理文先生のお城がっこう 城歩き編 第27回 石垣の構造と築き方(作り方)

加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」の城歩き編。27回目の今回は、石垣の作り方について。コンクリートもなかった昔の時代に、どうやって石材を崩すことなく高く積み上げることができたのでしょう?



■理文先生のお城がっこう
前回「城歩き編 第26回 石材の調達と運搬方法」はこちら

前回(第26回 石材の調達と運搬方法)は、石切丁場(いしきりちょうば)などからどのように石材を調達したかについて考えてみました。今回は、城内に運び込(こ)んだ石材をどのようにして積み上げ、石垣(いしがき)を築(きず)き上げたかについて勉強しましょう。

私たちが目にする石垣は、実はその表面に見えている部分より、普段(ふだん)は見えない裏(うら)側の部分の面積の方が多いのです。見えない裏側の部分で、いかに崩(くず)れず石を高く積み上げるかを工夫していることになります。

石垣が高くなればなるほど、安定して積み上げるのが難(むずか)しくなります。石垣が使用され始めた頃(ころ)は、土が流れないようにする土手の役割(やくわり)でしかありませんでした。そのため、専門家でなくても積める1mから2m程度(ていど)の高さしかなく、素人(しろうと)が少人数でも積み上げることが出来たのです。時代と共に、石垣が防御(ぼうぎょ)のための施設(しせつ)になり、さらに上部に建物を建てるようになったことで、専門(せんもん)的な知識(ちしき)と技術(ぎじゅつ)を持つ工人が必要とされるようになったのです。

石垣の基礎工事

石垣を安全に支(ささ)えるための基礎(きそ)は、地盤(じばん)(基礎を支える地面のことです)の強固な場所と弱い場所によって大きく異(こと)なります。強固な地盤の場合は、地面を掘り下げ根石(ねいし)(最も下の段に積まれる石垣の基礎となる石材のことです)を動かないように固定し、そこから石材を順番に上へと積み上げていくことになります。根石をより強固にするために、掘(ほ)り下げた部分に栗石(くりいし)(木の実大の2~3cm程度の石のことです)と呼(よ)ばれる小石を突(つ)き固め、その上に据(す)える場合もありました。また、岩盤を利用して、根石が据わりやすいように岩盤を加工し、そこに根石を置いている事例も多く認(みと)められます。

岡山城、石垣
岡山城本段南面西側隅角の根石部分。隅角の真下に巨岩が位置し、石垣はこの上に築かれています。隅角部が、偶然巨岩の上に来たのではなく、強度を持たせる目的で、あえてここに本壇の隅角を持ってきたのでしょう

地盤の軟弱な低湿地(低い所にあるじめじめした土地で、水はけが悪く水が溜まっている場所もあります)に築く場合は、胴木(どうぎ)と呼ばれる太い丸太材(まるたざい)(皮をはいだだけの材木のことです)などの上に根石を据えることが多く見られます。

木材は、水の中にある限(かぎ)り腐(くさ)ることはありませんが、より丈夫(じょうぶ)な方が良いと判断(はんだん)したためでしょうか、胴木には、耐水性(たいすいせい)(水を吸(す)ったり、水によって変質したりしない、水に対して強い性質(せいしつ)のことです)に優(すぐ)れたマツやシイ類が多く用いられていました。胴木は直接(ちょくせつ)地面に設置(せっち)するのではなく、丸太材や角材を補助(ほじょ)材として敷(し)き、その上に胴木が置かれたのです。胴木には石垣全体の荷重(かじゅう)(物体に働く力のことです)が架(か)かるため、その荷重を分散するために梯子(はしご)のような形に組み合わせることもありました。

清須城、石垣
清須城織田信雄段階の石垣及び胴木等の移設展示。発掘調査で検出された胴木と石垣の状況を伝えるために移設された石垣です。五条川が形成する軟弱地盤にあたるため、胴木の付設は極めて丁寧でした

一度地面に据えた胴木が動くことを防(ふせ)ぐために、胴木の前後や左右に数多くの留杭(とめぐい)(杭を打ち込み、胴木の動きを防ぐためのものです)が打ち込まれました。この留杭のことを「キネコ」と呼んでいます。キネコの変わりに、胴木の周囲(しゅうい)に栗石を詰(つ)めて胴木を固定することもありました。水堀(みずぼり)の場合、胴木だけを埋めるのではなく、根石部分までも多くの栗石によって埋めてしまうケースも見られます。

いずれにしろ、根石がまちまちに沈下(ちんか)(地盤が沈む現象のことです)すると、多量の石材の組み合わせによって成り立つ石垣は、たちどころに全体が崩れ落ちてしまいます。わずかな不同沈下(ふどうちんか)(ふぞろいに沈むことを言います)もおきないように、万全の工夫が凝(こ)らされていたのです。

断面、石垣
石垣の断面構造。石垣は、崩れにくく高く積み上げるために様々な工夫が施されていました。重要なのは内部で、特に裏込め石の厚さが重要な役割を果たしていました

