2023/06/07
家康を支えた徳川家臣団の城 家康を支えた徳川家臣団の城 第3回 二俣城
NHK大河ドラマ『どうする家康』の主人公・徳川家康が、三河国の領主から天下人へと駆け上がっていった陰には、優秀な家臣団の存在がありました。そんな家臣団にまつわるお城にスポットライトを当てる、小和田哲男先生の連載講座「家康を支えた徳川家臣団の城」。第3回は、徳川十六神将の一人に数えられる忠臣・大久保忠世が城主を務めた二俣城(静岡県浜松市)です。今川氏が領有していた時代から歴史をたどりながら、二俣城の特徴と構造の変化を見ていきましょう。

二俣城の全景
今川氏および武田氏時代の二俣城
遠江は大きく、東から東遠(とうえん)・中遠(ちゅうえん)・西遠(せいえん)、そして北の方を北遠(ほくえん)といって4つに区分され、北遠の中枢となったのが二俣城(静岡県浜松市)だった。
城は、天竜川と二俣川の合流点の台地上に位置し、天竜川が城の西および南を流れ、二俣川が東を流れていたため、北側に空堀を設けさえすれば独立する、立地の点では非常にすぐれていたところに築かれていた。
城がはじめて築かれたのがいつのことなのかはっきりしないが、江戸時代に書かれた遠江の地誌『遠江国風土記伝』では、戦国大名今川氏親の家臣二俣近江守昌長が、文亀年間(1501~04)に築いたとしている。文亀年間という根拠が何であるのか不明であるが、その頃、氏親の勢力が北遠にまでのびてきているので、だいたいその頃の築城とみて大きな誤りはないと思われる。
そのあと、東遠の堤城(静岡県菊川市下平川)の城主だった松井左衛門亮信薫(のぶしげ)が入る。信薫の没後、弟の松井五郎八郎宗信が城主となっており、その頃、かなり手を入れたと考えられている。基本はその頃できたのであろう。宗信は永禄3年(1560)の桶狭間の戦いに従軍し、そこで今川義元とともに討ち死にしており、そのあとは子の宗恒が継いでいる。
しかし、今川氏真が没落してしまい、結局、二俣城は今川家からの自立をはかった徳川家康の領有となり、永禄11年(1568)には鵜殿(うどの)氏長が城番として入っている。のち、武田信玄が遠江への進出に動きだす頃になって、城番は中根正照に代わっている。その中根正照のとき、元亀3年(1572)12月の三方ヶ原の戦いの前哨戦二俣城の戦いがあった。
このとき、城攻めの大将武田勝頼は、城の水の手が天竜川に井楼(せいろう)を造って水を汲みあげるものであることを知り、上流から筏(いかだ)を流し、井楼を壊している。そのため、城は開城し、以後、武田方の依田信蕃(のぶしげ)が守ることになった。
二俣城の城主となる大久保忠世
のち、天正3年(1575)の長篠・設楽原の戦いで武田勝頼が大敗を喫し、家康は二俣城を取りもどしている。そのとき、家康は重臣の一人大久保忠世を二俣城主とした。
さて、その大久保忠世であるが、「徳川十六神将」の一人にカウントされ、家康の三河平定の戦いから従軍しており、股肱(ここう)の臣といってよい。天文元年(1532)の生まれなので、家康よりちょうど10歳年長である。大久保忠員(ただかず)の長男で、弟に忠佐(ただすけ)や『三河物語』を著わした大久保彦左衛門忠教(ただたか)らがいる。
三河一向一揆の平定にも活躍し、三方ヶ原の戦いでは、浜松城近くの犀ヶ崖(さいががけ)まで迫ってきた武田軍に対し、天野康景らとともに夜襲をかけたことで知られている。長篠・設楽原の戦いでも戦功をあげ、その論功行賞として二俣城の城主に抜擢されたのである。

天守台より本曲輪
この大久保忠世のとき、城をそれまでの今川・武田時代の戦国の城から近世の城へと造り変えている。改修というより新規築城といった趣がある。二俣城は、大きく、北から北曲輪・本曲輪・二の曲輪・南曲輪の4つの曲輪からなる連郭式の縄張で、本曲輪には天守台もある。従来は、この天守台を築いたのも大久保忠世とされてきたが、その後の研究で、石垣の積み方と石材が浜松城(静岡県浜松市)の天守台と共通することから、天守台の構築は大久保忠世ではなく、天正18年(1590)、徳川家康の関東転封後に浜松城主として入った堀尾吉晴によるものではないかとする説が浮上している。
堀尾吉晴時代、二俣城主となったのは吉晴の弟堀尾宗光なので、そのときの構築ではないかと考えられる。ただし、天守台の上部に礎石は認められないので、天守が建てられていたかどうかはわからない。

本曲輪虎口より天守台
本曲輪の虎口はよく残っていて、試掘調査では門礎石が検出されているので、しっかりした城門が建てられていたことが明らかになった。また、本曲輪北側の竪堀など見どころは多い。
なお、家康の関東転封に伴い、大久保忠世は相模小田原城主となって移っている。石高は4万5000石である。忠世は文禄3年(1594)に亡くなるが、家督は子の忠隣(ただちか)が継ぎ、忠隣も家康の家臣として重く用いられている。
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執筆/小和田哲男(おわだてつお)
公益財団法人日本城郭協会 理事長
日本中世史、特に戦国時代史研究の第一人者として知られる。1944年生。静岡市出身。1972年、早稲田大学大学院文学研究科 博士課程修了。静岡大学教育学部専任講師、教授などを経て、同大学名誉教授。
著書 『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(中央公論新社、2010)
『明智光秀・秀満』(ミネルヴァ書房、2019)ほか多数
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