【城下町ヒストリー・秋月編】「軍師官兵衛」ゆかりの黒田家と、追い出されたのに戻ってきた名門・秋月家

涼しい風が吹き秋らしい日も増えてきました。突然ですが「秋という言葉から連想する城」と聞かれたら、どの城を思い浮かべますか?今回は「秋」の字がつき、紅葉の名所でもある秋月城跡(福岡県朝倉市)をご紹介します。豊臣秀吉と戦い秋月を追い出された秋月氏。しかし、約200年後に再び秋月家の血を引く人物が秋月の領主となります。観光ボランティアガイドさんと一緒に秋月城跡を歩きながら、秋月をめぐる歴史ドラマに思いを馳せてみましょう。(※2018年9月28日初回公開)




長屋門、秋月城、遺構
長屋門は秋月城跡を代表する遺構で、唯一当時の位置に残っている

「秋」の字にふさわしい紅葉の名所・秋月城跡

秋月城、黒門、紅葉
黒門の周辺は紅葉の季節になるとたくさんの人で賑わう

秋月は現在の福岡県南部に位置し、山に囲まれた盆地。その山を生かした古処山(こしょさん)城を本拠として、秋月氏が鎌倉時代以来治めていました。豊臣秀吉と争った秋月氏が日向高鍋(宮崎県高鍋町)に移った後、「軍師官兵衛」として知られる黒田官兵衛の弟・黒田直之(なおゆき)が城主として入り、秋月城や町割りを整備しました。

現在は、大部分が秋月中学校の敷地となっており、現存する石垣が往時の姿を偲ばせています。まずは秋月城跡を代表する2つの門について紹介しましょう。ひとつは周辺の紅葉が見事な黒門。もうひとつは、唯一当時と同じ位置にある貴重な遺構である長屋門です。

秋月城、ボランティアガイド、三坂さん
秋月観光ボランティアガイド会長の三坂敦さん

秋月城跡をより詳しく知るため、今回は「秋月学校ガイドボランティアの会」の三坂敦会長にお話をうかがってみました。「秋月城跡のなかでも紅葉の名所として知られる黒門。11月下旬頃モミジが真っ赤に染まる様子は見事です。明治13年(1880)に移築され現在の位置にありますが、元々は秋月城の大手門として別の位置に立っていました。江戸初期の様式とされますが、秋月家が中世に治めていた「古処山城」の搦手(からめて)門であったという伝承も残ります。唯一当時の位置に残っているのが長屋門です。解体修復工事により、嘉永3年(1850)に建てられたことがわかっています」(三坂さん)。

江戸時代には黒田家が治めましたが、江戸時代以前は秋月家が領主でした。それでは、この秋月家について詳しく追っていきましょう。

戦国時代を渡り合った名門・秋月家

秋月城、城下町、旧秋月街道
城下町を通る国道322号(旧秋月街道)。中世の秋月家本拠・古処山城が道の奥にそびえる

「秋月家は、古くは鎌倉時代の初めから戦国時代まで約400年間も秋月の地を治めていました。大きな転機が訪れるのは戦国時代の末期、16代・秋月種実(たねざね)の時代です。天文14年(1545)、戦国時代の真っただ中に生まれています」(三坂さん)。

ちなみに秋月種実は、徳川家康の3つ年下。大友家や島津家、龍造寺家といった有力大名と争いながら成長しました。天正15年(1587)に、豊臣秀吉が島津軍を討伐するために九州へ出兵してきた際には、島津軍に味方して豊臣軍と戦うことを決めます。しかし、実際に着陣した豊臣軍の多さと軍装の華やかさに圧倒され、降伏を決意します。

秋月種実は息子の秋月種長とともに、豊臣秀吉の前にひれ伏して降伏。天下の名器と称された肩衝茶入「楢柴(ならしば)」を献上したため、豊臣秀吉は機嫌を直し、死罪を免れたとされています。そして、今度は豊臣軍の先鋒として島津軍と戦うことに。島津軍の降伏とともに九州平定は完了しますが、結局秋月家は所領を没収され、日向国の高鍋(宮崎県高鍋市)に移封となってしまいます。

「軍師官兵衛」の弟は熱烈なキリシタン武将?

