2023/07/05
家康を支えた徳川家臣団の城 家康を支えた徳川家臣団の城 第4回 高天神城
NHK大河ドラマ『どうする家康』の主人公・徳川家康が、三河国の領主から天下人へと駆け上がっていった陰には、優秀な家臣団の存在がありました。そんな家臣団にまつわるお城にスポットライトを当てる、小和田哲男先生の連載講座「家康を支えた徳川家臣団の城」。第4回は、今川氏から家康に寝返った小笠原氏助が城主を務めた高天神城です。この城を巡って戦国武将たちが繰り広げた歴史を紐解いていきます。
今川方の城から徳川方の城へ

高天神城全景(搦手から)
高天神城(静岡県掛川市下土方)は遠江の要衝として、今川・徳川・武田という三戦国大名の争奪の舞台となった城として広く知られている。
以前は、増田又右衛門・実父子の著わした『高天神城戦史』および藤田清五郎氏の著わした『高天神の跡を尋ねて』に依拠して、今川了俊(貞世)の築城後の城主として、山内久通・福島(くしま)基正・福島正成らの名前があげられてきたが、最近の研究では、史料的な裏づけが取れないとして疑問視ないし、否定される傾向にある。
それに対し、高天神城主としての存在が確認される福島左衛門尉助春という今川氏親(うじちか)の重臣がクローズアップされてきた。氏親の側室で、玄広恵探(げんこうえたん)の母となる福島左衛門の娘の「福島左衛門」と福島左衛門尉助春が同一人と考えられるからである。
しかし、天文5年(1536)の花蔵の乱で、玄広恵探側が敗れ、栴岳承芳(せんがくしょうほう)側が勝って今川家の家督を継いで今川義元となったため、福島氏は没落し、高天神城主の地位を奪われる結果となった。
それに代わって高天神城の城主として入ってきたのが小笠原春茂(春義・春儀)とその子氏助である。ちなみに、氏助の名を各種史料は与八郎長忠とするが発給文書の署名は氏助となっている。
この小笠原氏助が城主のとき、西の三河から徳川家康が遠江をねらいはじめたのである。永禄3年(1560)5月19日の桶狭間の戦い後、「三州錯乱」段階を経て、「遠州忩劇(そうげき)」という事態を迎えていた。家康が、遠江の今川家臣に寝返り工作を進めてきたのである。氏助がいつ家康の誘いに乗ったのかは正確にはわからないが、『寛政重修諸家譜』には、「永禄十一年おほせをうけたまはりて、高天神の城におもむき、一族美作守氏興をよび其弟右京進茂頼・惣兵衛清広を御味方に属せしむ。これにより四月九日、同族河内守某・勾坂加賀守某と三人連名の御感状をたまひ、十二年正月二十日、遠江国棚草・大坂・西戸・浜野・善能寺領等に於て、総て四百三十貫文余の地を宛行はるゝの旨御判物を下さる」とある。これによれば、氏興・氏助父子が家康に降ったのは永禄11年(1568)の4月以前ということになる。

的場曲輪
今川氏真が武田信玄によって駿府今川館を逐われたのは永禄11年12月13日のことであった。このとき、氏真は重臣筆頭の朝比奈泰朝の居城である遠江の懸川城(静岡県掛川市)に逃げ込み、そこで、家康による懸川城攻めがはじまるわけであるが、寝返ったばかりの小笠原氏助は、その懸川城城攻めに加わっている。
これ以後、高天神城主となった小笠原氏助は徳川軍の一員として各地の戦いに出かけることになり、元亀元年(1570)の姉川の戦い、同3年(1572)の三方ヶ原の戦いでも大活躍をしている。ところが、天正2年(1574)5月、高天神城は武田勝頼の2万5000の大軍に包囲されてしまった。軍勢の数は2万ともいうが、いずれにせよ大軍である。
武田・徳川の攻防の舞台となる
そこで小笠原氏助から浜松城(静岡県浜松市)の家康に援軍の要請が出され、家康から織田信長に同じく援軍を要請している。ところが、その時点で、信長はすぐ援軍を出すことができず、遅れてしまったのである。

堂の尾曲輪
勝頼は力攻めをすると共に、城主小笠原氏助に勧降工作も進め、「城を出てくれれば駿河国で1万貫の所領を与えよう」と伝えている。いつまで待っても援軍がこないことで、氏助はその誘いに乗ってしまい、6月17日に城を明け渡してしまった。結局、浜名湖のところまで援軍としてきていた信長は、開城ということを聞いて、すぐ兵をもどしてしまった。
結局、このあと、武田方の城となってしまった高天神城を取りもどすための戦いがはじまることになる。家康は、近くに横須賀城(静岡県浜松市)を築き、さらに、高天神城を取り巻く形で6つの砦を使って攻め続け、ようやく、天正9年(1581)3月22日、取りもどすことに成功している。
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執筆/小和田哲男(おわだてつお)
公益財団法人日本城郭協会 理事長
日本中世史、特に戦国時代史研究の第一人者として知られる。1944年生。静岡市出身。1972年、早稲田大学大学院文学研究科 博士課程修了。静岡大学教育学部専任講師、教授などを経て、同大学名誉教授。
著書 『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(中央公論新社、2010)
『明智光秀・秀満』(ミネルヴァ書房、2019)ほか多数
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