超入門! お城セミナー 超入門!お城セミナーまとめ【歴史編 Vol.2】

初心者向けにゼロからわかりやすく解説する「超入門!お城セミナー」。私たちが現在当たり前のように見ているお城は、果たして何のために造られ、どのように使われていたのか? そうした改めて問われると答えに困ってしまう「お城の歴史」を紐解く記事をまとめましたので、ぜひ参考にしてください。



「日本一」と言われる江戸城。いったい何が「日本一」だったの?

徳川家康が幕府の本拠として築き、現在は皇居として使用されている江戸城(東京都)。このお城を評するにあたって「日本一」という形容がよく用いられますが、果たして何が「日本一」なのでしょうか。

その答えを紐解く前に知っておきたいのは、幕府の本拠である江戸城には、全国の諸大名に対して将軍家の威光を示す役割があったということ。この前提を踏まえると、何が「日本一」だったかおのずと想像がつくことでしょう。

江戸城、天守台
現在に残る天守台は、3代目の寛永期天守の焼失後に、4代目天守を建てる予定で築かれたもの。ただし、予算削減のため4代目天守は建造されなかった

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江戸時代の一大事業「天下普請」って何?

お城を築くためには、土木工事と建築工事が必要。江戸城のように城郭が巨大であれば工事の規模は大きくなり、当然のことながら多数の人員が必要となります。

では、昔はどうやって多数の人員を確保したのか? その答えは「天下普請」。「天下」は天下人、「普請」は土木工事のこと。そう、時の統一政権が諸大名に命令し、大規模な工事を手伝わせていたのです。

天下普請、天狗岩石切丁場
天下普請では石材が大量に必要となるため、大名たちは伊豆や小豆島など石の産出地に石丁場を設けた。こうした丁場跡では、現在でも石を切り出した痕や、使われなかった巨石を見ることができる。写真は大坂城の石丁場である天狗岩石切丁場

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日本の古代にお城があった!? 謎多き「古代山城」って?

江戸城の誕生からさかのぼること数十年、織田信長が総石垣の安土城(滋賀県)を築き、「石垣の城」という近世城郭の特徴を確立したとされています。

でも実は、それよりはるか以前の古代にも石垣を使った「古代山城」と呼ばれる城があったのです。では、いつごろの時代から本格的に「石垣の城」は築城されたのでしょうか? そしてその構造の特徴は?

鬼ノ城、石垣
岡山県鬼城山上に築かれた鬼ノ城。山頂全体にめぐらされた土塁と石垣は、圧巻の迫力だ

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お城を持てない大名はどんな所に住んでいたの?

「一国一城の主」という言葉があるように、武士にとって自分の城を持つことは最高のステイタス。でも、一国一城令が制定された江戸時代には、せっかく大名になってもお城を持てなかったというケースが珍しくなかったのです。

とはいえ国を治めるには、住居も役所も必要。そこでお城のない大名たちは、城の替わりになる住居兼役として「陣屋」を構えていました。

名張陣屋
名張陣屋(三重県)。藩主の住居や家臣との謁見の間などが現存している

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お城の近くにはお役所がある!?

立派な遺構が残っていてアクセスも便利な近世城郭に訪れると、市役所や県庁などの建物を近くに目にすることがよくありますよね。

実はそれ、偶然ではありません。全国各地のお城は、いわば地方行政の中心地。江戸時代から明治時代にかけての治世システムの変遷を見ていくと、その答えが浮き彫りになってきます。

名古屋城、名古屋市役所、愛知県庁
名古屋城(愛知県)の近くには名古屋市役所と愛知県庁が建つ。近代的なビルに天守風の屋根を載せた外観が特徴的である

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執筆/城びと編集部