日本100名城・続日本100名城のお城 【続日本100名城・新高山城(広島)】山全体が要塞化! 小早川隆景が築いた断崖絶壁の山城

「三本の矢」の話をご存知でしょうか? 1本の矢では折れやすいが3本矢を束ねると折れにくくなるという、毛利元就が3人の子供たちに説いた一族結束の教えです。その元就の三男・小早川隆景は小早川家に入り、次男・吉川元春とともに長男・毛利隆元を支えました。広島県にある新高山城(にいたかやまじょう)は、隆景が築いた巨大な山城! 元就や隆元も訪れたという城へ出かけてみませんか?(初回掲載:2019年7月10日。2023年8月17日更新)


戦国期に築かれた山城

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新高山城の登城口にある看板。親切に、竹のステッキが用意されている

天文21年(1552)に築かれた新高山城。小早川家の家督を継いだ小早川隆景の手によって、山頂にあった砦を修築し、東西約400m×南北500mの山城へと生まれ変わりました。

その構造は、大手道を守るように、山の中腹から飛び出た2つの尾根に曲輪を配置。山全体を城塞化し、曲輪の総数はなんと60以上もあったそうです! 山頂付近には、本丸や中の丸、東の丸、北の丸、西の丸など城の中枢部が築かれています。

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 沼田川の岸に築かれた山城。これからこの山を登ると思うとワクワクするような…ゾッとするような…

標高197.6mの新高山上部は粗粒花崗岩が露出しており、川に面した東斜面は急峻な崖が! とても攻め登れそうにない天然の要害です。登城する際は、トレッキングシューズを用意するなど、山登りの服装で。登り口から本丸まで約30分ほど登ります。

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新高山城・詰の丸から見る高山城

新高山城と併せて訪れたいのが、沼田川を挟んで対岸にある高山城(古高山城)です。築城年代は不明ですが、文献に初めて登場したのは南北朝時代の頃。小早川家が代々守ってきた古城で、現存する遺構は15〜16世紀頃に再整備されたと考えられますが、新高山城へ拠点を移すと共に廃城となりました。

城内に築かれた菩提寺「匡真寺」

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足元には瓦がたくさん残されている(文化財の持ち帰りは禁止です)

鐘の段、番所跡を通り抜け登城路を登って行くと、匡真寺(きょうしんじ)跡に出ます。小早川家の菩提寺でもある「匡真寺」は、隆景の父・毛利元就の七回忌や、母・妙玖の33回忌法要を執り行うために、天正5年(1577)に建立されました。

匡真寺跡には建物が残っておりませんが、毛利元就・隆元が新高山城滞在中に開かれた饗応で詠まれたという、連歌の碑が置かれています。

かつての痕跡を残す本丸と詰の丸

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本丸は削平された4段からなり、東西125mにも及ぶ広大な曲輪だった

かつて本丸の西面・北面は、石垣が積まれていたようですが、今やその石垣を見ることは出来ません。これは、小早川隆景が三原に新城を築いた時に、新高山城の本丸周辺の石を運んだためとされています。現在もゴロゴロと転がる大きな石は、当時の石垣の一部だったものでしょう。

本丸の土の表面には御殿の跡と思われるの礎石が点々と埋まっており、わずかながらも往時の面影が感じられます。

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新高山城のビューポイント! 景色もよく、とても気持ちよい

こちらは、本丸より高い位置にある詰の丸。トップまで登ると沼田川と本郷の町を望む絶景が待っています! 新高山城の南面には山陽道が通り、さらには、瀬戸内海から沼田川を上って山の麓まで船の往来ができる、利便性のよい立地でした。詰の丸からは交通路も丸見えです。

詰の丸は、岩盤や巨石が目立ち、なかには矢穴(石を割るときについた痕跡)のついたものも! 他にも石造物が置かれ、信仰のある山だった名残がうかがえます。

6つの井戸が見どころの井戸曲輪

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釣井の段も石垣が取り囲んでいたようだが、三原城の築城のために石が運び出されてしまったようだ
 
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立派な石積みの残る井戸。なかには、枯渇することなく水が溜まっている箇所も

本丸・大手門をくだると、釣井の段(井戸曲輪)へ! ここでは、立派な石積みや大きな6つの井戸を見学することができます。

春には、ヤマザクラやヤブツバキ、ツツジなどが見頃になり、ハイカーで賑わうスポットに早変わり! 山城は季節によって表情が変わる点も、楽しみの一つですね。

意図的に設けられた土の凸凹に興奮する!

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新高山城の北の丸から紫竹丸に向かうと現れる連続空堀群

山城を巡っていると「竪堀」という言葉を耳にすることがあります。 竪堀とは、山の斜面に沿うように上から下へと掘られた堀のことです。竪堀を設けることで、攻めてきた兵の横移動を阻止する効果があります。

新高山城では城の北西部に竪堀が連続して築かれており、戦国期の築城術を間近で見学することができるのです! 一般に、3本以上続く竪堀を「連続空堀群」もしくは「畝状竪堀」と呼びます。

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新高山城を楽しもう

新高山城は、三原城に拠点が移った慶長元年(1596)頃に廃城になります。小早川家、そして毛利家を支えたこの城は、今では本郷町のシンボルに! 山登り用の服装は必要ですが、ビギナーでも散策しやすい新高山城で、山城トレッキングを満喫しましょう。


新高山城の基本情報   
・住所:広島県三原市本郷町本郷
・電話番号:0848-64-9234(三原市文化課文化財係)
・開館時間:ー ※暗くなる前に下山しましょう!
・休館日:ー
・アクセス:山陽本線「本郷駅」から登城口まで徒歩25分。

いなもとかおり
 執筆/いなもと かおり
 お城マニア&観光ライター
 年間120城を巡るマニア。國學院大學文学部史学科古代史専攻卒。19歳の時に、会津若松城に一目惚れしてから城の虜となる。訪城数は600ほど。国内旅行業務取扱管理者、日本城郭検定1級、温泉ソムリエ、夜景鑑賞士2級の資格をもつ。城めぐりの楽しみ方を伝えるべく、テレビやラジオにも出演中。 ※2021年9月プロフィール更新