城と光秀|小和田哲男 第7回 光秀の妻熙子の育った妻木城

明智光秀の妻は『細川家記』(『綿考輯録』)などによって熙子(ひろこ)といわれている。字は凞子とも書かれる。妻木勘解由左衛門範煕(つまぎかげゆざえもんのりひろ)の娘なので熙子とよばれるようになったものと思われる。なお、父親については、妻木は妻木でも、妻木藤右衛門広忠とする説もあるが、この点については後述する。では、この妻木氏とはどういう家だったのだろうか。光秀の明智氏とどのように関係するのかをまずみておきたい。『美濃国諸旧記』巻11では、妻木氏を「明智の一家」としている。つまり、明智氏からの分かれというのである。
妻木氏関係の系図を調べると、「明智系図」との関係をつぎのようにしている。

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