ナワバリスト西股さんと行く! ビギナー女子の山城歩き STEP3【新府城の弐】勝頼が自ら火を放った悲運の城の謎に迫る!

山城ってどういうところを見ると面白いの? そんな山城初心者の方のために〝ナワバリスト〟西股総生先生と実際に山城を歩きながら学ぶ「ビギナー女子の山城歩き」。前回に続き、新府城(山梨県韮崎市)。入城後わずか68日で、武田勝頼自ら火を放った悲運の城の謎に迫ります。帰りは、甲府城への寄り道も♪



新府城、大手口、三日月堀、丸馬出
新府城の大手口。三日月堀から丸馬出を見上げると、迫力満点だ

主郭手前の道に存在したかつての防御

——主郭へ続く二ノ曲輪東側の通路を、何も考えずに進む山城ビギナーの中村と武田勝頼ファンの伊達。そんな2人を西股先生が呼び止めた。

新府城、ニノ曲輪東側
二ノ曲輪東側を抜けると分かれ道にぶつかる。手前側に主郭、奥に三ノ曲輪がある。画像は三ノ曲輪方面へ繋がる道

西股総生:以下西股)
「2人とも、この道今までと違って広くて歩きやすいと思わない?」

(伊達レン:以下伊達)
「言われてみれば確かに、この道は整備が進んでるんですね!」

(中村蒐:以下中村)
「あっ!これはもしや、前回の茅ヶ崎城と同じ、後世の道パターンですね?!」

(西股)
「そう、この道は麓から主郭への車道で、土塁を断ち切って新たに造られたものです。ほら、ここの土塁、突然ちぎれてる感じがしない?」

(中村)
「ううーん、ちょっとイメージしにくいなあ」

(伊達)
「あ!縄張図を見てみたらわかるのかも」

新府城、縄張図、主郭、土塁、桝形虎口
 主郭の手前の道は現在は車道になっている。かつてはこのように土塁がもっと長く、主郭の入口は道をカクカクと折る枡形虎口であった

