皇居ランのコースはお城めぐりにぴったり!?高低差を感じながら江戸城の内堀を楽しむ

「皇居ラン」のコースとしてランナーに人気の皇居外周は、大部分が江戸城の内堀に沿っていますので、江戸城の内堀めぐりにおすすめです。コース上には外桜田門、桜田巽櫓、大手門、平川門、千鳥ヶ淵、半蔵門などが点在し、走っても歩いても江戸城の遺構が楽しめます。皇居ランのコースをたどって、江戸城の内堀沿いを攻めてみませんか?

皇居ランってなに?

皇居の周りを回るランニング「皇居ランニング(皇居ラン)」のコースは、1周約5km、高低差約30m。初心者でもとっつきやすい距離に加え、信号がなく、車道を横切らなくていいこと、周囲に着替えなどができるランニングステーションが豊富にあることなどから、人気となっています。さらに、お城好きには、走りながら江戸城(東京都)の内堀も楽しめてしまう、という特典つき! なので、「ランニングがちょっと厳しい」という方は、皇居ウォーキングもいいですね。今回は皇居ランをしながら楽しめる江戸城のポイントをご紹介します。

まずは外桜田門と上杉家の屋敷跡へ

皇居ランは反時計回りに走るというルールがあります。ただし、どこからスタートしてもよく、江戸城の南にある外桜田門(重要文化財)の周辺がスタート地点として人気です。というのも、外桜田門から枡形を通って中に入ると広場になっており、準備運動やランニング後のストレッチをするのにちょうど良いのです。

また、外桜田門の周辺は高低差が少ない平坦地になっており、ランナーとしては走りやすい一方、城好きとしては高低差のない地形に注目したくなります。

江戸城、皇居ラン、外桜田門
皇居ランのコースから、外桜田門と東京駅周辺のビル群を望む

外桜田門は江戸城に残る代表的な枡形虎口ですので、江戸城を攻めるつもりで桝形虎口を通り抜けてみるのもいいですね(実際には撃たれてしまっているでしょう)。

江戸城、皇居ラン、外桜田門
外桜田門は大正12年(1923)の関東大震災で渡櫓が破損し、後に復元された

外桜田門の周辺には有力外様大名の屋敷が立ち並びました。例えば、外桜田門を出て桜田門交差点を渡ると、内堀通り沿いに「米沢藩上杉家江戸藩邸跡」があります。

江戸城、皇居ラン、外桜田門、米沢藩上杉家江戸藩邸跡
米沢藩上杉家江戸藩邸跡を示す案内板

豊臣秀吉が設置した五大老のひとり上杉景勝は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、徳川家康によって出羽米沢30万石に移封されました。その後、慶長8年(1603)に桜田門外に建てられた上杉家の江戸屋敷は「桜田屋敷」と呼ばれ、幕末まで江戸藩邸として重要な役割を果たしました。

内堀越しに映える桜田巽櫓と大手門

皇居ランのコースに沿って内堀通りを北上すると、右手に御幸通りと東京駅が見え、まもなく左手に二重の櫓が見えてきます。この櫓は、江戸城の本丸から見て東南(巽の方角)の隅にあることから「巽櫓(たつみやぐら)」または、「桜田巽櫓」と呼ばれています。富士見櫓、伏見櫓と並んで江戸城に残る江戸時代の櫓のひとつで、隅櫓としては唯一現存する貴重な遺構です。

江戸城、皇居ラン、外桜田門、桜田巽櫓
桜田巽櫓の南面には千鳥破風を設け、石落としや狭間を備えている

桜田巽櫓から約400m北側には大手門があります。大手門は江戸城の正門で、参勤交代で江戸に滞在していた大名たちが江戸城に登城する際に使用しました。高麗門と渡櫓門から成り、枡形になっているのがよく分かります。

大手門は、慶長11年(1606)に藤堂高虎によって建てられたとされ、明暦3年(1657)の明暦大火で焼失した後、万治2年(1659)に再建されました。

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大手門の渡櫓門は昭和20年(1945)の空襲で焼失し、昭和41年(1966)に再建された

