都道府県のお城シリーズ 【山梨県のお城】武田信玄のおひざ元!武田三代ゆかりの城を中心にめぐる

日本100名城・続日本100名城を中心に、各都道府県を代表するお城をご紹介する「都道府県のお城シリーズ」。今回は山梨県編です。山梨は、戦国時代屈指の名将・武田信玄のおひざ元! 武田三代が拠点とした武田氏館(躑躅ヶ崎館)や、堅城として知られる要害山城など、武田氏ゆかりの名城を中心に紹介します。

山梨県にあるお城は?

山梨県では12世紀に甲斐源氏が興り、その諸氏のうち武田氏が繁栄していき、16世紀には戦国大名として発展しました。武田氏は甲府の武田氏館を拠点に、領国支配と他国侵攻のために防御性の高い山城(中世城郭)を多く築きます。つまり、それぞれのお城をめぐってそれらの歴史を振り返れば、武田氏の歴史もたどることができるということ! ちなみに甲府市内には躑躅ヶ崎館、要害山城、甲府城があり、1つの市内に3つも城跡があるのは全国でも珍しいこと。お城めぐりにもってこいの街ですね。

武田氏館(甲府市・日本100名城)

武田氏館

武田信玄の父・信虎が永正16年(1519)に築いた方形の館。三方を山に囲まれた扇状地の開口部にあり、南には甲府盆地を一望することが可能。信玄の息子・勝頼が新府城を築いて移転するまで、3代にわたって60年あまり武田氏の本拠地として使用され、一般には「躑躅ヶ崎館」の名で親しまれています。

築城当初は堀一重の主廓部分でしたが、勢力を拡大していくとともに施設が増加。館の西隣には信玄の嫡男・義信の館として築かれた西曲輪、北側には食糧庫とされる味噌曲輪や大井の方(信虎の正室)の隠居所と伝わる御隠居曲輪などが並ぶという、戦国大名の居館としては全国最大規模に! 館の主郭の跡地には信玄を祀る武田神社が鎮座していますが、土塁や堀、枡形虎口・馬出・石積みなどの遺構が残っています。

所在地:〒400-0014 山梨県甲府市古府中町2611
アクセス:JR甲府駅からバスで10分、「武田神社」下車
楽しみ方:信玄を祀る武田神社は「強力な勝運」のパワースポットとして有名! 負けられない勝負を控える方は、そのご利益にあやかってみては?

要害山城(甲府市・続日本100名城)

要害山城

武田氏館が完成した翌年の永正17年(1520)、武田信虎が館の約2km北方にあたる背後の丸山に築いた山城。緊急時に立てこもる詰城として機能し、実際に大永元年(1521)に駿河勢が攻め入ってきた時は大井の方(信虎の正室)が要害山城へ避難(一説には、その時に太郎(のちの信玄)が生まれました)。勝頼が新府城へ移るまで、武田氏館とともに武田氏の領国支配の本拠地となりました。

要害山城には山腹から主郭へと至る山道に沿って、枡形虎口に伴う門と郭が連続的に付設され、竪堀や堀切が要所に防御のために設けられています。山頂の主郭は東西約73m、南北約22mの広さがあり、土塁で囲まれています。また山頂には「武田信玄公誕生之地」と書かれた東郷平八郎書の石碑も建っています。

所在地:〒400-0011 山梨県甲府市上積翠寺町
アクセス:JR甲府駅からバスで15分、「積翠寺」下車徒歩約15分
楽しみ方:登山口から山頂の主郭までは歩いて約30~40分。軽装ではなくきちんと山装備をしてから登城しましょう。

甲府城(甲府市・日本100名城)

甲府城

武田氏滅亡後、甲斐国は織田信長の領国となり、本能寺の変後は徳川家康が支配しました。その後、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が関東の徳川家康を封じ込め監視するため、領国の境界に位置する甲斐国に築いた甲府城。秀吉の命令で甥の羽柴秀勝、腹心の部下である加藤光泰らが築城を開始し、浅野長政・幸長父子によって完成しました。なお、江戸時代には甲斐国が幕府の直轄領となり、甲府城は幕末まで存続しました。

かつては約19haにも及ぶ広大な城郭で、現在の県庁南スクランブル交差点に追手門、甲府駅北側に復元された山手御門が北の玄関口、さらにその外側には二の堀・三の堀が開削されていました。現在は約6haの舞鶴城公園として開放され、園内には復元整備された門や稲荷櫓が見られます。現存する石垣は野面積みという技法で積まれたもので、往時の面影を今に伝えています。

所在地:〒400-0031 山梨県甲府市丸の内1-5
アクセス:JR甲府駅南口から徒歩3分
楽しみ方:坂下門には積まれた時代の異なる石垣が残っていて、技法の違いを見比べるのも楽しい。

新府城(韮崎市・続日本100名城)

新府城

長篠の戦いで織田・徳川軍に敗れた武田勝頼は、立て直しを図るため武田氏館からの本拠移転を計画。天正9年(1581)、七里岩の断崖絶壁の上に新府城を築きました。築城の際には、真田昌幸ら家臣たちが深く関わったといわれます。しかし、入城からわずか68日後、木曽氏の離反を受けた勝頼は新府城に自ら火をかけて岩殿山城を目指し、未完成のまま廃城となりました。

新府城は築城から入城まで1年足らずの短期間で造られましたが、丸馬出や三日月堀など武田氏が培った築城技術が随所に施されていて、武田氏の甲州流築城技術の集大成の城郭といえます。高低差130mもの地形が巧みに利用されていて、なかでも、堀の中に突き出た出構(でがまえ)が2箇所あるのが新府城の大きな特徴の一つです。

所在地:〒407-0262 山梨県韮崎市中田町中條上野字城山
アクセス:JR新府駅から徒歩約15分
楽しみ方:本丸跡付近には勝頼を祀る藤武神社が建立されていて、桜の名所としても有名!

岩殿山城(大月市)

岩殿山城
赤い城さんご投稿画像

享禄2年(1529)頃、甲斐国の国衆・小山田氏の居城として築城された岩殿山城。巨大な岩山である岩殿山(標高634m)の山上に断崖をめぐらせて築いた難攻不落の城で、「甲陽軍鑑」にも“三処の名城の一つ”と記されています。天正10年(1582)、織田信長が武田領に侵攻した際、城主・小山田信茂は織田方に寝返り、岩殿山城に落ち延びた武田勝頼を迎え入れなかったそうです。武田氏滅亡後は織田氏の家臣・河尻秀隆の支配下に収まりますが、後に徳川家康の所領となり、江戸幕府が開府した頃には廃城となりました。

岩殿山の一番高く展望の良い場所に本丸を設け、その下に二の丸、三の丸、さらに蔵屋敷、兵舎、番所、物見台、馬屋、揚城戸などの建物跡のほか空濠、井水、帯郭、烽火台、馬場跡がありました。本丸には烽火台が置かれ、物見台からの情報を収集して各所に指示を出していたそうです。現在は山頂付近を中心に遺構が残っています。強大な自然石で城門を狭く築いて敵の侵入を防いだという揚城戸跡も見どころです。

所在地:〒400-0031 山梨県甲府市丸の内1-5
アクセス:JR甲府駅南口から徒歩3分
楽しみ方:岩殿山は東京スカイツリーと同じ高さの634mで、天気が良ければ富士山が見えることも! 稚児落しを経由する登山ルートは岩場の迫力が圧巻です。

執筆/城びと編集部 画像/赤い城さん(岩殿山城)、そのほかニッポン城めぐり

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