訪城数日本一の夫婦ウモ&ちえぞーに聞く城旅のコツ ④三木城と付城群をめぐる

夫婦二人で6000近くの城を訪れているウモ&ちえぞーさんが、城めぐりの計画の立て方や山城の歩き方などをレクチャーする「ウモ&ちえぞーに聞く城旅のコツ」。第4回は、羽柴秀吉による「干殺し」で有名な三木城とその支城、そして、三木城を囲む付城群を歩きます。



狭い範囲に城が密集する三木城と付城群を歩こう!

城めぐりには様々な楽しみがある。遺構や縄張を楽しむのは勿論のことだが、歴史が分かっていれば武将等になった気分で現地に立ち、往時に思いをはせることもできて面白い。特に合戦が起きた城は、地形や距離などを知ることにより緊張状態も体感できる。そこで、今回は三木合戦の舞台をめぐる旅を紹介したいと思う。

三木合戦とは、天正6年(1578)3月から同8年1月にかけて三木城主・別所長治(べっしょながはる)と織田信長の武将である羽柴秀吉との間で起こった戦い。籠城する三木城を包囲するように30以上もの付城や土塁が築かれ「三木の干殺し」と呼ばれる兵糧攻めが行われた。

<行くお城の選定>
「三木城跡及び付城跡・土塁」(兵庫県三木市)として国の史跡に指定された箇所では、整備された城も多い。籠城の舞台となった三木城と秀吉側の本陣は必須として、あとは整備された城を見学したい。

ひとまず城をマッピングしていく。ほとんどが丘城程度でさほど登らないし、城域が狭い。また、移動時間もさほどかからない。そのため10城位はまわれそうだ。時間が余るかもしれないので少し多めにマッピングしておき、是非とも行きたい城と、余裕があったら行く城を色分けした。

alt
 マッピングしたGoogleマップ。今回は、緑色を是非とも行きたい城、赤色は時間に余裕があったら行く城として色分けしていく

<回る順番決め>
やはり三木城を最初に訪れたい。その次は三木城のすぐ背後にある支城・鷹尾山城(たかおやまじょう)を訪れることにしよう。あとは付城群めぐり。マッピングを見て、効率良いまわり方を考える。法界寺山ノ上付城(ほうかいじやまのうえつけじろ)は、縄張や規模から少し見学時間がかかりそうなので3番目に訪れることにし、あとはここから反時計回りに付城を見ることにする。

三木城・付城めぐりにいざ出陣!

まずは三木城へ。本丸は現在公園となっており、「かんかん井戸」や別所長治騎馬像、天守台跡といわれる土壇に別所長治辞世の碑がある。北側を流れる美嚢川(みのうがわ)方面を見ると急な高台に築かれているのが分かる。遺構としての見所は少ないが、周辺の起伏に富んだ地形を見て歩くのが面白い。

三木城、本丸跡
 三木城の本丸跡。中央の土壇は天守台と言われているが、天守が実在したのかは不明だ

次は南方の高台にある鷹尾山城へ行こう。三木市役所の西方にある三木勤労者体育センターの奥に解説板が設置されている。ここから西の林へ入るとすぐに立派な堀切がある。市街地にこれだけの規模の堀切が残っているとは驚きだ。その奥には主郭の土塁や堀も残っている。三木城の支城で唯一遺構が見られるので是非とも訪れよう。また、この西側の雲龍寺にある長治公首塚もお勧めだ。

鷹尾山城、堀切、三木合戦
 鷹尾山城の堀切。三木合戦ではこの城で開城交渉が行われた

ここから付城群を見学しよう。最初は法界寺山ノ上付城へ。秀吉の重臣・宮部継潤(みやべけいじゅん)が守備したと伝わり、姫路への街道を封鎖した西側拠点である。

法界寺の背後から登城道が整備されている。主郭には土塁と横堀が、その西側にある二郭には土塁がめぐっている。主郭南の虎口は馬出状になっており、更に通路を鈎型に曲げている。付城群の中で最も技巧的な縄張で、見応えたっぷりだ。この外側に設置された展望台からは北東に位置する三木城方面が望める。

法界寺山ノ上付城、堀
 法界寺山ノ上付城の堀。この城は三木城の付城群の中でも見どころが多い

そこから南東へ進むと、法界寺山ノ上付城と高木大塚城(たかぎおおつかじょう)を結ぶように築かれた朝日ヶ丘土塁が残っている。長々と続く土塁が二重になっていて、その土木量に驚嘆する。

このように、三木城の西から南にかけては、付城と付城を繋ぐように土塁も多く築かれた。これは、毛利方による明石方面から三木城への兵糧補給を徹底的に阻止するためだ。そこで、まわる際は付城と土塁のラインを意識することをおすすめする。

