2019/09/04
城と光秀|小和田哲男 第8回 光秀の丹波経略の拠点亀山城
本能寺の変で織田信長を討った武将として知られる明智光秀。2020年・2021年放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』では、主人公としてその人生が描かれました。『麒麟がくる』の時代考証を担当される小和田哲男先生による連載「城と光秀」の第8回目。織田信長より丹波経路を命ぜられた光秀が、亀山を城地として選び、築城したのかについて掘り下げます。
黒井城攻めから亀山城攻めへ
天正3年(1575)6月、明智光秀は織田信長から丹波経略を命ぜられる。丹波は山城の隣国で、畿内を征圧したはずの信長だったが、抵抗勢力が根強く残っていたのである。
このとき、光秀がターゲットとして選んだのは氷上(ひかみ)郡黒井城の荻野直正だった。荻野直正は赤井悪右衛門の名でも知られ、武田勝頼らと連絡を取りあい、丹波における反信長勢力のリーダー的存在だったからである。
はじめは、多紀(たき)郡八上(やかみ)城の波多野(はたの)秀治が光秀軍に加わってきたので、順調に進んだが、翌4年1月に入って、突如、波多野秀治が荻野直正側についたため、黒井城攻めは失敗し、光秀は坂本城に逃げ帰っている。なお、このあと、光秀の八上城攻め・黒井城攻め(第2次)と続くが、その詳細はこの連載の第9回のところでふれることにする。
本拠地の坂本城から丹波まではかなりの距離がある。そこで光秀は、丹波経略の拠点となる城が必要と考え、丹波の中でも、近江・山城に一番近い桑田郡の亀山を城地に選んだ。現在の京都府亀岡市で、丹波の入口にあたるので口丹波などともいわれている。
この桑田郡にも、宇津(うつ)氏および内藤氏といった抵抗勢力がいたが、光秀は宇津氏の余部(あまるべ)城(=丸岡城、亀岡市余部町)を奪って、そこを内藤氏の拠る亀山城(亀岡市荒塚町)攻めの拠点とした。亀山城の西1キロほどの場所である。
余部城址
内藤氏は丹波の守護代で、内藤定政が抵抗勢力の中心だったが、その定政が没し、幼い子があとをついだばかりという時期をねらって、光秀は天正5年(1577)10月16日、坂本城を出陣している。
ちなみに、たしかな史料に亀山という名が見えるようになるのは、光秀が内藤氏との戦いを本格化させるようになってからで、内藤氏の時代には、亀山城という城名は確認できていないが、諸書に亀山城と書かれているので、ここでも、亀山城攻めとしておくことにする。
亀山城址内堀
城主が幼いので、家老の安村次郎右衛門がとりしきっていた。光秀はその安村次郎右衛門に勧降工作をはじめている。しかし、それに乗ってこなかったので戦いとなり、攻防は三日三晩続いたという。結局、城側から降服の申し出があり、開城となった。注目されるのは、このとき、降服してきた内藤氏の家臣が光秀家臣団に多く組み込まれている点である。このあと、光秀の重臣として取り立てられる並河掃部(かもん)・四王天(しおうてん)但馬守らで、信長では考えられない。
光秀の築いた亀山城
では、光秀による亀山城の築城はいつのことなのだろうか。亀山城の攻防戦があったのを天正5年10月としたのは細川氏の記録『綿考輯録(めんこうしゅうろく)』(又の名を『細川家記』)に拠ったが、実は、たしかな古文書によって、それ以前より「亀山惣堀普請」という文言が見えるのである。
大東急記念文庫所蔵「小畠(こばたけ)文書」に、天正5年と推定される正月晦日付の光秀書状があり、そこに、「亀山惣堀普請」のため、船井郡の国衆小畠左馬進・長沢又五郎らに、鋤・鍬・畚(もっこ)などを持って参集するよう命じていたことがわかる。天正5年正月の時点では亀山城はまだ落ちていないので、この「亀山惣堀普請」は、亀山城を攻めるための土木工事のことをいっているのかもしれない。
ちなみに、「亀山城地録」には、天正7年(1579)に、光秀が余部丸岡城の東に縄張して亀山城としたとしており、本格的な築城開始はそのころと思われる。
亀山城址石垣
丹波国桑田郡の地誌として、江戸時代、亀山藩士矢部朴斎の著わした『桑下(そうか)漫録』(永光尚氏蔵)にも亀山城築城の様子が記されており、それによると、縄張は光秀の娘婿明智秀満とする。他の史料による裏づけは取れていないが、その可能性はあるかもしれない。また、築城にあたり、近くの寺院や神社の扉や敷石などが資材として運び込まれたという。
光秀が築いた亀山城は、桂川の氾濫からも安全な小高い丘陵の上に築かれており、その南を通る山陰道を取り囲むように城下町が形成されている。光秀が丹波経略の拠点とし、坂本城とともに自らの居城としたこともあり、近世城下町亀山(明治初年、亀岡と改称)の基礎を築いたとして、光秀は現在の亀岡市民に慕われている。
なお、現在、城址は大本(おおもと)教教団の聖地となっている。
▶第9回「八上城攻めと黒井城攻め」はこちら
▶城と光秀 その他の記事はこちら

執筆/小和田哲男(おわだてつお)
公益財団法人日本城郭協会 理事長
日本中世史、特に戦国時代史研究の第一人者として知られる。1944年生。静岡市出身。1972年、早稲田大学大学院文学研究科 博士課程修了。静岡大学教育学部専任講師、教授などを経て、同大学名誉教授。
著書 『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(中央公論新社、2010)
『明智光秀・秀満』(ミネルヴァ書房、2019)ほか多数









