新元号「令和」制定記念!古代ロマンあふれる『万葉集』ゆかりの5城

新元号「令和」が発表され、出典となった『万葉集』が注目を浴びています。現存する日本最古の歌集、『万葉集』が編纂された飛鳥・奈良時代には、「政庁」や「古代山城(こだいさんじょう)など、古代ならではの城が築かれていました。今回は「令和」発祥の地・大宰府と200名城から『万葉集』ゆかりの5城をご紹介。お城で古代ロマンに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

1)大宰府政庁(福岡県太宰府市)※特別史跡

大宰府政庁跡
礎石跡が残る大宰府政庁跡。新元号「令和」の由来となった歌人・大伴旅人が赴任した

「令和」発祥の地として話題になっているのが大宰府(だざいふ)です。7世紀後半に対外防衛、外交の拠点として大宰府が置かれ、8世紀に入ると九州全体を治める機能を備えるようになりました。『万葉集』には「遠の朝廷(みかど)」と詠まれ、その規模は平城京、平安京に次ぐ大きなものでした。栄華を偲ばせる礎石が残り、門や回廊、周辺の役所跡等が整備され、現在は公園となっています。

大宰府政庁跡、大伴旅人、歌碑
大宰府政庁跡に立つ大伴旅人の歌碑のひとつ

大宰府の長官として赴任したのが歌人・大伴旅人(おおとものたびと)。大伴旅人の邸宅で梅の花を題材にした歌会「梅花の宴」が催されました。その際に詠まれた32首の序文に、新元号の「令和」の元になった「初春の令月にして気淑よく風和らぎ」の記述があります。

また、大宰府政庁跡に隣接する「太宰府市文化ふれあい館・大宰府展示館」は大野城の100名城スタンプ設置場所でもあります。九州国立博物館も付近にあり、常時800程度の文化財を鑑賞できる文化交流展示室や、季節ごとの企画展が開催されています。

太宰府天満宮
梅の名所として知られる太宰府天満宮

住所:福岡県太宰府市観世音寺4丁目6-1
電話:092-928-0800(太宰府市文化ふれあい館・大宰府展示館)
アクセス:西鉄天神大牟田線「都府楼前」駅から徒歩約15分、またはコミュニティバスまほろば号「大宰府政庁前」停留所からすぐ

※古代律令時代の役所、およびその遺跡を指す場合は「大宰府」、中世以降の地名や天満宮については「太宰府」と表記されるのが一般的です。

2)大野城(福岡県太宰府市)※100名城

大野城太宰府口城門
大野城太宰府口城門。石塁と土塁で堅固に造られている

大宰府防衛のために築かれたのが大野城。天智天皇2年(663)に朝鮮半島で起きた白村江(はくそんこう)の戦いで、唐・新羅の連合軍に大和朝廷は敗北。連合軍による日本襲来に備えて、大宰府の北側を守るために大野城が築かれました。標高410mの四王寺(しおうじ)山山頂を中心に、総延長約8kmもの石塁と土塁によって囲まれています。築城には渡来人の指導があったとされ、朝鮮式山城(ちょうせんしきやまじろ)のひとつに数えられます。

大野城百間石垣
全長約180mにもわたって築かれている大野城百間石垣

『万葉集』の代表的歌人、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌として、大野城が築かれた四王寺山を指す「筑紫の大城の山」を詠んだ歌が採録されています。

今もかも大城の山にほととぎす鳴き響(とよ)むらむわれなけれども
(今でも大城の山では、ほととぎすが鳴き声を響かせているだろうか。私はもうそこにはいないけれど)

住所:福岡県太宰府市大宰府字原1498-25など
電話:092-932-0100(福岡県立四王寺県民の森事務所)
アクセス:西鉄太宰府線「太宰府」駅から徒歩約40分など

3)水城(福岡県太宰府市・大野城市・春日市)※続100名城

水城
『日本書紀』に「筑紫に大堤を築き水を貯へ、名づけて水城と曰う」と記述が残る 

大野城と同様に、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた大和政権が、国土防衛のために築城したのが水城(みずき)です。天智天皇3年(664)の築城。総延長約1.2km、高さ約10ⅿの土塁。福岡平野が最も狭くなった箇所を遮断するように築かれています。続日本100名城スタンプの設置場所である「水城館」には、パネルや映像による水城の紹介コーナーがあります。

