2022/10/24
超入門! お城セミナー 第129回【構造】石落って本当に石を落としたの?
お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。今回は城の防御に欠かせない「石落(いしおとし)」について解説します。敵の側面から矢を射る横矢、壁の穴から矢を撃つ狭間などとともに、重要な防御方法だった「石落」。でもその名の通り、ただの“石を落とすための設備”だったのでしょうか?
姫路城。大天守の1階にあたる部分の隅に飛び出しているのが石落。天守周囲や天守の石垣の下に敵が攻めてきた時、監視や反撃を行う
そもそも「石落」って何?
近世城郭を訪れて天守や櫓を外から見上げてみると、壁の一部が出っ張っていて、よく見るとその出っ張りの下に隙間が空いていることがあります。建物内部からだと壁ぎわの床あたりになりますが、これは一体何でしょうか? これは、「石落」という仕掛けで、簡単な説明とともにその箇所を示してくれている城が多いので、一般にも知られています。では、これは何をするためのものでしょうか? 答えは簡単。「石落」なんだから、石垣をよじ登ってくる敵の頭上に、この隙間から石を落とすためのものに決まっていますよね。
松本城の石落。松本城には渡櫓・乾小天守・大天守のそれぞれ1階部分に、合計11か所の石落が備えられている
現地でこう説明されていることも多いですし、江戸時代の軍学書にもその使い方として、「城壁の真下の敵には、窓や狭間(射撃用の小さな窓)から撃ち掛けることができない。だから、よじ登り始めた敵の頭上に石をお見舞いするのだ」といった内容の記述があるとか。
おまけに「そのほか、沸かした糞尿(!)や汚水を浴びせかけるのもよい。また近寄りすぎた敵はそこから槍で頭を突くべし(※要約)」と、『太平記』(軍記物語。あくまで「物語」)における楠公さんこと楠木正成の戦法そのままの記述まで。
南北朝時代、後醍醐天皇に尽くした楠木正成の活躍を描いた『絵本楠公記』(国立国会図書館所蔵)。攻めてくる敵に熱湯をかけるため、大鍋に湯を沸かしている楠木軍
石垣の下に攻めてきた敵に熱湯をかける楠木軍。赤坂城の戦いでは、熱湯をかけたり藁人形で欺いたり、外壁を二重にして敵が攻めてきたときに外側の外壁を崩して死傷させたり、数々の奇策で敵を翻弄したといわれている
そりゃあ石も沸かした糞尿もものすごくイヤですが、致命傷を負わせるのは難しそうですし、石落自体が大掛かりでかなり目立つので、その下を避けられたら、意味がないかも。残念ながらこれらは、実戦を知らない泰平の世の学者たちの思い込みが、間違って現代まで伝わった可能性が高いようです。
実際に検証してみると……
石を落とす攻撃を、簡単に検証してみましょう。石落の存在に気付かず、敵が石垣をよじ登り始めました。それ、石を落とせー! ……「むむむ、この隙間だと石の大きさはこぶし大くらいまでか。意外と小さいな」「左右に角度を付けて投げるのは厳しいぞ。真下に落とすだけだ」「あらら、石垣が裾広がりだから、下の方の敵に当たる前に石垣のカーブに当たってしまう!」……どうやら狙って勢いよく投げることは難しく、効果はあまり高くないようですね。
「ここから弓矢を放つ」とも伝わっているようですが、石落の張り出し部分も、その開口部(隙間)も、弓を引くには極めて難しそうな狭さです。「たいそうな見た目の仕掛けなのに、ただのこけおどしだったの?」と、ガッカリしてしまいそうですが……その前に、これを見てみて下さい。
高知城天守内から見下ろした石落。ここから真下に鉄砲が撃てそうだ
石落は、姫路城(兵庫県)には「出狭間(でさま)」、和歌山城(和歌山県)には「袋狭間(ふくろさま)」といった別の呼び方があるそうです。なるほど、「射撃用」の狭間の一種だと考えてみれば、ガラリと印象が変わります。この隙間に、石ではなく鉄砲の銃口を差し入れてみればどうでしょうか。……「おお、鉄砲なら真下を向いた細い隙間でも、前後左右にそこそこの角度をつけられるぞ」「これなら狙って撃てる!」……こちらの方が有効利用できそうですね。下に向けると弾が転がり落ちそうですが、当時の銃弾は意外にいびつな形だったそうですし、弾や火薬と一緒に紙や布を銃口に差し込む撃ち方もあったとか。また、狭間だと意識すると「真下の死角もなくせる」ということにも気が付きます。
ということで、現在のところ「石落は石を落とすためのものではなく、真下を向いた狭間であり、鉄砲で狙い撃ちするための設備だった」という理解でよさそうです。
高知城本丸北面の石落。先端が尖った忍返しとセットになっている。高知城の忍返しは、現存天守で唯一残されている貴重なもの
最後になってしまいましたが、石落の種類を紹介しておきます。最も多いタイプが、外壁の裾を袴のように斜め外側に張り出させた「袴腰型」。ほかに雨戸を収納する戸袋のように張り出した「戸袋型」、そして幕府の城に多い、出窓の張り出しを利用した「出窓型」があります。この3つのうち、出窓型だけが壁の隅部ではなく中央に設けます。
また、櫓門では外に張り出さず門扉手前の真上に設置。われわれ現代の登城者には、この櫓門の石落がいちばん身近で、ここから銃口がニュッと出てくると思うとゾッとしますよね。そして往時は長い土塀にも数十m間隔で石落を設けたそうで、その姿を想像すると、やっぱり「狭間っぽい」気がしますよね。石落を建物内部から見ると、たいてい金具付きの蓋がかぶせてあるので、そのあたりの細かい工夫にも注目してみてくださいね!
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「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。主な制作物に、戦国時代を地方別に紹介・解説する『地域別×武将だからおもしろい 戦国史』(朝日新聞出版)や、お城の“どうしてそうなった!?”な構造や戦国武将との奇妙な関係を紹介する『ざんねんなお城図鑑』(イカロス出版)、など。戦国武将が自分の居城やお城の基礎知識を教えてくれる『戦国武将が教える 最強!日本の城』(ワン・パブリッシング)が2022年6月から好評発売中!