横堀(よこぼり)と呼んでいます。曲輪や虎口(こぐち)部分の守りをより強固(きょうこ)にするために設けられた堀です。通常は、曲輪の周りを取り巻(ま)くようにぐるりと一周掘られました。敵が上がってきそうな緩やかな斜面には、等高線に沿って数百メートルに渡って掘られた横堀も存在します。

堀を掘って出てきた土は、その前面に土塁として盛(も)り上げられました。従(したが)って、城に攻め寄せる敵兵は、土塁を乗り越え、堀の底に降りて、そこから斜面を登らないといけませんでした。堀底に入った時点で、上の曲輪から集中砲火(ほうか)を浴びることになります。城を守る兵たちにとっては、とても心強い堀だったのです。この横堀は、武田(たけだ)氏の城で多く使われました。後に、武田氏の城を奪(うば)った徳川(とくがわ)軍が、さらに規模(きぼ)を大きくして用(もち)いるようになります。

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竪堀イラスト
イラストのように曲輪の周りを取り巻くようにぐるりと一周掘られることが多い堀でした。敵が上がってきそうな緩(ゆる)やかな斜面(しゃめん)には、等高線に沿って数百メートルに渡って掘られた横堀も存在します

古宮城、横堀
古宮城(愛知県新城市)の二の曲輪北下の横堀
曲輪を取り巻くように、延々(えんえん)と横堀が続いています。横堀を掘った残土は、外側に積み上げられ土塁として積まれました。

城の大部分が山城であった時代の堀は、ほとんどが水のない空堀でした。この空堀をより効果的にするために、曲輪の斜面は人工的に急角度に削(けず)り込まれました。これは、敵方の兵が斜面に取り付くことを難しくするためです。このように人工的に削り込んだ斜面のことを切岸(きりぎし)と言います。切岸は、城を守るためにとても重要な役割を果たしていました。

※イラストはすべて香川元太郎(かがわげんたろう)氏です

今日ならったお城(しろ)の用語


土塁(どるい)
土を盛って造った土手のことで、土居(どい)とも言います。多くは、堀を掘った残土を盛って造られました。

水堀(みずぼり)
水を引き入れた堀です。平地に城を築くと、自然に水が湧いてくることが多かったため、水堀にする城が多く見られます。運河としたり、城内の排水の処理施設にしたりして利用されました。

空堀(からほり)
城を守るために、曲輪の周りや前面の土を掘って造られた、外側と連絡できないように断ち切った水の無い堀のことです。

堀切(ほりきり)
山城で尾根筋や小高い丘が続いている場合、それを遮って止めるために設けられた空堀のことです。等高線に直角になるように掘られました。山城の場合、曲輪同士の区切りや、城の境をはっきりさせるために掘られることが多く見られます。

竪堀(たてぼり)
城に攻め寄せた敵兵の斜面の移動を防ぐために設けられた堀のことです。等高線に対して直角に掘られます。

畝状竪堀群(うねじょうたてぼりぐん)
連続空堀群、連続竪堀群とも言います。竪堀を、1条だけでなく連続していくつも並べたもののことです。

横堀(よこぼり)
曲輪の防備(ぼうび)を固めるために曲輪を廻(まわ)るように設けられた堀のことです。等高線と平行になるように掘られます。広大な規模を持つ場合が、多く見られます。

切岸(きりぎし)
曲輪の斜面のもともとの自然の傾斜(けいしゃ)を、人工的に加工して登れないようにした斜面のことです。

※は再掲(さいけい)

次回は、「水堀と空堀です。

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加藤理文(かとうまさふみ)先生
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公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。

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