2019/09/30
【日本100名城・甲府城(山梨)】駅チカなのに豊臣・徳川のスゴイ城が楽しめる
実は、甲府駅が城の中に建てられているのをご存知ですか。山梨県といえば、武将・武田信玄のイメージが強い地域ですが、「甲府城」が誕生したのはその武田家が滅亡したあと。戦国時代が佳境に突入し、天下を治めるのは豊臣家か!? それとも徳川家が台頭してくるのか!? と、世の中が騒然としていた時に築かれました。 今回は、豊臣期に築かれた石垣や、江戸時代に城内にあった天然温泉など、知られざる甲府城に迫ります。 2019年に、記念すべき開府500年を迎えた甲府に注目です!(※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、開館時間などが変更になっている場合がございます。開館時間等改めて公式サイトなどでご確認の上、お出かけください)
甲府城の歴史と見どころポイント
稲荷櫓から見る「舞鶴城公園」の中心部。塔(謝恩碑)の左にあるのが天守台だ
一条小山と呼ばれる独立した丘陵に築かれた甲府城。甲斐・信濃を支配した武田家の滅亡後に、豊臣政権下で築城を開始し、関ヶ原の戦いがあった慶長5年(1600)頃までに完成をむかえます。
甲府城を完成させた浅野長政・幸長親子は、豊臣家の家臣であり、子の浅野幸長は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役、1592~93年・1597~98年)にも出向いています。朝鮮出兵で培った技術は、きっと甲府城築城にも活かされたことでしょう。
甲府城内で発掘された滴水瓦(提供:山梨県立考古博物館)
その証拠に、甲府城内では「滴水瓦 (てきすいがわら)」と呼ばれる、中国・朝鮮半島で使用された瓦が39点見つかっています。朝鮮半島での戦が終わり日本へ戻った大名は、自身の城に滴水瓦を使用するようになり、日本各地へと普及していきました。朝鮮出兵から戻った浅野幸長も、どうやら滴水瓦を甲府城に取り入れたようです。そんな歴史の断片を甲府城で感じられるなんて、とても感動的ですね!
山手御門のある「歴史公園」。JR中央本線・甲府駅の北口に位置する
江戸時代には徳川政権下の城となり、甲府城には将軍の子供や幕府の権力者を城主において、江戸を守る西の抑えとして重要視されました。享保9年(1724) に、城主の柳沢吉保が大和郡山へ転封になると、甲斐の国は幕府の直轄領となります。その3年後には城内で火災が起こり、本丸御殿や銅門といった多くの建物が焼失しました。
廃城後の甲府城では、鍛冶曲輪で葡萄酒醸造所が置かれたり、また、城を分断する形で鉄道が開通したりと、近代化と共に町に溶け込む城の形へと変化していきました。
不等辺四角形の天守台。天守の存在は?
西面から見る天守台。南北22m、東西16mの天守台は城内や城下町、どこから見ても目立つ存在!
東面から見る天守台。石垣のあまりの高さに驚いてしまう!!
本丸にある天守台は、上空から見ると四角形ではなく不整形な四角形。また、石垣の勾配も緩やかで、築城技術がそれほど達していない段階であることが見てとれます。
天守の存在については絵図などが残っておらず、その詳細はわかっておりません。しかし、複数個体分の鯱瓦……しかも金箔のついた鯱瓦や家紋瓦が発見された ことで、天守は存在していたのではないかという説もあります。
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左右に反転して置かれている石。3つの矢穴や石の断面から見てとれる
天守台の石垣もよく観察してみましょう! 加工されていない自然の石を積んだ野面積み。サイズの異なる石をバランスよく詰め込んでいます。石と石の間には、間詰め石と呼ばれる小石を挟んで隙間をなくし、敵兵が登りやすい“とっかかり”をなくしています。
また、甲府城の天守台石垣には特徴があるので、そちらも必見! 「兄弟石」もしくは「双子石」と呼ばれる石は、1つの石を割って積まれていることがわかります。例えば、写真の石垣は左右反転して積まれているのがわかるでしょうか? 双子石は、天守台西面に3ヶ所ほど確認できるので、見つけてみてください。
復元建物が教える、甲府城の姿
稲荷櫓は、平成16年(2004)に木造で外観復元された
ここからは、徳川時代の甲府城にも注目してみましょう!
