2019/10/11
理文先生のお城がっこう 城歩き編 第18回 水堀と空堀
加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」の城歩き編。18回目の今回は、堀の中でも、水堀、空堀について良いところや問題点などを理文先生が解説します。
■理文先生のお城がっこう
前回「城歩き編 第17回 堀の役割と種類を見てみよう」はこちら
前回は、堀(ほり)の役割と種類(しゅるい)について考えてみました。堀といっても、様々な種類の堀があることがわかりましたか。今回は、堀に水を張(は)った「水堀(みずぼり)」と水のない「空堀(からぼり)」の良いところと問題(もんだい)点を考えてみましょう。後半(こうはん)部分では、堀の形の違(ちが)いによる分類(ぶんるい)も知っておきましょう。
水堀の普及
「堀に二つあり、水堀、乾堀(からぼり)なり」と江戸時代の政治・経済(けいざい)学者である林子平(はやししへい)の『海国兵談(かいこくへいだん)』(日本を守るために海からの攻撃に対する守りを固めることが必要であることを説いた兵学書)に書かれています。また、「堀は水を湛(たた)えた水堀と、水のない空堀とに大きく分けることができる。」とも書かれています。水堀は「濠(ほり)」・「水濠(みずぼり)」とも書かれることもありますが、意味は同じで、水を溜(た)めた堀のことになります。
広島城の水堀
太田川(おおたがわ)の河口デルタ地帯に築かれたため、広大な規模(きぼ)の水堀が、城を取り囲んでいます
水堀は、平城(ひらじろ)や平山城(ひらやまじろ)に多く使用されています。自然に地下から湧き出る水や、城内で使いいらなくなって流した水や、自然の雨水が溜まって水堀になった場合と、城の守りを固めるために、近くにある河川(かせん)・湖(みずうみ)・海からわざわざ引いてくるケースがありました。
平城の場合、敷地の中心に本丸を置いて、守りを固めるためにその周りに堀を何重にも設けることが、多くの城で見られます。駿府城(すんぷじょう)や大坂城、名古屋城など大きな城に目立ちます。堀で二重に囲みこんだ場合は、「内堀(うちぼり)」・「外堀(そとぼり)」と呼び、三重の場合は、内堀・中堀(なかぼり)・外堀と呼(よ)ぶことが普通(ふつう)です。中には、本丸堀(ほんまるぼり)・二の丸堀・三の丸堀というように、取り囲(かこ)む曲輪の名前を堀の前に付けて呼ぶこともありました。
こうした堀とは別に、城下町までを含め、すべてを大きく取り囲む堀は惣構堀(そうがまえぼり)と呼ばれています。総構堀と書かれることもあります。また、「惣(総)堀(そうぼり)」とも呼ばれたりしています。平山城と平城が全国各(かく)地で築かれるようになったことによって、大規模な水堀を誕生させたのです。城は造る場所が、より守りやすい河川の河口部や沼(ぬま)地、海や湖を利用するケースが増えたこと、鉄砲の普及(ふきゅう)によって射程距離(しゃていきょり)が伸び、堀幅(はば)を広げる必要性(ひつようせい)に迫られたためだと考えられています。
市ヶ谷駅(いちがやえき)脇(わき)に残る江戸城の惣構堀
江戸城は、巨大(きょだい)な惣構堀によって取り囲まれていました。現在の山の手線に沿って、ほぼ堀が存在していたと考えてもらえば良いと思います
空堀は、山城に多く使用されていたことは、前回(城歩き編 第17回 堀の役割と種類を見てみよう)でわかったと思います。では、平城に空堀は無いのでしょうか。平山城は、丘陵(きゅうりょう)上の高い場所に築(きず)かれていますので、当然(とうぜん)空堀も採用(さいよう)されています。平城を見ると、名古屋城の内堀は四周が空堀となっています。また、徳川(とくがわ)大坂城も、内堀の3分の1にあたる南側~西側が空堀です。この左右が空堀になる部分に本丸大手口となる桜門が置かれています。最重要拠点(さいじゅうようきょてん)は、水堀ではなく、空堀になっているわけです。
なぜ、重要拠点が空堀なのかは、両者(りょうしゃ)の利点を考えると見えてきます。まず水堀ですが、高いところから飛び込んでも、水ですので特に問題はありません。対岸まで、泳いで渡ることもできます。ところが、空堀だと、高いところから飛び降りることは不可能(ふかのう)です。対岸にも、一度堀底に降りて、また上に登らないといけないことになります。対岸から攻撃(こうげき)された場合、水堀は潜(もぐ)って隠(かく)れることができますが、空堀は身(み)を隠す場所はありません。従(したが)って、単純(たんじゅん)に考えれば、空堀の方が、防御(ぼうぎょ)機能(きのう)に優(すぐ)れていたことになります。
名古屋城(なごやじょう)本丸の空堀
名古屋城は、本丸の四周のみに空堀が採用され、外堀は広大な規模を誇る水堀になっています。特に北西側の堀幅が広くなっています
だからといって、すべての城で空堀が採用されたわけではなく、川のそばや、海の近くはおのずと水堀にせざるを得(え)ませんでした。そこで、水中を潜(もぐ)って来たり、泳いで渡ろうとしたりする場合に備えて、鳴子(なるこ)(ロープや網などを張り、そこに木の板などをかけておき、何かがあたると音を出すような仕掛けのことです)のようなものを水中に張(は)ったりしたと言われます。また、丈夫な蔓(つる)を伸ばす菱(ひし)(池や沼に生え、茎(くき)は細長く、根が水中を伸(の)びる一年草の植物(しょくぶつ)です)のような植物を植えることで、泳いで渡(わた)れないようにしたとも言います。面白いのは、水鳥を堀中で飼育(しいく)し、その騒(さわ)ぎ方で侵入者(しんにゅうしゃ)の存在(そんざい)を知ることが出来たそうです。このように、侵入者に対して、様々な工夫が凝(こ)らされていたのです。