秋月城、キリシタン橋、マリア像、石橋
城下町北西部に架かるキリシタン橋。石橋の裏にはマリア像があったという伝承が残る

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功により、黒田長政(黒田官兵衛の息子)が筑前国の領主となります。黒田長政は新たに城下町「福岡」を整備し、福岡藩の初代藩主となりました。黒田官兵衛の弟・黒田直之が1万2000石を与えられて、秋月へと移り住みます。

この黒田直之という人物は、熱烈なキリシタン武将として知られています。ミゲルという洗礼名をもつほどで、秋月はキリシタン信仰の中心地となりました。ちなみに、黒田官兵衛もシメオンという洗礼名を称していた時期があります。秋月城跡からは、キリストが十字に架けられた様子を表現した瓦も出土しています。黒田直之は秋月で約10年間を過ごし、慶長14年(1609)にこの世を去っています。

苦労の末に認められた秋月藩

秋月城、正門、瓦坂
秋月城正門に至る瓦坂。坂には瓦が縦に敷き詰めて並べられ土砂の流れを防いだ

元和9年(1623)、福岡藩主・黒田長政の遺言により、福岡藩2代藩主・黒田忠之の弟、黒田長興(ながおき)が約5万石の秋月藩主に命じられます。しかし、福岡藩のなかには、それを認めない者もいました。黒田長興は、福岡藩の監視の目をかいくぐり江戸へ向かい3代将軍・徳川家光に拝謁し、将軍のお供をしたり、江戸城警備や幕府普請の手伝いをするなど忠節に励みます。そして、寛永11年(1634)にようやく秋月領5万石が認められることになりました。涙ぐましい努力ですね。その後、黒田長興により秋月の行政組織や藩士の役割編成が整備されました。

秋月藩の質実剛健の気風は、この頃に始まったと考えられています。黒田長興公は寛文5年(1665)に江戸で亡くなりました。死後200年経った安政6年(1859)に垂裕(すいよう)明神の神号を贈られ、黒門が立つ参道を上ったところにある垂裕神社に祀られています。

垂裕神社、黒門、参道、秋月城
黒門をくぐり参道を登ると垂裕神社がたたずむ

秋月藩断絶の危機を救ったのは「秋月を追われた」秋月家

秋月城、黒田長舒、医学
黒田長舒の時代に藩医・緒方春朔など優れた人材を輩出。7代藩主・黒田長堅が早世した影響から医学に力をいれた

「秋月藩主黒田家のなかでも、初代藩主・黒田長堅と共に、8代藩主・黒田長舒(ながのぶ)はぜひ覚えていただきたい人物です」と力強く語る三坂さん。天明4年(1784)、7代藩主・黒田長堅(ながかた)が嗣子のないまま18歳の若さで亡くなってしまい、またも福岡藩が動き秋月藩の断絶を画策します。

そんな秋月藩存亡の危機に後継ぎとして白羽の矢が立ったのが黒田長舒でした。長舒は、明和2年(1765)秋月種茂の次男として誕生。21歳の時、秋月8代藩主として迎えられました。長舒は父の秋月種茂の母が秋月藩4代藩主黒田長貞の娘という、黒田家と秋月家、両家の血を引くサラブレッド。若い頃から文武に優れ、秋月藩の後継ぎにふさわしい人でした。また、長舒は黒田家、秋月家の血を引くだけでなく、上杉謙信や山内一豊など多彩な血筋を持つ人物。期待に応える形で領国経営を行いました。

野鳥川、眼鏡橋、秋月城
城下町南部、野鳥川に架かる眼鏡橋

この黒田長舒の業績として象徴的なのが、城下町に残る「眼鏡橋」。黒田長舒の擁立に際し、秋月藩は代償として福岡藩に代わり長崎警護役を務めることになります。長崎での警備のなかで、「長崎の石橋を秋月にも架けたい」と願うようになりました。というのも、当時の秋月では木の橋が使われ、人馬の往来が激しいために著しく損傷。大洪水が起きると瞬時に流されてしまいました。黒田長舒はついに石橋の架橋建設を決断し、文化7年(1810)に美しいアーチ型の橋を完成させました。残念ながら、文化4年(1807)、43歳の若さで亡くなり、橋の完成を目にすることはできませんでした。