大手門から江戸城の内部に入りたくなる気持ちを押さえて、皇居ランのコースで内堀に沿ってさらに北を目指します。

平川門と一橋家ゆかりの地

大手門から約1kmの平坦なコースを経て東京メトロ竹橋駅に到着すると、周辺には平川門があります。平川門の前の内堀(平川濠)には今も木橋が架かっており、江戸城の枡形門の中で、木橋が往時のように残されているのは平川門だけです。

平川門は本丸から最も近い通用門でもあり、大奥女中が出入りする通用門「お局御門」としても機能しました。さらに、北の丸に屋敷を構えた御三卿(清水家・一橋家・田安家)の登城口としても使用されました。

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城内で罪人や死者が出ると平川門から出されたため「不浄門」とも呼ばれた

平川門の北側には、御三卿のひとつ一橋家の屋敷がありました。現在の丸紅本社ビルや気象庁、大手町合同庁舎の辺りが該当します。

付近には「一橋門」の跡もあります。一橋門は徳川家康が江戸城に入城する前から架かっており、大きな丸木のみが架かっていたことが「一橋」の名の由来とされます。17世紀中頃には、松平信綱(松平伊豆守)の屋敷があったため、「伊豆殿橋」とも呼ばれました。信綱は島原の乱を鎮圧したり、老中を務めたりと江戸幕府で重要な役割を担った人物です。忍城(埼玉県行田市)や川越城(埼玉県川越市)の城主も務めました。

一橋門の石垣は寛永6年(1629)に築造されましたが、明治6年(1873)に撤去されたため、わずかに一部の石垣が残るのみです。

高低差を感じながら千鳥ヶ淵公園へ

江戸城、皇居ラン、千鳥ヶ淵公園
桜の名所として有名な千鳥ヶ淵公園

竹橋駅から千鳥ヶ淵公園までは高低差約26mの上り坂が続き、皇居ランのコースで最もきついとされる区間です。この区間は天守台の近くを通っていることから、江戸城のなかで特に高所だったことがわかります。

千鳥ヶ淵は当初、水を確保するためのダムとして機能していました。江戸城の西側(麹町)から流れる小川をせき止めることで水源を確保し、本丸と西の丸の間を通って日比谷入江(現在の日比谷公園付近)に流れ込んでいたとされます。

千鳥ヶ淵の名の由来ははっきりとしておらず、冬に都鳥などが多く集まることや、V字型の堀が千鳥に似ていることなど諸説あります。

半蔵門を経て三宅坂でラストスパート

江戸城、皇居ラン、桜田濠
半蔵門から望む内堀(桜田濠)。半蔵門の北側は「半蔵濠」、南側は「桜田濠」と区別される

千鳥ヶ淵公園を過ぎると、今度は外桜田門まで下り坂が続きます。ですので、これまでと同じ内堀に沿ったコースではあるものの、少し高い位置から内堀が見渡せます。

江戸城、皇居ラン、半蔵門
半蔵門は甲州街道の入口にあたり、「麹町御門(こうじまちごもん)」とも呼ばれた

左手に見えてくる城門は、江戸城の西側に設けられた半蔵門です。付近に伊賀衆組頭の服部半蔵正成の組屋敷があったため、半蔵門と呼ばれたとされます。寛永12年(1635)には江戸城の水堀の拡張にともない、伊賀衆の屋敷は麹町からさらに西の四ツ谷に移転しました。

江戸城、皇居ラン、外桜田門
内堀越しに外桜田門と東京駅周辺のビル群が映える

三宅坂を下るといよいよラストスパート。だんだんと外桜田門が近づいてきます。

内堀をなぞるように整備された皇居ランのコースをたどると、江戸城の城門や櫓などの遺構に当たり、江戸城の高低差を感じることもできます。走るにしても歩くにしても、皇居ランのコースから江戸城の内堀をめぐってみてはいかがでしょうか。

住所:東京都千代田区千代田
電話:03-3556-0391(千代田区観光案内所)
アクセス:東京メトロ有楽町線「桜田門駅」から徒歩1分(外桜田門まで)

藪内成基,城びと
執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
国内・海外で1000超の城を訪ね、「城」をテーマに執筆・ガイド。著書『講談社ポケット百科シリーズ 日本の城200』(講談社、2021年)。『小学館版 学習まんが日本の歴史 6~8巻』(小学館、2022年)、『地図で旅する! 日本の名城』(JTBパブリッシング、2020年)などで執筆。日本お城サロン(まいまい京都主催)を運営する。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています。

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