城と光秀|小和田哲男 第8回 光秀の丹波経略の拠点亀山城

天正3年(1575)6月、明智光秀は織田信長から丹波経略を命ぜられる。丹波は山城の隣国で、畿内を征圧したはずの信長だったが、抵抗勢力が根強く残っていたのである。

このとき、光秀がターゲットとして選んだのは氷上(ひかみ)郡黒井城の荻野直正だった。荻野直正は赤井悪右衛門の名でも知られ、武田勝頼らと連絡を取りあい、丹波における反信長勢力のリーダー的存在だったからである。

はじめは、多紀(たき)郡八上(やかみ)城の波多野(はたの)秀治が光秀軍に加わってきたので、順調に進んだが、翌4年1月に入って、突如、波多野秀治が荻野直正側についたため、黒井城攻めは失敗し、光秀は坂本城に逃げ帰っている。

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