2017/12/27
マイお城Life マイ お城 Life | 香川元太郎さん[中編]城の復元イラストができるまで
生粋の城ファンや城を生業とする方々にご登場いただく連載「マイ お城 Life」。ゲストは前編に引き続き、城の復元イラストの第一人者である香川元太郎さん。今回はイラストができるまで、普段見ることができない香川さんの制作テクニックをうかがった。
復元イラストの着色作業を行う香川元太郎さん(撮影=畠中和久)
山城イラストは見る方向と角度がポイント
香川さんのイラストは暖かい。城の復元イラストでも合戦シーンでも、それが歴史考証イラストである以上、まず求められるのは正確性であり客観性である。説明的なイラストはえてして〝冷たく〟なってしまいがちだが、香川さんのイラストは暖かく温もりがある。温もりを醸し出しているのは、手描きの柔らかなタッチであり、香川さんの歴史に向ける深い理解と愛情であり、その朗らかな性格ゆえなのだろう。そしてイラストの持つ温もりが思考の余白となり、見る者を歴史の深みへ、または空想の世界へ誘ってくれる。
さて、取材では城の復元イラストの工程や技術についても根掘り葉掘り聞いてみた。制作スタイルやテクニックを隠すことなく開示してくれるのも、包容力のある香川さんらしい。一方で、テクニックの一端を見せても、一朝一夕で真似などできないという自負もあるのだろう。1枚の復元イラストが出来上がるまでには、想像していた以上の手間や技術があった。
香川さんの作業机。縄張図や各工程のコピーを机の周りに貼り、確認しながら制作が進む(撮影=畠中和久)
(香川)
城のイラストでも、山城を描くのと、近世の石垣の城を描くのでは手間も用いる技術も異なります。近世城郭では、天守など建造物をきちんと描くことが大切です。一方で山城は、城の構造や堀・土塁といった防御施設の配置が重要なので、地形と縄張を正確に起こすことが求められます。たいへんで手間がかかるのは、やっぱり山城ですね。
山城を描く場合、まず決めなければならないのは見る方向です。城の遺構を満遍なく見せて、なおかつイラストとして格好良く見える方向を探さないといけない。城を見下ろす角度も重要です。あんまり高いところから見下ろしてしまうと、山の反対側まで見えるので山が低く感じてしまう。逆に山を横から見ると、今度は側面だけしか見えずに縄張が伝わりにくくなる。理想は30度くらいの角度で見下ろすのがいい。山の向こう側は見えないけど、縄張の全体は分かるというのがポイントですね。あと、横長の城だったら横から見るんじゃなくて縦から見る。そうすると前景が大きく描けて迫力が出ます。
左は美濃金山城(岐阜県可児市/監修=中井均、提供=可児市教育委員会)。山の反対側は見えていないが、縄張は全体が描かれている。右は竹田城(兵庫県朝来市)。竹田城は南北に細長い城のため、南側から見た迫力のある構図となっている
(香川)
見る方向と角度に固執するのは、手描きなので後から修正ができないためです。ここが手描きのウィークポイントで、3Dデータなら位置情報のデータをインプットした後で、グリグリしながら1番良い角度を探るということもできるんでしょうけど。ただ、デジタルにはデジタルのデメリットも多くて、僕はまだまだ手描きのメリットのほうが大きいですね。
碁盤目を用いたオリジナルの技法
今回の取材前、香川さんには別媒体で山中城(静岡県三島市)の復元イラストの制作をご依頼していた。初挑戦となった山中城の制作にやりがいを見出していただき、タイトなスケジュールを無理言ってお願いした仕事だった。この山中城の制作を題材にして、工程の説明を続けてもらった。
描く方向と角度を決定したあとは山の地形を描いていくのだが、この作業がとても難しく・・・。
(香川)
山中城の場合、激戦となった岱崎出丸と一の堀を前面に見せたほうがよいと思い、イラストの方向はわりと迷わず決まりました(註:山中城は小田原攻めで侵攻した豊臣軍と北条軍が衝突し、岱崎出丸で激戦が繰り広げられた)。城を描く場合は、どの時代の何年頃の城の姿なのかを決めないといけないのですが、この点でも山中城の場合は豊臣軍の攻撃を受ける直前にしようとすぐに決まり、籠城に備えて城に入った兵士たちの仮小屋も多めに描こうと構想しました。
さて、方向と角度が決まったら地形の描写になります。[図面1]をご覧ください。右は縄張図に、左は等高線の入っている地図にメッシュ(碁盤目)を書いたものです。これで縄張図の標高を特定できます。
[図面1]メッシュ(碁盤目)を記した縄張図と地図
(香川)
