城と光秀|小和田哲男 第12回 安土城内に明智光秀邸はあったか

本能寺の変で織田信長を討った武将として知られる明智光秀。2020年・2021年放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』では主人公としてその人生が描かれました。『麒麟がくる』の時代考証を担当される小和田哲男先生による連載「城と光秀」の第12回。安土城の古城図に信長の重臣・光秀の屋敷が記録されていないのはなぜか? また、光秀の謀反に大きな影響を与えたとされる、安土城での徳川家康の接待の実態にも迫る。(※2020年1月8日初回公開)

「近江国蒲生郡安土古城図」

織田信長の居城だった安土城(滋賀県)に、信長の子や側近および重臣たちが屋敷を構えていたことは、江戸時代のはじめ、信長の100回忌を機に、貞享4年(1687)に描かれたとされる「近江国蒲生郡安土古城図」に記され、現在、その場所にそのことを記す石碑もある。

安土城、伝羽柴秀吉邸
安土城に残る「伝羽柴秀吉邸」

ただし、「近江国蒲生郡安土古城図」(以下、「貞享古図」と略称)に描かれた羽柴秀吉邸・前田利家邸などは、本当にそうなのかと疑問視する声があがっており、羽柴秀吉邸といわれるところは、むしろ、信長の居館があったところではないかという研究者もおり、「貞享古図」そのものに疑義が生じている。そのため、側近の森蘭丸や武井夕庵(せきあん)の屋敷はあったかもしれないが、重臣たちの屋敷は城内にはなかったのではないかと考えられるようになってきた。

その理由の一つとして私が考えているのは、「貞享古図」に明智光秀邸が描かれていないことである。安土城の時代、羽柴秀吉邸はともかくとして、前田利家邸があって明智光秀邸がないのは不自然である。これはやはり、後世、謀反人となった光秀の名前を消したかったからであろう。そもそも、安土城内には秀吉邸も利家邸も光秀邸もなかったと考えられる。

実は、地元の伝承で、「明智光秀の屋敷は城下にあった」といわれているのである。周知のように、光秀の居城は近江坂本城(滋賀県)と丹波亀山城(京都府)で、坂本城と安土城は距離的にも近く、琵琶湖の舟を使えば簡単に行き来ができる位置にあった。安土に滞在する必要のとき、城下の屋敷に住んだものと思われる。

安土城での家康接待と光秀

安土饗応膳
復元された安土饗応膳

ところで、光秀と安土城の関係となると、天正10年(1582)5月の、信長による徳川家康の安土城での接待を見ないわけにはいかない。本能寺の変、明智光秀謀反の真相にかかわることと取り沙汰されているのは周知の通りである。

信長は、その年3月に武田勝頼を討ったあと、富士遊覧をしながら東海道を通り、家康の接待を受けながら4月21日に安土城に凱旋してきた。この武田討伐の論功行賞として、旧武田領だった駿河が家康に与えられた。また、このとき、武田一族で重臣だった穴山梅雪が家康の斡旋で信長への謁見が許されたため、家康はその御礼言上(おれいごんじょう)のため、穴山梅雪(ばいせつ)を伴って安土城を訪ねることになった。

家康・梅雪一行の安土到着は5月15日で、『信長公記』では、その日、光秀に二人の接待役が命じられたとするが、「京都・堺にて珍物を調へ、生便敷(おびただしき)結構にて」とあることからすると、15日に接待役を命ぜられてから料理の品々を買い集めるのは無理で、その数日前には接待役を命じられていたものと思われる。

このときの光秀による家康らの接待に関して、興味深いエピソードが『川角(かわすみ)太閤記』に記されている。かいつまんでいうと、光秀の用意した魚が夏の暑い盛りで腐り、その匂いが安土城内に充満し、怒った信長が光秀の接待役を解任したというのである。さらに話は続き、今度は、解任された光秀が不満をぶつけるかのように腐った魚を安土城の堀にぶちまけたという。怨恨説論者が好んで取りあげたことで、広く知られるようになったできごとである。

ただ、まじめで慎重な光秀が、さらに信長の怒りを買うようなことをするだろうか。このエピソードは信用しない方がよいと私は考えている。では、実際はどうだったのだろうか。本当に光秀の不手際で解任されたかどうかである。

接待は、はじめから3日間だったと考えられる。ちょうど、毛利攻めにあたっている羽柴秀吉から援軍の要請があり、接待を終えた光秀にその援軍としての出陣を命じたものであろう。信長としては最初からの計画通りで、光秀は5月17日に安土から坂本城にもどり、さらに26日、丹波亀山城に向かっている。

さて、このあと、光秀と安土城の関係がもう一度ある。本能寺の変のあと、6月5日、光秀は安土城に入り、7日、勅使の吉田兼見(かねみ)と謁見し、8日には安土城を娘婿の明智秀満にまかせて上洛し、そのあと、山崎の戦いで秀吉と戦い、負けて、敗走途中命を落としているのである。

その安土城も15日、焼失してしまった。

安土城全景
安土城は本能寺の変後に焼失し、天守台礎石群と石垣だけが現存している

▶第13回(最終回)「山崎の戦いと勝龍寺城」はこちら
▶城と光秀 その他の記事はこちら

alt
執筆/小和田哲男(おわだてつお)
公益財団法人日本城郭協会  理事長
日本中世史、特に戦国時代史研究の第一人者として知られる。1944年生。静岡市出身。1972年、早稲田大学大学院文学研究科 博士課程修了。静岡大学教育学部専任講師、教授などを経て、同大学名誉教授。
著書 『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(中央公論新社、2010)
   『明智光秀・秀満』(ミネルヴァ書房、2019)ほか多数