超入門! お城セミナー 第132回【構造】お殿さまはどんなお風呂に入っていたの?

お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。今回は城内のお風呂について。今も昔もお風呂好きな日本人。お殿様も例外ではなく、お城にもお風呂がありました。現存遺構は非常に少ないため謎が多いですが、復元遺構や史料からお殿様のお風呂事情をうかがい知ることができます。

草津温泉
全国各地で温泉が湧く日本では、古くから温泉・風呂が愛されてきた。武田信玄・豊臣秀吉のように、温泉を愛する戦国大名も多く、江戸幕府を開いた徳川家康もその1人であったという。写真は日本を代表する温泉郷の一つ草津温泉(PIXTA提供)

お風呂が大好きだった江戸っ子たち

この連載で以前、お城のトイレについて取り上げたことがありましたが(第120回【構造】お城ではトイレってどうしていたの?)、今回はお城のお風呂についてのお話です。本題前にまずは、上水が整備されたことでお風呂文化が花開いた江戸時代の、庶民のお風呂事情をのぞいてみましょう。江戸時代、庶民の家や長屋には火事防止のために風呂場を設けることが禁止されていました。そのため井戸水をかぶる水浴びや、桶に水をためてつかる行水で体を清めることもありましたが、なんといっても娯楽や社交の場でもあった公衆浴場、銭湯が人気でした。

江戸時代、湯屋
江戸時代の湯屋の様子。浴室内は湯気を逃がさないために閉め切られていて薄暗かったため、盗難や痴漢などの犯罪が絶えなかったとも(『賢愚湊銭湯新話』より/東京大学図書館蔵)

もともと風呂といえばお湯を沸かしてその蒸気を浴びる蒸し風呂が主流でしたが、いつの頃からかお湯につかる湯浴(ゆあ)みスタイルも一般的になっていきました。当初は蒸し風呂が「風呂屋」、湯浴みが「湯屋」と区別されていましたが、のちに下半身は湯につかって上半身は蒸気を浴びる「戸棚風呂」が登場すると、その区別がなくなっていったようです。

湯浴み用のお湯はかなり熱いのでちゃぽんとつかる程度で出て、しばらく座って汗を出した後、洗い場で湯をかけながら糠袋(ぬかぶくろ/糠を絹や綿の袋に詰めてこする。ボディソープのようなもの)で体をキレイに洗いました。男湯にはハシゴでつながった2階があったりして、湯上がりにおしゃべりしたり囲碁や将棋を楽しんだりしていたとか。当初銭湯は混浴が多かったものの、寛政の改革の一環で「風紀が乱れる」ため禁止に。男湯と女湯に分けたり、男女で入浴日を分けたりといった対策が取られ、現代まで受け継がれます。

江戸時代、湯屋
男湯の2階。入浴とは別料金がかかるため、利用するのは裕福な町人や武士が多かった。人々の交流や情報交換の場にもなっており、風呂に入らず2階だけを利用する人もいたという(『賢愚湊銭湯新話』より/東京大学図書館蔵)

将軍・大名のお風呂事情

江戸っ子たちのお風呂文化はなんだか楽しそうですが、さて、城の主であるお殿様たちのお風呂事情はどうだったのでしょうか。お城のお風呂事情はあまり史料がなく謎が多いのですが、入浴はおもにくつろぐことが目的なので、お風呂は御殿のプライベートなエリアに設置されており、城によって(また身分や時代や好みにもよって?)蒸し風呂だったり湯浴みだったり、スタイルはさまざまだったようです。城の場合も風呂(蒸し風呂)・湯殿(湯浴み)の呼び分けはあったようですが、さほど厳密ではないようです。

伝わっているところによると、江戸城(東京都)での将軍のお風呂は、湯船のある湯浴みタイプに毎日入っていたようです。お湯は、各地の温泉から運んだり、ない時には薬草や果実で薬湯にアレンジしたりと、将軍の体調に合わせてセレクト。沸かしたものを桶で運び、湯船にためます。お湯の準備ができれば、「上様、どうぞ湯殿へ……」と、夕食前のお風呂タイムが始まります。脱衣所・湯船・洗い場の3区画(3部屋?)があり、着物の脱ぎ着は小姓が、糠袋で体を洗うのは小納戸(こなんど/若年寄配下の雑用係。理髪や食膳なども)が担当したそう。さすがは将軍。まさに至れり尽くせりです。将軍以下の大名たちのお風呂タイムも、小姓たちが忙しくお世話をしたとみられています。