その後、縄張図を斜めから見たパース(遠近法)画に起こしていきます。[図面2]は、下に遠近法で描いたメッシュを置き、上に地形の下絵を描いている紙を置いています。このようにライトテーブルで下から照らして、この地点は標高520m、この曲輪は標高540mと、メッシュをずらしながら位置を決め、割り出した地点をもとに地形や縄張を描くのです。本当は高さによってパースラインが少しずつ縮んでいくはずなのですが、そこは誤差の範囲ですし、経験値で補っています。よく、「復元イラストは航空写真を用いて描くんですか」と聞かれるのですが、この手法を用いれば、航空写真やドローンがなくても、どの角度からでも描くことができます。
[図面2]メッシュを下に敷き、高さを確認しながら地形を描く
(香川)
ちなみに山中城では初め、[図面3]の上の遠近差の大きいパースで描いていたのですが、これだと岱崎出丸は大きくて迫力があるのですが、本丸方向が小さくなっちゃったんですよ。そこで、遠近差の小さい、やや上から見た角度に変更して描き直しました[図面3の下]。半日ほど時間のロスになってしまったのですが、上の下絵だと「これで行こう」とはどうしても思えず・・・。やはり、方向と角度を決定するのはいつも試行錯誤がありますね。
[図面3]パースの遠近差によって、下絵の角度も変わってくる
説明が悪く言葉足らずなこともあるが、上記の説明だけでメッシュを用いた地形と縄張の描き方を理解できた人がいたら、きっとパース画制作の訓練や勉強を受けてきた人か、天才的な空間認知能力の持ち主だろう。驚くのは、このやり方は香川さんが独自にあみ出した手法であるということだ。長年の試行錯誤によって誕生したものであり、歴史考証イラストとしては完全にオリジナルな方法なのだ。元々の才能に加えて、幼い頃からの迷路遊びで鍛えられたゆえの〝技〟なのだろう。
温もりのあるイラストを生み出す手作業での彩色
メッシュを用いた下絵が完成したら、線画→彩色という作業になる。ここまで来たら、完成までもう一歩だ。
(香川)
線画は、下絵をライトテーブルで照らしながら、シャーペンで描きます[図面4]。建物は濃いシャーペン、地形やケバの部分は薄いシャーペンと使い分けていますね。線画制作の注意点は、手の脂が紙に付かないようにすること。そのために手袋が必須です。
[図面4]下に下絵を敷き、なぞるように線画を描く
(香川)
線画が出来たら、最後は彩色です。ここまで来ると、あとは絵を描くという作業になる。大半は筆を用いており、細かい家の着色や木々の一本一本も筆で塗っています。背景色や川などはエアブラシを使います。作業手順は城によっても違いますが、おおよそは山や川、曲輪など大きい部分から塗っていき、建物や人物など細かい部分は最後になります[図面5]。
[図面5]細かい建物や人とそれらの影も、細かい筆で描かれる。ここまで来ると完成間近
(香川)
出来上がりが近づくと、不思議な高揚感とともに、「ようやく完成する!」という開放感が強いです。とはいえ、作成しないといけない作品は順番待ちしている状況なんですけどね(笑)。
山中城の完成イラスト。画像はイラストの初出となった加藤理文監修『完全詳解 山城ガイド』(学研プラス/2018年1月15日発売)の掲載ページ。
想像していたが、1枚の復元イラストが出来るまでには、多くの技術と根気が必要とされる。そして、ほとんどの工程が手作業で行われているという点が特徴だろう。イラストの持つ温もりは、手作業ゆえのものなのだ。
さて、今回はイラストの制作工程を一気通貫で説明してきたが、技術を身につけるだけでは城を描くことはできない。城を復元するために本当に大切なことは何なのか、次回の後編でうかがってみよう。
香川元太郎(かがわ・げんたろう)
1959年、愛媛県松山市生まれ。イラストレーター。日本城郭史学会委員。歴史考証イラストや図解が専門。主な著書に『47都道府県 よみがえる日本の城』『迷路絵本』シリーズ(ともに PHP研究所)、『歴群[図解]マスター 城』(学研プラス)、『日本の城 ―透視&断面イラスト』(世界文化社)など。雑誌『歴史群像』(学研プラス)では2000年以降、城の復元イラストを連載で発表し続けている。ホームページ「香川元太郎GALLERY」では、作品を閲覧できるほか、ブログも更新中。
写真=畠中和久
取材・執筆/かみゆ歴史編集部(滝沢弘康)
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。主な城関連の編集制作物に『日本の山城100名城』『超入門「山城」の見方・歩き方』(ともに洋泉社)、『よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書』『完全詳解 山城ガイド』(ともに学研プラス)、『戦国最強の城』(プレジデント社)、『カラー図解 城の攻め方・つくり方』(宝島社)、「廃城をゆく」シリーズ(イカロス出版)など。