明智光秀とその周辺|小和田哲男 第7回 越前一向一揆との戦いと光秀

本能寺の変で織田信長を討った武将として知られ、2020年・2021年放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』では主人公として描かれた明智光秀。連載講座「明智光秀とその周辺」では、ドラマの時代考証を担当される小和田哲男先生が、光秀の生涯に影響を与えた人々や出来事に全12回でスポットライトを当てていきます。第7回は、織田信長が越前制圧のために行った一向一揆軍との戦いがテーマ。このとき光秀が果たした活躍に、当時の資料を紐解きながら迫ります。(※2020年10月28日初回公開)

一揆もちの国となった越前

天正3年(1575)5月の三河長篠・設楽原(したらがはら)の戦いには光秀は出陣していない。信長は武田勝頼を破ると6月17日に岐阜城に凱旋したが、兵を少し休ませただけで8月12日には早くも越前に向けて出陣している。

越前は朝倉氏が滅亡したあと、朝倉氏遺臣の前波(まえば)吉継が桂田(かつらだ)長俊と名を変え、信長から越前守護代として支配を任されていたが、長俊の横暴さがエスカレートしたことで、不満をもつ者が増え、同じ信長の寝返り組の一人で府中城将となっていた富田長繁との争いがはじまった。さらに長繁が越前一向一揆と呼応し、長俊を敗死させてしまい、続いて一向一揆は長繁をも攻め、織田方の部将となっていた勢力を越前から追い、越前は一揆もちの国となっていたのである。

8月15日から信長軍と一向一揆軍との本格的な戦いがはじまった。戦いの結果、虎杖(いたどり)城の下間頼清(しもづまらいせい)、鉢伏城の専修寺・阿波賀(あばか)三郎兄弟、その他今城燧(ひうち)ヶ城などの一揆勢が府中(武生(たけふ)市)めざして潰走となったが、それをまちうけていた明智光秀・羽柴秀吉の軍勢に捕えられ、2000人ほどが首を斬られた。信長自身、京都の村井貞勝への戦勝報告の中で、「府中町は死骸ばかりである」と殺戮のすさまじさを書いている。

越前一向一揆、豊原
信長が一向一揆軍との戦いで陣を置いた豊原の全景

続いて23日、信長は、かつて朝倉氏の居城だった一乗谷に陣を移し、さらに北上し、28日には豊原(福井県坂井市)に陣を置いた。この豊原は豊原寺という寺があったところで、「豊原三千坊」といわれるように数多くの坊が山中にあり、越前の完全な征圧と、さらに加賀へ侵攻していくための足がかりとしたのである。

ちょうどこの時期の光秀の文書が残っている。大阪青山歴史文学博物館所蔵の「小畠(こばたけ)文書」で、丹波での戦いで怪我をした小畠左馬進永明に養生するように伝えるとともに、次のように伝えている。

次にこの表の儀、府中に於て各御粉骨の故、数多討ち捕り、之に依り一国平均に属し候。明後日廿三、加州相働候。是又彼国面々降参せしめ、迎の為罷り出で候条、即時平均たるべく候。

要するに、越前一国を平定したので、23日からは加賀に侵攻するというのである。この光秀の手紙にあるように、8月23日には信長軍は加賀に攻め込んでおり、そこに光秀の姿もあった。

越前一向一揆、豊原三千坊跡
信長が越前征圧と加賀侵攻の足がかりとした豊原三千坊跡

加賀の代官になった光秀

『信長公記』に、「八月廿三日、一乗の谷へ信長御陣を移させられ、参陣は加州迄稲葉伊豫父子・惟任日向守・羽柴筑前・永岡兵部大輔・別喜右近入るの趣御注進あり」とみえる。稲葉伊豫父子というのは稲葉良通(一鉄)・貞通親子のことで、永岡兵部大輔は細川藤孝、別喜右近は簗田広正のことである。

実際、このときの加賀侵攻によって手取川以南の加賀国は信長軍によって制圧されている。具体的には能美郡と江沼郡の二つである。注目されるのは、このとき、信長から光秀に加賀国代官職が命じられている点である。9月25日付「愛宕神社旧蔵文書」に次のようにみえる。

越州より一昨日帰津せしめ候。仕合能々国民安治の儀申し付け、平均の躰に候。加賀国代官職の儀仰せ付けられ、過半別儀なく申し付け候。一変の上、急度寄進を致すべく候。随って綿十把奉納せしめ候。いよいよ御祈念仰ぐ所に候。旁(かたがた)近日登山仕り、貴意を得べく候。恐々謹言
 九月廿五日((天正三年))    光秀(花押)
威徳院御同宿中

もっとも、加賀国代官職といっても加賀国全部というわけではなく、このとき織田領に組み込まれた能美郡と江沼郡だけである。また、光秀自身、「帰津」とあるように大津にもどっているので、光秀が代官として直務支配していたわけではない。しかし、信長から新征服地の代官に任命されたことは明らかなわけで、吏僚としても能力を発揮していたことがわかる。

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執筆/小和田哲男(おわだてつお)
公益財団法人日本城郭協会  理事長
日本中世史、特に戦国時代史研究の第一人者として知られる。1944年生。静岡市出身。1972年、早稲田大学大学院文学研究科 博士課程修了。静岡大学教育学部専任講師、教授などを経て、同大学名誉教授。
著書 『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(中央公論新社、2010)
   『明智光秀・秀満』(ミネルヴァ書房、2019)ほか多数
   ▶YouTube「戦国・小和田チャンネル」も配信中