新府城、カーブ、土塁
今はゆるやかなカーブだが、かつてはこの画像のように土塁が張り出しており、直角に曲がっていた

(中村)
「当時の道なのか、後から造られたものなのか、ビギナーとしては言われないと気が付かないし、教えてもらっても当初の縄張をイメージするのが難しいです」

(西股)
「こればっかりは慣れですからね。最初は上手くイメージできないのは当たり前、山城に行けば行くほど目は養われていきます」

(伊達)
「早くイメージできるようになりたいなあ」

西股)
「さあ、もう間もなく主郭ですよ。お花見がてら昼休憩にしましょうか」

(伊達)
「うわー!いよいよ念願の勝頼公御殿跡ですね!」

新府城主郭、本丸
 分かれ道から数10メートルで新府城主郭(本丸)に到着!広々とした曲輪には数本のソメイヨシノとヤマザクラが植わっており、絶好のお花見スポットだ

新府城、神社
 主郭には後世に建てられた神社と公衆トイレがある。桜吹雪の下で戦国の世に想いをはせながらのランチタイム

発見!武田勝頼ファンなら必ず訪れたい聖地

——昼食を食べ終えた一行は、主郭の散策を始めた。

(中村)
「ソメイヨシノはもう散ってしまいましたね。南側にあるヤマザクラは九分咲くらいでしたが」

(伊達)
「私は勝頼公の館跡で休憩できただけで満足です!勝頼公も桜や桃の花を楽しんだのかな」

(西股)
「実は、勝頼はこの景色を見られなかったんですよ」

(伊達)
「あ、そっか!勝頼公は年末に入城して、2ヶ月ちょっとくらいで逃亡しますもんね!」

(中村)
「え、こんなに立派な城なのに在城期間はたったそれだけなんですか?」

(西股)
「いや、実際はさらに短かったと思います。新府城が完成した翌年には織田軍の侵攻がありましたから、この城でゆっくりする間もなく、出陣していたと思います」

(中村)
「勝頼は韮崎の桃や桜の花を見ることなくこの世を去ったのですね…」

(西股)
「この主郭の北側には勝頼やその家臣たちを祀る祠があります」

(伊達)
「ああ、勝頼公にご挨拶せねば!」

新府城、祠
 主郭の北側にひっそりとたたずむ祠。城の歴史にイメージをふくらませながらの散策も、また一興だ

(伊達)
「祠の裏は土塁になってますね、遠くに山が見えます!」

(西股)
「新府城は七里岩と呼ばれる台地の上に築かれているのですが、この台地は八ヶ岳が噴火したとき、溶岩や山体崩壊による岩石が流れ下ってできたものなんですよ。」

(中村)
「まさか、あのギザギザの山が八ヶ岳ですか?!」

(西股)
「その『まさか』です。八ヶ岳の山並みがギザギザなのは、そのときの衝撃によってできたものなんですよ」

(伊達)
「ひえー、あんな遠くの山の溶岩がここまで流れてくるなんて!想像を絶する天災ですね」

新府城、主郭北側、土塁、八ヶ岳
 主郭北側の土塁から見える風景。遠くにうっすらと見えるのが八ヶ岳だ

(伊達)
「あれ?主郭の神社に向かって長い階段が登ってきてますよ!」

(中村)
「あ、これ!縄張図で見ると最初に通った甲州脇往還跡と繋がってませんか!?」

(西股)
「そうです。よく気が付きましたね。最初に駅から歩いてきたときに、鳥居があったところを覚えてますか? あそこから看板に従って行くと、この主郭への近道に繋がってるんですよ」

(中村)
「なるほど、危うく帯曲輪や出構えを見ずに主郭に直行するところだったんですね」

新府城、縄張図、
前編(新府城の壱)冒頭で登場した分かれ道は、看板に従うとこの階段に出くわすことになる

究極の防御!丸馬出しと三日月堀

——主郭の散策を終えた一行は、先ほどの車道を今度は三ノ曲輪方面へ降りて行く。ぼうぼうに草が生い茂った三ノ曲輪を車道から観察し、さらに南東へ進むと、素人目にもわかりやすい、“いかにも”な防御施設を発見した。

新府城、三ノ曲輪
草が生い茂った三ノ曲輪。だだっ広いこの場所に、かつては建物が並んでいたのだろうか

新府城、大手口、土塁
 新府城の大手口。土塁によって四角に囲まれている。伝搦手口同様、攻め手を袋小路に追い込んで狙い撃てる構造だ

(中村)
「平らな三ノ曲輪を過ぎると…おお!なんてわかりやすい遺構!これは何か秘密がありそうなオーラを感じますね!」

(西股)
「ここが新府城の大手、言わば正面玄関と伝わっている場所です。これだけはっきりと遺構が残っているのも珍しいんですよ」

(中村)
「きっとここに門があって、敵を袋小路にして、それを土塁の上から狙い撃ちする訳ですね!」

(西股)
「ここからが本当の見どころです」

丸馬出の縁、新府城、土塁
 大手の先は半円形のスペースがあり、行き止まりになっている。赤い部分が丸馬出の縁。縁には土塁も残っていて切岸の高さは10メートル以上もありそうだ

(伊達)
「あっ!大手を半円形のスペースでガードしてる!さすが武田氏の本城、手が込んでるなあ」

(西股)
「これは半円形の馬出『丸馬出(まるうまだし)』と呼ばれるものですよ」

(伊達)
「馬出…?」

(西股)
「馬出とは、簡単に言えばドアを守るカバーのことです。例えば南方から敵が攻めてきたとしたら、二人はどのように大手口を守りますか?」

(中村)
「とりあえず、門を固く閉じて、この丸馬出で鉄砲や弓を持って待ち構えます」

(西股)
「そしたら攻め手はどのように動いて来ますかね?」

(伊達)
「うーん、さすがにこの切岸を登ろうとは思わないので、通路がある両サイドから攻めてくると思います」

(西股)
「そうですね。では両サイドの通路から入ってくる攻め手に対して、二人はどのように迎え撃ちますか?」

(中村)
「この丸馬出から討ち損ねた攻め手が両サイドから来るわけですよね。あ、これ、丸馬出にこちら方の軍勢がいれば、ちょっと門を開けても攻め手にばれないんじゃないですか?攻め手を両サイドで絞っておいて、門を開けて味方をくり出して反撃できるかも…」