大坂城の空堀と水堀の境(さかい)
内堀の南側から西側が空堀、寝屋川(ねやがわ)に面した北側は水堀です。写真は。本丸南西側の空堀から水堀へと変わる部分になり、高低差がよく解(わか)ります
堀底の形の違いによる分類
堀は、堀底の形の違いによって大きく四種類に分類(ぶんるい)されていますが、時代(じだい)の流(なが)れや堀の使いみちによる場合が多く、目的をもって底を変化させたというような例(れい)は多くありません。
薬研堀(やげんぼり)は、断面(だんめん)(切断した時の切り口です)がV字のようになる堀のことで、弥生時代(やよいじだい)の環濠集落(かんごうしゅうらく)にも使われている古くからある堀です。一番、無駄(むだ)なく掘ることができ、取り除かれる土砂の量も少なくすみます。同じ様に断面(だんめん)がレ字状になる、片側(かたがわ)がほぼ直角になる堀を片薬研堀(かたやげんぼり)といいます。山城の堀切(ほりきり)や竪堀(たてぼり)など、戦国時代の堀の多くは、どちらかの形の堀が多く使用されていました。
毛抜堀(けぬきぼり)とは、断面で見ると堀の底が丸みを帯びたUの字をしています。毛抜き道具のように見えるため言われた形の堀です。丸みを帯びているため、敵方が堀底を自由に動けないという利点があります。この毛抜堀の堀の底の丸みを帯びた部分を逆台形に掘り込めば、断面が逆台形の形をした箱堀(はこぼり)になります。
堀幅を広げていけば、当然堀の両側の斜面(しゃめん)が離(はな)れていきますので、平らで広い堀底(そこ)が生まれ、これもまた箱堀となります。箱堀は、近世城郭(じょうかく)に使用されているほとんどの大規模な堀があてはまります。山城にも少し見ることができますが、幅は決して広くはありません。
こうした狭(せま)いにも関わらず、断面がV字ではなく、取り除く必要のある土砂(どしゃ)量が多い箱型とするのは、堀の底を通路として使用する目的があったためで、堀底道(ほりぞこみち)とする場合は箱堀となる例が多く見られます。近世城郭に用いられた箱堀は、ほとんどが水を満面(まんめん)に溜(た)めた水堀でした。
これとは別(べつ)に堀の中に畑の畝(うね)のような区画を設けて、敵方が堀の底を自由に移動(いどう)出来ないようにした、他とは違った形の堀も存在しています。長い堀に、畝を一列に何本も入れたもの、広い堀に障子(しょうじ)の桟(さん)のように縦横に組んだものも見られます。
こうした形の堀は、「堀障子(ほりしょうじ)」または「障子堀(しょうじぼり)」と呼ばれています。いずれの形をとっていても、堀の中に障壁(しょうへき)(自由な行動を妨げるための壁です)を設けて堀底を仕切ることで、敵方が自由に移動(いどう)出来にないようにした工夫の一つです。
山中城の堀障子
堀中に畝(うね)状の障壁(しょうへき)を残(のこ)して、堀は蟻地獄(ありじごく)のように掘り下げられました。関東ローム層(そう)という滑(すべ)りやすいに土には最適(さいてき)の防御(ぼうぎょ)システムでした
今日ならったお城(しろ)の用語
水堀(みずぼり)※
水を引き入れた堀です。平地に城を築くと、自然に水が湧いてくることが多かったため、水堀にする城が多く見られます。運河としたり、城内の排水の処理施設にしたりして利用されました。
空堀(からほり)※
城を守るために、曲輪の周りや前面の土を掘って造られた、外側と連絡できないように断ち切った水の無い堀のことです。
内堀(うちぼり)
本丸を囲む堀、または一番内側にある堀のことを言います。
中堀(なかぼり)
本丸が三重の堀で取り囲まれていたいた場合の真ん中にある堀を言います。
外堀(そとぼり)
城の外郭を囲む堀。本丸を取り囲む数種類の堀があった場合は、一番外側にある堀を呼びます。河川や沼の一部を外堀としてりようすることもありました。
惣(総)構堀(そうがまえぼり)
惣(総)堀(そうぼり)とも言います。城下町まで含めて、その周囲すべてを大きく取り囲む堀のことです。
薬研堀(やげんぼり)
堀を切断した時の切り口がVの字になるような堀を言います。諸薬研堀とも言われます。山城に多く見られ、底を歩けないため、遮断戦にするために掘られました。
片薬研堀(かたやげんぼり)
薬研堀の片側がほぼ直角となり、断面がレの字のような堀のことです。
毛抜堀(けぬきぼり)
堀を切断した時の切り口がUの字になるような堀を言います。断面が毛抜き道具のようなのでこう呼ばれました。
箱堀(はこぼり)
断面が逆台形をした形の堀のことです。幅の広い堀の大部分がこれにあたります。幅の狭い箱堀は、底を通路として使用する目的がありました。
堀底道(ほりぞこみち)
堀の底を平らにして、通路とした場合堀底道と呼びます。山城で使用されました。
堀障子(ほりしょうじ)※
水の無い空堀(からぼり)の中を畝(うね)で仕切った堀を呼びます。後北条氏(小田原北条氏)の城で多く造られました。畝だけで仕切った場合を「畝堀(うねぼり)」、障子の桟やお菓子のワッフルのように「田」の字型の畝を配置した堀を「障子堀(しょうじぼり)」と呼んだりします。
※は再掲(さいけい)
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加藤理文(かとうまさふみ)先生
公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。