萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第75回 金田城 古代から近代にワープ!「国境の島」ならではの異時代コラボ

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。75回目の今回は、大和朝廷が国境の島・対馬に築いた金田城(長崎県対馬市)です。古代山城の特徴をよく残した遺構の見どころを、国防の最前線ならではの設備にも注目しながらご紹介します。

金田城
東南角石塁

圧巻!古代山城トップクラスのダイナミック石塁 

金田城(長崎県対馬市)は、今から約1350年前に大和朝廷が九州北部を中心につくった古代山城のひとつです。天智2年(663)、日本(倭)・百済連合軍は、白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅連合軍に大敗。それを受け、同盟を結んでいた百済の貴族に指導を受けて国防のため築いたとされます。大和朝廷の九州における中心地であった大宰府を囲むように、水城(福岡県大宰府市)、大野城(福岡県大野城市)、基肄城(きいじょう。佐賀県三養基郡)などが築城され、その後、九州と朝鮮半島の間に位置する対馬にも金田城が築かれました。『日本書紀』によれば、金田城の築城は天智6年(667)。防衛目的の防人(兵士)が置かれ、通信手段の狼煙台が設置されたと記されています。

古代山城の特徴は、土塁や石塁が谷ごと囲み込むように山の峰や斜面にめぐらされていることです。大野城や基肄城の城壁はほとんどが土塁ですが、金田城の城壁はほぼ石塁。なんと、現状で総延長2.2キロの石塁が確認されています。高さはもっとも高いところで、約6.7メートル。金田城が築かれている城山は山のほとんどが石英斑岩(せきえいはんがん)の塊のため、これほどまでの石塁がつくれるのです。石塁の壮大さもさることながら、残存度も古代山城のなかでトップクラス。対馬の中央に広がる浅茅湾南岸の城山に築かれており、穏やかな黒瀬湾(浅茅湾)と石塁のコラボレーションもたまりません。

城戸(きど。城門跡)も見どころです。傾斜が緩やかな東側では、谷を塞ぐように巨石を積み上げた城門跡が4つ(一ノ城戸、二ノ城戸、三ノ城戸、南門)確認されています。一ノ城戸や三ノ城戸では、ほぼ垂直にそそり立つ石塁の底部に、排水溝(水門)も見事に残っていて驚きます。

中心部と考えられるビングシ山では、掘立柱建物跡が検出されています。その広さや数から考えると、かなり多数の防人が過酷な労働生活を送っていたよう。その望郷の念は、日本最古の和歌集『万葉集』の「防人の歌」にも記されています。

金田城、三ノ城戸
三ノ城戸

いつの時代も最前線!1200年の時を経て再利用

全国的にも類を見ない特筆点が、古代山城と明治時代の砲台の共存です。山頂付近に近づくと雰囲気ががらりと変わり、突如として砲台跡や弾薬庫跡など近代の片鱗が姿を現します。日露戦争時、山頂付近だけが改変され「城山砲台」として再利用されるのです。

ロシアは不凍港を求めて浅茅湾の占拠を狙い、これに対して明治政府は浅茅湾内にいくつも砲台をつくって備えました。浅茅湾に突き出す金田城も、当然ながら押さえておきたい重要な場所でした。戦国時代にも城を大改変して再利用するケースは珍しくありませんが、せいぜい20〜30年後。1200年後に再利用されるのは極めて稀で、さすがは国境の島・対馬と唸らせられます。

対馬海峡に浮かぶ対馬は、古代から日本と中国大陸を結ぶ交流の窓口となり、一方で外国との軍事的緊張が高まれば海に浮かぶ大要塞として国防の第一線となりました。城山砲台が全国の砲台のなかでもしっかりとしたつくりなのも、最前線の地ならではといえそうです。

金田城の登城道が整備されていて歩きやすいのも、実は明治時代に陸軍がつくった軍道だからです。緩斜面が続く計画的な道筋、馬車が通るための見事な一定幅。岩盤を大胆に削り込んだ、強引ともいえるほどの完璧な道筋です。よく見ると、芸術的に切石を敷き詰めた排水路も設けられ、対策も完璧です。陸軍の緻密な仕事ぶりに、当時の情勢、技術力や価値観を窺い知ることができます。

金田城、城山砲台
山頂の城山砲台

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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。