石を積み上げる

こうして完成した基礎の上に、下から順番に石材を積み上げて石垣が完成します。

石垣の角部分は、隅角部(すみかどぶ・ぐうかくぶ)と呼ばれ、関ケ原合戦後の完成域(いき)に達した石垣の角は、算木積(さんぎづみ)(直方体の石を交互(こうご)に組み合わせる積み方です。石の形が占(うらない)や計算に用いる算木に似(に)ているところからこの名がついたと言われます)となります。算木積の短い辺の側の脇(わき)に置かれた石は、角脇石(すみわきいし)と呼ばれ、長い辺の部分とほぼ同じ長さになるような石材が用いられていました。隅角部根石の上に載(の)せる隅(角)石(すみいし)を「一番角石」といい、一石積み上げるごとに二番角石・三番角石と呼んでいます。

隅角部以外を構成(こうせい)する石垣は築石(つきいし)(積石(つみいし))部と呼ばれています。築石部に用いられた石材と石材の隙間(すきま)を埋めるために詰められた石は間詰石(まづめいし)と言います。戦国時代などの古い時期は、自然の石が利用されていましたが、時代が下がると隙間にちょうど納(おさ)まるように割(わ)って加工された石材が用いられるようになりました。石垣の最頂部(もっとも上側に位置する部分のことです)の石は天端石(てんばいし)といいます。石の上の面を平に加工し、水平にすることが多く見られるのは、この上に建物などが構築されるためです。

石垣は、石材と石材を組み合わせて積まれています。基本的には短い辺の部分を表面に出し、長い辺の部分が裏側に利用されました。その際、石材同士の後の部分の隙間を動かないように固定するために挟(はさ)まれた小石を飼石(かいいし)と呼んでいます。そのさらに背後には、裏込石(うらごめいし)と呼ばれる排水(はいすい)のための栗石がぎっしり詰められていました。

こうして石垣が完成すると、その上に必要な建物を建てる工事が開始されます。

大坂城、石垣
完成域に達した徳川大坂城天守台の北西面。隅角の算木積は、長短の長さが大きく異なるため、角脇石は1石だけでなく2石が挟まれています。築石部も、加工石材が利用され、間詰石も少なく、より切込接に近い形状となっています

今日ならったお城の用語(※は再掲)

根石(ねいし)
石垣のいちばん下に据えられた基礎になる石のことです。

栗石(くりいし)
木の実程度の大きさの小石のことです。根石をより丈夫に据えるために、実際(じっさい)はこぶし大の大きさまでの石を突き固めて、根石の角度や座(すわ)りを調整したりしています。

胴木(どうぎ)
地盤の弱い場所や水堀に面した石垣の根石の下に、不同沈下を防ぐために据えられた丸太材や材木のことです。丈夫にするために梯子のように組み合わせることもありました。腐食(ふしょく)に強く、耐水性に優れたマツやシイ類が多く用いられていました。

※隅角部(すみかどぶ・ぐうかくぶ)
石垣が他の石垣と接して形成される角部(壁面が折れ曲がっている部分)のことです。曲輪側に対して外側に折れている隅角を「出隅」(ですみ)と言い、内側に折れている隅角を「入隅」(いりすみ)と言います。

※算木積(さんぎづみ)
石垣の隅部で、長方形に加工した石材の長辺と短辺が、一段ごとに互(たが)い違(ちが)いになるように組み合わせて積む積み方をいいます。天正年間(1573~92)頃(ごろ)に始まりますが、積み方として完成したのは慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後のことです。

角脇石(すみわきいし)
算木積の隅石の短い辺の隣(となり)の石のことです。上と下の長い辺の石材に挟み付けられることによって、石垣の隅の部分を一体化させて強固にするための目的がありました。

隅(角)石(すみいし)
石垣の出隅部分に使用される石のことです。隅以外の普通(ふつう)の部分で使う石より大きめのものを使い、また加工の程度も高い傾向(けいこう)が見られます。

築石(つきいし)
積石とも言います。石垣の本体を構成する石材で、隅以外の普通の部分に積まれた石垣のことです。

天端石(てんばいし)
石垣のもっとも上側に位置する部分に置かれた石のことです。石の上の面を平に加工し、水平にしたり、上に置く柱の形に合わせて加工されたりすることもありました。この石の上に建物などが構築されるためです。

飼石(かいいし)
石材の背面や上下の隙間に配され、石材の緩(ゆる)みを防止し、石を安定的に固定させるための石のことです。石材の控(ひか)え(後ろ側)に入れるものを友飼石(ともがいいし)、上下間に入れるものを胴飼石(どうがいいし)、左右の隙間に入れるものを迫飼石(せりがいいし)といいます。

※裏込石(うらごめいし)
石垣内部の排水を円滑(えんかつ)に行う役目を持って、石垣の裏側に詰められた小石(栗石)のことです。古くは自然石が用いられていましたが、後に石垣を形よくはめ込むために割った残りの割れ石が用いられるようになります。裏込が不十分だと、大雨の時など石垣が崩壊してしまう恐(おそ)れがあります。雨水は小石同士の隙間を流れて石垣下に排水され、水圧(すいあつ)で石垣が崩壊するのを防ぐ役目を持っていたのです。


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加藤理文(かとうまさふみ)先生
加藤理文先生
公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。


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