プラスαのお楽しみ!城下町散策と山城トレッキング

秋月城、石垣、水路
ぎっしり積み上げられた石垣と水路が城下町全体に広がる

戦国時代以来の秋月家と黒田家のヒストリー、いかがでしたか?最後に三坂さんに秋月城跡以外のおすすめスポットを聞いてみました。
「秋月城跡のある町の東側だけでなく、黒田家菩提寺の古心寺や大涼寺など、お寺が集まる西側もぜひ歩いていただきたいです。秋月家とキリシタンの関係を物語るキリシタン橋もあります。中世の山城を味わいたい方には、古処山城へのトレッキングもおすすめです。町中に積み上げられた石垣もぜひ見てください」

秋月街道、城下町、風情、店舗
国道322号線(旧秋月街道)沿いには、葛料理店など城下町風情を残す店舗が並ぶ

特産品である「葛料理」や「秋月焼」も見逃せません。「朝倉市秋月博物館」には、秋月家や秋月藩の歴史に関する展示に加え、横山大観や岸田劉生、ルノワールらの絵画も鑑賞できます。

朝倉市秋月博物館、秋月城
朝倉市秋月博物館は2017年10月にリニューアルオープンした

秋月城跡だけではもったいない、散策のテーマが盛りだくさんの城下町秋月。歩きながら800年の歴史をぜひ感じてみてください。ボランティアガイドさんと一緒に歩けば、新たな発見がたくさんありますよ。

風鈴、秋月城
夏には涼しげな風鈴の音が心地よく響く

「秋月城跡への起点」甘木駅へのアクセスをチェック!


甘木駅、秋月城、起点
秋月城への起点となるのは甘木鉄道甘木駅

秋月城跡への起点となるのは甘木鉄道甘木駅。以前にご紹介したローカル線でめぐる城|【JR久大本線】福岡(久留米)~大分5つの城を楽しむ1日トリップの起点であるJR久留米駅からは約40分(JR鹿児島本線で約15分の基山駅で甘木鉄道に乗り換え約25分)です。途中の基山駅は、続日本100名城「基肄城」の起点でもあります。

博多駅から出発する場合も、基山駅で甘木鉄道に乗り換え約1時間です。日本100名城や続日本100名城めぐりの合間に、少し足をのばせば十分訪ねることができます。

「筑前の小京都」とも呼ばれる秋月で、秋を感じる城旅はいかがでしょうか?

秋月学校ガイドボランティアの会
料金:2000円(ガイド1人あたりの料金。電話での事前予約が必要)
※秋月城跡を中心とした1時間30分コース、秋月城跡・黒田家菩提寺を中心とした2時間コース、秋月全体の主な史跡・名所を巡る3時間コースなど要望に合わせて。
↓問合せ先はこちら

住所:朝倉市秋月野鳥
電話番号:0946-24-6758(あさくら観光協会)
アクセス:甘木鉄道甘木駅から甘木観光バス秋月線で20分「博物館前」下車、 徒歩約10分


朝倉市秋月博物館
住所:福岡県朝倉市秋月野鳥532
電話番号:0946-25-0405
開館時間:9時30分~16時30分(最終入館は16時)
入館料:330円
休館日:月曜(祝日の場合は翌日)
アクセス:甘木鉄道甘木駅から甘木観光バス秋月線で20分「博物館前」下車、 徒歩約2分

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。30代の城愛好家。国内旅行業務取扱管理者。出版社にて旅行雑誌『ノジュール』などを編集。退職し九州の城下町に移住。観光PRやガイドの傍ら、「城と暮らし」をテーマに執筆・撮影。『地域人』(大正大学出版会)など。海外含め訪問城は500以上。知識ゼロで楽しめる城の情報発信を目指す。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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