理文先生のお城がっこう 城歩き編 第46回 窓を開く

加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」の城歩き編。今回のテーマは、お城の天守や櫓に設けられた窓について。窓の一般的な役割といえば、室内の空気の入れ替えや外から光を取り入れることですが、お城の場合はそれ以外にも重要な役割があったのです。果たしてその役割とは? お城の様々な窓の種類を見ながら考えていきましょう。

(まど)は、照明の乏(とぼ)しかった時代には自然の光を取り入れる(採光(さいこう))ために非常(ひじょう)に重要な装置(そうち)でした。また外気を取り入れ内部の空気を排出(はいしゅつ)する(換気(かんき))ための通気口としても重要だったのです。窓とは、採光と換気を主な目的として設(もう)けられた壁面(へきめん)に付ける外に向かって開いている部分のことです。現在(げんざい)と異(こと)なって、出入りをするために使うことはありませんので、通常は腰(こし)の高さより高い位置に設けられることになります。天守や櫓(やぐら)に設けられた窓には、採光と換気の他にも、とても大切な役割(やくわり)がありました。今回は、窓の役割と種類や構造について考えてみましょう。

姫路城大天守、窓
姫路城大天守の窓。窓は、様々な場所に設けられていますが、いずれも縦格子を付けた格子窓になります。階によっては、上下2ヶ所に窓を設けたことが解(わか)ります

窓の役割

天守や櫓の窓は、明り取りや換気の役割は当然ですが、敵(てき)が城に迫(せま)って来た時に、敵方の動きを見張(みは)る物見の役割を持っていました。また、窓から鉄砲(てっぽう)や弓を放つなど、重要な攻撃(こうげこ)装置(そうち)でもありました。当然、壁(かべ)の開口部ですので、敵の侵入(しんにゅう)を防(ふせ)ぐために、丈夫な格子(こうし)が付けられました。格子とは、角材を縦横(たてよこ)の格子状(じょう)に組み上げた物を言います。中間に補強(ほきょう)用の水平材が入らずに、角材を縦方向に並(なら)べたものも格子と言いますが、より正しい言い方をするなら連子(れんじ)と言います。城によく見られる縦だけの格子の窓は、本来は「格子窓(こうしまど)」ではなく「連子窓」や「武者(むしゃ)窓」と呼ぶべきですが、今は縦だけの物も「格子窓」と呼(よ)ばれています。

格子窓、連子窓
本来は、左のように縦横に格子を付けた窓を「格子窓」、右側のように縦格子のみの場合を「連子窓」と言いますが、現在は共に格子窓と総称(そうしょう)しています

城の窓に、横方向の格子が無くなったのは、弓や鉄砲で外を狙(ねら)う時に、狙いが制限(せいげん)されてしまうだけでなく、下を狙う時に邪魔(じゃま)になって不便だからです。では、通常の窓に格子は何本入れるのかを考えてみたいと思います。天守や櫓の柱と柱の間隔は、1間(6尺(しゃく)5寸(すん)=約2m)ですので、格子の太さは3寸(約9㎝)程度(ていど)で、格子の間隔(かんかく)は、敵の頭が入らず、また弓矢を握(にぎ)った拳(こぶし)が入るようにするため、4寸か5寸程度開けなくてはいけません。そうすると、1間の窓で7本、半間では3本が標準になります。

格子窓

格子は、普通(ふつう)は正方形の断面(だんめん)となるような物を使いますが、特別に太い格子を使用する場合は、弓矢や鉄砲を左右に広く撃(う)てるようにするため、角を落として八角形や凹凸(おうとつ)の少ない五角形の格子を使用した例も見られます。

格子は、木で造(つく)られていますが、木材のまま使うと火災(かさい)で燃(も)えてしまう危険性(きけんせい)があるため、防火(ぼうか)のために表面に漆喰(しっくい)を塗(ぬ)り込(こ)めるのが一般的(いっぱんてき)です。さらに防火性能(せいのう)を上げるために、鉄板や銅(どう)板を張った例もあります。低い階の窓では、敵が近づく危険性を考慮(こうりょ)して、厳重(げんじゅう)に鉄格子としている例もあります。これでは、窓に取りついても容易(ようい)に壊(こわ)すことは出来ません。

格子窓、姫路城、大坂城
鉄格子の窓。鉄で縦横に組んだ姫路城の格子窓(左)と、格子に鉄板を張って強固にした大坂城大手多門櫓の格子窓(右)。どちらも、仮に敵が近づいても壊すことは不可能です

現在、国宝に指定されている犬山城(愛知県犬山市)や彦根(ひこね)滋賀県彦根市)、松江(まつえ)(島根県松江市)という、造られた年代が古い天守の窓の格子は、白木(しらき)(削(けず)っただけの木地のままの木材です)の部分が見られます。年代的には、犬山城の入母屋(いりもや)造りの部分が慶長(けいちょう)元年(1596)頃、彦根城が慶長11年、松江城が慶長16年以前ということになりますので、慶長年間頃(ごろ)までの城の格子は、まだ漆喰で塗り込められていなかったのかもしれません。

松本城、突上戸
軽くて薄(うす)い板製(せい)の戸(板戸)を、外側にはね上げて開く、極めて単純(たんじゅん)な構造(こうぞう)の戸が突上戸です。格子の隙間(すきま)から、棒(ぼう)で押し上げて開き、そのまま棒で突(つ)っ張って開けておきます。松本城の突上戸の幅(はば)は「半間」ですので、三間の窓だと6枚付くことになります。

窓の戸の種類

格子窓とは言え、戸が無ければ風雨が常(つね)に室内に入ってくることになるため、窓には必ず「戸」が付いています。その戸は、「突上戸(つきあげど)」と「引戸(ひきど)」が中心で、たまに「開き戸」が見られます。