(西股)
「そう!馬出は攻め手を食い止める場所でありながら、味方の援護、さらには逆転の切り札となりうる設備なんですよ」

(中村)
「あー、なるほど!それで、ドアカバーなんですね!」

(西股)
「縄張図で見るとよりわかりやすいですよ」

新府城、縄張図、丸馬出、桝形虎口
縄張図で見るとわかりやすい。丸馬出から狙い撃つだけでなく、丸馬出の背後の門を開ければ、攻め手に知られることなく逆襲部隊をくり出すことができる。この『枡形虎口+丸馬出』の巧妙な仕掛けは、ぜひ現地で体感してみてほしい

新府城、丸馬出
下から見た丸馬出。正面突破は不可能な高低差なので、攻め手は左右両サイドから攻めざるを得ない。また、ここからでは門の開閉や馬出の中の様子はわからない

新府城、丸馬出、堀
 丸馬出の下は堀になっている。深さがあるため水が溜まっている

(伊達)
「うわあ、丸馬出の下には堀がある!」

(西股)
「このような半円形の堀を俗に『三日月堀(みかづきぼり)』と呼んでいます。どうですか?ここまで守られていたらとてもじゃないけど攻められないと思いませんか?」

(伊達)
「思います!やっぱり武田家当主の勝頼公の居城ですからね、守りは徹底しないと!」

(西股)
「ところが、他の城に比べると、この新府城はまだまだ防備が甘いんですよ」

(伊達)
「ええ?!どういうことですか?」

(西股)
「中村さん、今まで見た山中城と茅ヶ崎城にはたくさんあって、新府城にはほとんどないものなーんだ?」

(中村)
「うーん、曲輪はちゃんと土塁で囲われてたし、虎口も手が込んでたし…あっ!そういえば今回は堀が少ない気がします!」

(西股)
「そう!今まで見てきた城は曲輪を土塁で囲み、さらに曲輪と曲輪を堀で区画していましたよね?堀は城を守る仕掛けとして基本中の基本なんです。しかし、この新府城内にはほとんど堀がありません。これは新府城が『戦うための城』ではなく、『住むための城』だからです」

(中村)
「言われてみれば、山中城に行ったときは曲輪が斜面になっててとても歩きにくかったです。あの時は『曲輪を平坦にする労力を全部堀に割いたから』と学びましたが、今回はその逆パターンですね!」

(西股)
「だからこそ、勝頼はこの城で織田軍を迎え撃つのではなく、城を焼いてでも逃亡するという選択肢を選んだのです。この城では大軍の本格的な攻撃には耐えられないから」

(伊達)
「確かにそう考えると、この大手口だって、数で押し切られて門を突破されてしまったら、だだっ広い城内に攻め入られてしまいますもんね…」

(西股)
「伊達さん。悲しいことに、この大手口には門がなかったということが調査でわかりました」

(伊達)
「ええ?!大手口なのに門がなかった!?玄関にドアがないようなもんじゃないですか!」

(西股)
「つまり、門を築く前に城を手放さざるを得なかったのです。そう考えてみると、新府城も勝頼も、切ないでしょう?」

(伊達)
「うわー、勝頼公、なんて不憫な…!」

——新府城の防備の裏に隠された切ないエピソードを知った一行は、車道を下り、JR新府駅へ戻る。帰りの電車内、西股先生の提案で甲府駅近くの甲府城へ寄り道することにした。

山城と同じ仕掛けを石垣の城でも発見!

——甲府城はJR甲府駅から徒歩3分ほどのところにある石垣の城で、武田氏滅亡後、豊臣系の大名によって築かれた。山城と石垣の城の比較ができるので、時間に余裕があれば立ち寄りたいスポットだ。