三木城、土塁
 三木城を囲む土塁は、他にも三木市内数か所で確認されている。付城をめぐりながら探してみるのも楽しいだろう

朝日ヶ丘土塁の南東延長線上には、高木大塚城が築かれている。住宅団地の一角にあるものの、公園整備され遺構は良く残っている。単郭で古墳を利用したと思われる櫓台が中心にあり、横矢がかかった土塁がそれを取り囲んでいる。屈曲する土塁を一周するのも面白い。

高木大塚城
 高木大塚城の説明板には、他の付城についても解説されているため、付城同士の関係性も確認できる

さらに南東方向に高木大山付城を経て、シクノ谷峯構付城(しくのたにみねがまえつけじろ)がある。丘陵の東端に築かれ、北東側にある案内板から階段を上がると城に至る。主郭には土塁がめぐり、南側に櫓台、北西と北東に虎口がある。この東西にも曲輪が配置されているがこじんまりとした城である。

シクノ谷峯構付城、虎口
 シクノ谷峯構付城の虎口。遺構は自然地形との見分けが付けづらいので、縄張図は必須だ

ここから国道を隔てた東側丘陵上に明石道峯構付城(あかしみちみねがまえつけじろ)がある。旧明石道がすぐ側を通っていた。西麓の歴史の森から登城道が整備されている。主郭、西郭、東郭の3つの郭で構成され、主郭と東郭には土塁がめぐり、主郭南西には一段高い櫓台もある。土塁が高くて見応えがありお手軽に遺構を楽しめる。

明石道峯構付城
 明石道峯構付城は、主郭にある説明板を見てから遺構を探すとよい

明石道峯構付城の東方には小林八幡神社付城がある。現在、小林八幡神社が鎮座しており、西側は道路建設によってかなり破壊されているため遺構は期待していなかったが、神社の北から東にかけて土塁が残っていて少し嬉しくなった。

小林八幡神社付城
 小林八幡神社付城の土塁は木々の中にあるため、見逃さないように注意しよう

ここまで三木城の西から南にかけて築かれた付城を見てきたが、今度は北東から北側に築かれた付城を見ていこう。

まずは、秀吉が本陣を置いたといわれる平井山ノ上付城へ。もともとは織田信忠が築いたが、後に秀吉が三木城攻めの大将として本陣を構えた。北西麓にある登城口には駐車場や解説板が設置され、ここから遊歩道が整備されている。主郭にはコの字形の土塁が残り、展望台から南西方向に三木城を望める。城域は広く付城群の中で最大で、各尾根に段状の曲輪群が配置されているが、未整備のため見学できる範囲は思ったより狭い。

平井山ノ上付城主郭
 平井山ノ上付城主郭。主郭に到着したら三木城方面の眺望を確かめてみよう

この北側丘陵上に平井村中村間ノ山付城がある。竹中半兵衛が陣を置いたと伝えられ、ここからも南西方向に三木城を望める。単郭で土塁がめぐっているがあまりの狭さに驚いた。

この後は、平井山ノ上付城の西方にある竹中半兵衛の墓に寄ろう。道路に案内が出ているので場所はすぐに分かると思う。

平井村中村間ノ山付城
 平井村中村間ノ山付城は単郭のシンプルな縄張だが、土塁や虎口などが明瞭に残っている

最後に慈眼寺山城へ行こう。高速道路建設により遺構はかなり破壊されているが、眺望が素晴らしく、一日見て回った三木城とその付城群方面を一望できる。地理や距離感を掴むのにもってこいだ。

 慈眼寺山城、平井山中村間ノ山付城、平井山ノ上付城
 慈眼寺山城から平井山中村間ノ山付城・平井山ノ上付城方面を望む

今回紹介した三木城と付城群は、近距離で築かれているため、地形・距離感・城と城との関連性などが分かりやすく、そこに築かれた意図や役割を理解しやすい。また、見学しやすく、体力消耗も少ないため、城の初心者から上級者まで十分楽しめるだろう。これだけで物足りない猛者は、他にも構築された付城群や土塁もめぐってみよう。


執筆・写真/ちえぞー
愛知県出身。Webサイト「ちえぞー!城行こまい」管理人。城めぐりを趣味としており、ウモさんと一緒に年間約500城(再訪含む)をめぐり、これまでに約6000城に訪城している。主な執筆協力に『廃城をゆく』シリーズ、『あやしい天守閣』、『“復元”名城 完全ガイド』(いずれもイカロス出版)、『完全詳解 山城ガイド』(学研)など。

関連書籍・商品など