とはいえ、お城好きの皆さんでも「そういえばお城でお風呂の遺構って見たことないかも」と思われる方が多いのでは? お風呂などのプライベート空間があったのは御殿の中ですので、現存御殿が少ないということは、やはりお風呂の遺構もほぼないということ。現在、お城その場所で見られるお風呂といえば、完全復元された名古屋城(愛知県)本丸御殿の「湯殿書院」などわずかです。これは将軍専用のお風呂で、名前は「湯殿」ですが、湯船のない蒸し風呂だったとの説明があります。そのため、湯を沸かして蒸気を発生させるための焚場(たきば)、蒸気を引き込み座って入浴する風呂屋、着替えのための揚場(あがりば)で1セットになっています。

名古屋城、湯殿書院
名古屋城に復元された本丸御殿の湯殿書院。中央の唐破風付き建物が湯殿で、外部の釜で沸かした湯の蒸気を取りこむ蒸し風呂だ

現存御殿では、二条城(京都府)本丸御殿の平面図に「湯殿」なるスペースがありますが、残念ながら現在長期のメンテナンス中で見学ができません。同じく希少な現存御殿のある川越城(埼玉県)では、残っている御殿内にはお風呂は見当たらず。でも、同市内の喜多院というお寺には、江戸城の紅葉山の別殿という貴重な御殿を移築した客殿が現存しており、3代将軍徳川家光誕生の間と伝わる部屋には、付属の湯殿と厠も残っています。

また、2022年に築城400年を記念して大規模な整備と博物館のリニューアルを行った福山城(広島県)には、初代藩主の水野勝成が使用したとみられる「御湯殿」(蒸し風呂スタイルだったようです)が昭和40年代に復元されています。本丸南側にあるのですが、湯上がり後には石垣上にせり出した高欄付きの物見の間で、くつろぎながら城下を眺められるようになっています。他の地方の城主もこんなふうにお風呂でくつろいでいたのでしょうか。江戸城や二条城で入浴する将軍には、おそらく不可能だったでしょう。また、福井県の養浩館庭園という藩主別邸跡地に残る庭園には、発掘遺構の上に直接復原された付属建物があり、ここにも「御湯殿」(ここも蒸し風呂)があります。屋敷全体に対してお風呂の占める割合がかなり高いそうで、これはお殿様がくつろぐための別邸ならではですね。

福山城、御湯殿
福山城の御湯殿(復元)。独立した建物として復元されているが、往時は本丸御殿と廊下続きだったという(PIXTA提供)

謎が多いお城のお風呂、少しイメージできたでしょうか? 風呂好き・温泉好きのわれわれ日本人、これだけお風呂の事例を見ると、がぜん温泉につかりたくなってきますよね。兵庫県の有馬温泉には、豊臣秀吉が造ったプライベート温泉の遺構がそのまま博物館になっている「太閤の湯殿館」があり、こちらでは蒸し風呂と岩風呂両方の遺構が見られます。また、“温泉県”熊本では、江戸時代に細川の殿様が日奈久温泉という所に藩営の浴室を作ったそうで、その館内は藩主用の「御前湯」、武士用の「お次ぎの湯」、平民用の「平湯」の3つに区画されていたとか(諸説あり)。その文化を語り継ぐ現在の日奈久温泉センターは、玄関の大きな唐破風がなかなかの風情です。お城のお風呂はちょっと無理なので、お城と温泉のセット旅でも計画しましょうか……。


執筆・写真/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。主な制作物に、戦国時代を地方別に紹介・解説する『地域別×武将だからおもしろい 戦国史』(朝日新聞出版)や、スタンプ帳付の子ども向けお城入門書『戦国武将が教える 最強!日本の城』など。24人の人気戦国武将が様々なテーマで戦いNo.1を争う『歴史バトル図鑑 最強!戦国武将決定戦』が2022年11月から好評発売中!

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