(中村)
「うわー、さっきまで山城にいたから、技術の発展を感じます!」

(伊達)
「やっぱり石垣ってかっこいいなあ!土よりもインパクトがすごい!」

(西股)
「この城は豊臣期の古い積み方の石垣がよく残っていて、貴重なんですよ」

甲府城、本丸謝恩碑、内松陰門
 甲府城の東側、本丸謝恩碑前から内松陰門を望む。豊臣期に築かれた甲府城は縄張が非常に実戦的である

(西股)
「二人とも、東側にある内松陰門のあたりを見て、何か気づくことはない?」

(中村)
「あっ!カクカクしてまっすぐ進めないようになってる!これってもしかして…」

(西股)
「そう、これも枡形虎口なんだ。石垣の城も、土の城も、防御の仕掛けの根本は変わらないんだよ」

(伊達)
「なるほど。逆に山城に行ったからこそ、石垣の城の仕掛けが簡単に理解できる訳ですね!」

(中村)
「うんうん。今日は『歴史』『仕掛け』『お花見』とさまざまな角度から山城歩きの魅力を発見できました!ありがとうございました!」

●本日の反省点●
今回はお花見や『真田丸』ゆかりの地や、縄張以外の見どころもたくさんあって、山城にあまり行ったことない人に是非オススメしたいなと思った。それにしても、「どこから狙われているか」とか「どうやって攻めるか」とか、そういう実戦的な城の仕組みについて学ぶ時が一番楽しいなあ!今回だったら「丸馬出」は、斬新な発想だなと思った。あー、早く“城を見る目”を修得して、パッと見て攻め方・守り方を分析できるようになりたい!(中村)

——山城を見る目は、山城に行かねば養われない。堀の深さや切岸の高さを体感することはもちろん、是非現地に行って攻め方・守り方を分析して欲しい。次回もお楽しみに!

▶前編はこちら

▶「ナワバリスト西股さんと行く!ビギナー女子の山城歩き」その他の記事はこちら

[城名]新府城(山梨県韮崎市)
[アクセス]JR新府駅から徒歩約15分で新府城駐車場
[駐車場]あり
[見学時間]3時間くらい
[服装]周囲は木々が茂っており、虫も多いので、長袖長ズボンがベスト。未整備の所も多いので靴はハイキングシューズがオススメ
[トイレ]駐車場に簡易トイレ、主郭に公衆トイレあり。計2箇所
[その他]駐車場に自動販売機。城域にベンチなど休憩設備はないので、地べたが気になる人はレジャーシートの持ち込みを推奨。新府駅は無人駅。ICカードでの出入場は可能。駅には自動販売機やコンビニはない

[城名]甲府城(山梨県甲府市)
[アクセス]JR甲府駅から徒歩約3分で稲荷曲輪前出入り口
[駐車場]あり
[見学時間]1時間くらい
[服装]普段着・普段靴で大丈夫。ただし傾斜がきついところや急な石段が多いので、ハイヒールやサンダルなど歩きにくい靴で行くのはやめておこう
[トイレ]公園管理事務所、稲荷曲輪前、本丸にあり。計3箇所
[その他]山手渡櫓門内が展示室になっており、甲府城に関する資料が展示されている。こちらは9:00〜17:00開館、休館日は月曜(祝日は開館)、祝日の翌日、入場無料。また、城の向い側にある県庁には、石垣の展示室がある

西股総生(にしまた・ふさお)
1961年、北海道生まれ。城郭・戦国史研究家。学生時代に縄張のおもしろさに魅了され、城郭研究の道を歩む。武蔵文化財研究所などを経て、フリーライターに。執筆業を中心に、講演やトークもこなす。軍事学的視点による城や合戦の鋭い分析が持ち味。主な著書に『戦う日本の城最新講座』『「城取り」の軍事学』『土の城指南』(ともに学研プラス)、『図解 戦国の城がいちばんよくわかる本』『首都圏発 戦国の城の歩き方』(KKベストセラーズ)、『杉山城の時代』(角川選書)など。その他、城郭・戦国史関係の研究論文・調査報告書・雑誌記事・共著など多数。

執筆・写真/かみゆ歴史編集部(滝沢弘康・二川智南美・中村蒐)
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。主な城関連の編集制作物に『日本の山城100名城』『超入門「山城」の見方・歩き方』(ともに洋泉社)、『よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書』『完全詳解 山城ガイド』(ともに学研プラス)、『戦国最強の城』(プレジデント社)、『カラー図解 城の攻め方・つくり方』(宝島社)、「廃城をゆく」シリーズ(イカロス出版)など。

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