突上戸

軽くて薄い板製の戸(板戸)を格子の外に上から蝶(丁)番(ちょうつがい)(戸や蓋(ふた)などを開閉できるようにするための部品です)壺金(つぼがね)(戸を開閉(かいへい)するためにとりつける輪の形をした金具です)を付けて吊(つ)り下げ、外側にはね上げて開く、極めて単純な構造の戸です。格子の隙間から、棒で押し上げて開き、そのまま棒で突っ張って開けておきます。棒を外せば、パタンと簡単(かんたん)に閉(し)まりますので、敵の攻撃を防ぐには極めて有効(ゆうこう)な窓でした。雨も、板を伝わって下に流れ落ちますので、雨水に対しても効果的でしたが、防火性が低いという欠点があります。

松江城、丸岡城、突上戸
外から見た松江城の突上戸(左)と、内部から見た丸岡城の突上戸(右)。棒で押し上げるだけの極めて簡易で役に立つ戸として、古い城に多く見られます

引戸

鴨居(かもい)(引戸の上枠(わく)で、溝(みぞ)が彫(ほ)られた部材のことです)敷居(しきい)(引戸の下枠で、溝が彫られた部材のことです)の溝にはめて、左右に開閉する戸のことです。分厚(あつ)い板戸の表面に漆喰を塗り込めた土戸(つちど)で、防火・防弾(ぼうだん)に優(すぐ)れた戸でした。土戸にすると重くなるため、動かしやすくするため、下框(したかまち)(引戸の下の枠のことです)の中に木製の戸車を付けたりもしました。土戸に当たった雨水は、敷居にたまってしまいます。そこで、敷居の溝の底に排水溝(はいすいこう)を開け、銅や鉛(なまり)の排水管を通して窓の外に水を流したのです。しかし、大雨の場合は排水が間に合わず、室内に流れ落ちてしまうこともありました。

窓、城、排水溝、排水管
敷居の溝の底につけた排水溝(左側の丸い穴)と、外から見た銅製の排水管(右)です

また、引戸は1つの柱の間に2つ入れて引違(ひきちが)いにするのが普通ですから、引戸にすると一間窓は半間しか開いてないことになり物見・射撃・採光のどれも不利になってしまいます。そこで、一本の土戸を片引(かたび)きにする窓が設けられたりもしました。

金沢城三十三間櫓、宇和島城天守、引戸
一つの柱の間に二つ入れて引違いにした、最も多くみられる引戸です。左は、一間幅の金沢城三十三間櫓の窓、右は半間幅の宇和島城天守の引戸です

開き戸

厚い板戸の外側に漆喰を塗り込めた土戸が、弧(こ)を描(えが)いて回転する戸のことで、内開きと外開きの2種類が存在(そんざい)します。使用例は少なく犬山城と高知城(高知県高知市)で、弘前(ひろさき)(青森県弘前市)の開き戸は銅製の扉(とびら)を使用しています。現存例は、この3城でしかありません。

弘前城、犬山城、開き戸
外側に銅製の開き戸を採用した弘前城(左)と、木製の戸に外側のみ漆喰塗りとした犬山城の開き戸(右)の例になります

華頭窓(かとうまど)

窓の形状(けいじょう)による名称の一つで、上枠を火炎(かえん)形(火灯曲線)または、花形(花頭曲線)に造った特殊(とくしゅ)な窓のことです。鎌倉(かまくら)時代に、禅宗(ぜんしゅう)寺院の建築(けんちく)とともに中国から伝来したもので、禅宗様の窓として使われていました。その後、天守建築の普及(ふきゅう)に伴(ともな)いそのデザイン性から、格式(かくしき)を上げる目的で城郭(じょうかく)建築の最上階に用いられるようになったと考えられています。禅宗以外の仏教寺院でもまた、仏教建築ではない神社や天守などの城郭建築、書院造(しょいんづくり)の邸宅(ていたく)に使われた例もあります。

火灯窓・花頭窓・架灯窓・瓦灯窓などとも表記されますが、読みはいずれも「かとうまど」になります。

彦根城天守、華頭窓
華頭窓は装飾(そうしょく)性が高く、天守最上階に使用されることが多くみられますが、彦根城天守では最上階(3階)と2階で合計18個もの華頭窓が使われています

今日ならったお城の用語(※は再掲)

格子窓(こうしまど)
窓枠に、角材を縦横の格子状に組み上げた窓を言います。中間に補強用の水平材が入らずに、角材を縦方向に並べたものは、本来連子窓(れんじまど)と言いますが、現在は格子窓と呼ばれています。                                                

突上戸(つきあげど)
軽くて薄い板製の戸(板戸)を鴨居(かもい)に蝶番(ちょうつがい)または壺金(つぼがね)でとりつけ、閉じる時は垂(た)れ下げ、開ける時は棒ではね上げて、そのまま棒で突っ張って開けておく戸のことです。

引戸(ひきど)
鴨居(かもい)(引戸の上枠で、溝が彫られた部材)と敷居(しきい)(引戸の下枠で、溝が彫られた部材)の溝にはめて、左右に開閉する戸のことです。

開き戸(ひらきど)
蝶番で止められた部分を軸(じく)に弧を描いて開閉する戸のことです。内開きと外開きの2種類が存在します。

華頭窓(かとうまど)
鎌倉時代に、禅宗寺院の建築とともに中国から伝来したもので、上枠を火炎形(火灯曲線)または、花形(花頭曲線)に造った特殊な窓のことです。

次回は「狭間(さま)をつくる」です。

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加藤理文(かとうまさふみ)先生
加藤理文先生
公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。

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