「稲荷櫓」は、古写真をもとに寛文4年(1664)に築かれた建築当初の姿を復元しました。江戸時代には、武器庫として使われていた記録が確認できます。発掘調査では、輪宝(りんぽう)と呼ばれる地鎮具が見つかっており、いにしえの人々が稲荷櫓の完成に祈りをこめて埋めたようです。
稲荷櫓のある石垣は、なんと高さ14.5m! 城外側から見上げる櫓と石垣もカッコイイです。櫓の内部は、甲府城の歴史がわかる展示室になっており、定期的に企画展示も開催されています。
平成25年(2013)に再建された鉄門
本丸と天守曲輪の間に位置する「鉄門(くろがねもん)」は、上に櫓がついた櫓門です。江戸時代初期には存在していたと考えられており、明治になると取り壊されてしまいましたが、甲府城の文化財価値や理解を高めることを目的に再建されました。遺構を保護するため、石段や水路などは埋設保存し、門はできるだけ昔から伝わる工法で復元工事を行っています。
城の南面にある水堀。写真の右方向に遊亀橋が架かっている
甲府城の南側、鍛冶曲輪の外側には当時の水堀が残っています。現在は南面部分しかありませんが、当時は城を囲むようにぐるっと水堀がはしっていました。
鍛冶曲輪と城外を繋ぐ「遊亀橋」は、明治になってから架けられたもの。侵入を拒む水堀も、廃城令後に城の役割が終わるとともに、その役目を終えました。
少し足を伸ばして甲府城の痕跡探し
甲府城の南東には楽屋曲輪がありました。江戸時代、楽屋曲輪には御殿が建ち、能舞台もあったそう。なかでも、人々を驚かせたのは天然温泉です! どのような温泉だったのか詳細はわかっておりませんが、見る者を驚かせていたという記録が残っています。
現在は、山梨県庁や防災新館が建っているため、当時のままの姿を見ることができません。ですが、平成22年(2010)の発掘調査で、楽屋曲輪南西部に位置する幅27mの石垣が見つかりました。その一部を移設し、山梨県防災新館(やまなしプラザ)地下1階の「甲府城石垣展示室」にて保存・展示しています。
甲府城石垣展示室に展示されている、楽屋曲輪南西部に位置する石垣の一部
写真の石垣の手前に並べられた木は「胴木(どうぎ)」といいます。胴木は、軟弱な地盤で石垣が沈下しないように、石垣の下に敷かれた木材です。普段は石垣の下にいるため見ることはありませんが、胴木は全国各地の城の石垣にも使われる技術なのです!
愛宕町にあった鐘楼を模して「甲州夢小路」の一角に再現。外壁は銅張で、高さは15mにも及ぶ
また、JR甲府駅北口には鐘楼(しょうろう)があります。江戸時代、人々になくてはならなかったのが、時刻を知らせる「時の鐘」。今のように1日が24時間ではなかったため、昼夜の長さを調整して時刻を知らせていました。1日を12支にあてはめて等分し、朝6時、昼12時、夕方6時、深夜0時、さらに昼夜を問わず2時間ごとに鐘をついて時刻を知らせていたそう!
鐘楼は、横近習町・愛宕町と場所を移し、火災で焼失するなど災難に遭いながらも、明治まで使われました。そして、141年の時を経て、平成25年(2013年)に新造されたのです。
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甲府城の見どころは、舞鶴城公園の中だけとは限りませんよ。町の中を歩き、知られざる甲府城を発見してくださいね。
甲府城 (舞鶴城公園)
住所:山梨県山梨県甲府市丸の内1-5
電話番号:055-227-6179(舞鶴城公園管理事務所)
アクセス:舞鶴城公園・歴史公園へは、JR甲府駅より徒歩3分。甲府城石垣展示室へは、JR甲府駅より徒歩5分。
・舞鶴城公園 稲荷櫓・鉄門
開館時間:9:00~16:30(入館は16:00まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/29〜1/ 3)
※園内は常時開設
・甲府城石垣展示室
住所:山梨県甲府市丸の内1-6-1やまなしプラザ B1F
開館時間:9:00~21:00
休館日:なし(年中無休)
執筆/いなもと かおり
お城マニア&観光ライター
城年間120城を巡る。國學院大學文学部史学科古代史専攻卒。19歳の時に、会津若松城に一目惚れしてから城の虜となる。訪城数は600ほど。国内旅行業務取扱管理者、日本城郭検定1級、温泉ソムリエ、夜景鑑賞士2級の資格をもつ。城めぐりの楽しみ方を伝えるべく、テレビやラジオにも出演中。※2021年9月現在