水城、土塁
土塁の東西端には東門と西門が設けられていた

大宰府で約3年間を過ごした大伴旅人は、赴任中に妻を亡くしました。妻を亡くし傷心の大伴旅人をなぐさめるため、遊女・児島が惜別の歌を贈り、大伴旅人が応えた歌に水城が登場します。

ますらをと 思へる我れや 水茎の 水城の上に 涙拭のごはむ 
(私は男の中の男だと思っていたがそうではないようだ。水城の上で別れを惜しんで涙を拭っているのだから)

住所:福岡県太宰府市水城1など
電話:092-555-8455(水城館)
アクセス:西鉄天神大牟田線「都府楼前」駅から徒歩約20分、またはJR鹿児島本線「水城」駅から徒歩約1分

4)福岡城(福岡県福岡市)※100名城

福岡城
総石垣造りの福岡城中枢部。天守が立てられていたという事実は確認されていない

関ヶ原の戦いの戦功により、黒田官兵衛こと黒田孝高(よしたか)・黒田長政(ながまさ)親子に筑前(福岡県)が与えられました。福岡城築城の際に、古代から重要な地であった「鴻臚館(こうろかん)」の跡地を選んだのでした。

大野城や水城が築かれた時期、大宰府政庁の迎賓館として鴻臚館が置かれていました。飛鳥・奈良時代には「筑紫館(つくしのむろつみ)」とよばれ、平安時代には鴻臚館と名を改めました。現在の福岡城三ノ丸西側、かつては平和台野球場があった場所に当たります。

平和台野球場跡
鴻臚館の遺構が発見された平和台野球場跡。右上の建物が「鴻臚館跡展示館」

実はこの鴻臚館の発掘に『万葉集』が大きな役割を果しました。九州帝国大学医学部教授・中山平次郎(なかやまへいじろう)が、万葉集の歌を手掛かりに、福岡城内で古代の瓦や中国陶磁器を採集。その結果、平和台野球場外野席下の発掘調査で鴻臚館の遺構が発見されたのです。

住所:福岡県福岡市中央区城内
電話:092-711-4784(福岡市経済観光文化局史跡整備活用課)
アクセス:市営地下鉄空港線「赤坂」駅または「大濠公園」駅から徒歩約5分

5)多賀城(宮城県多賀城市)※100名城

多賀城、正殿跡
多賀城の中央にある正殿跡。コンクリートで土台が復元整備され、建物の大きさがわかる

奈良時代、大野東人(おおのあずまびと)が創設した陸奥国府に鎮守府(ちんじゅふ)の機能も置かれ、東北における大和政権の一大拠点の役割を担いました。蝦夷(えみし)支配を進める大和政権が築いた、軍事・行政的施設を兼ね備えた「城柵(じょうさく)」の代表格です。

多賀城碑
多賀城創建の経緯が記された多賀城碑(国重要文化財)。松尾芭蕉の『奥の細道』にも登場する

『万葉集』の編者のひとりとして、大伴旅人の息子、大伴家持(おおとものやかもち)が挙げられます。全国を赴任した大伴家持の終焉地が多賀(たが)城でした。大伴家持自身は多賀城にまつわる歌を残していませんが、『万葉集』は大伴家持の歌で締めくくられており、多賀城は『万葉集』ゆかりの地として知られています。

住所:宮城県多賀城市市川字城前ほか
電話:022-368-0134(多賀市埋蔵文化財調査センター)
アクセス:JR東北本線「国府多賀城」駅から徒歩約15分


以上、『万葉集』の舞台になった城をご紹介しました。『万葉集』が脚光を浴びるこの機会に、ロマンあふれる古代の城を訪ねてみてはいかがでしょうか。


執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。国内・海外で年間100以上の城を訪ね、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。異業種とコラボした城を楽しむ体験プログラムを実施。旅行雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)などを編集。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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