お城EXPO 2022 徹底ガイド お城EXPO 2022 徹底ガイド⑥ 企画展示「城郭と技術」解説

12月17日(土)・18日(日)に開催される「お城EXPO 2022」でお城好きにとって見逃せないのが、お城や歴史にまつわる貴重な展示の数々を鑑賞できるテーマ展示です。その中でも「企画展示」では、ある一点に注目しただけではなく、俯瞰的にとらえることができるような構成毎年趣向を凝らして企画しています。2022年のテーマは「城郭と技術」! どんな展示となっているのか? 気になる内容と見どころを紹介しましょう。

城郭で培われた技術と知恵が江戸時代の科学技術の到達点「大日本沿海輿地全図」を生み出した!?

お城EXPOでは主催者展示として、毎年特定のテーマに沿った展示を行っています。

2017年から2019年までは、戦国時代から江戸時代初期にかけての歴史について、古文書や絵図・絵画等の実物資料を中心に、ジオラマ・イラスト・アニメ・凸版印刷株式会社によるデジタル想定復元「大阪冬の陣図屏風」などと併せて展示することで、来城者の皆様に城郭が数多く建てられた戦国時代から江戸時代初期の歴史を体感して頂くことを目的とした展示を実施しました。

▼2017年企画展示の様子はこちら➡「【イベントレポート】お城EXPO 2017:2日目「お城ファンの熱気でムンムン!」」https://shirobito.jp/article/236
▼2018年企画展示の内容はこちら➡「「お城EXPO 2018」徹底ガイド①~概要をつかむ~」https://shirobito.jp/article/548
▼2019年企画展示の内容はこちら➡「【前編】お城EXPO 2019 テーマ展示「天下の行方-大坂の陣その後-」徹底解説!」https://shirobito.jp/article/964

前回と前々回は、現在の私たちが抱く城郭や戦国武将に対するイメージの形成と変遷に焦点を当て、2020年は津久井城を主な事例として軍学や合戦に関する伝承に関する展示を、2021年は豊臣秀吉の一代記である「太閤記」の変遷から、秀吉や「太閤記」に登場する武将たちのイメージが変容・拡散する過程をたどる展示を行いました。
今回の「お城EXPO 2022」では、城郭や戦国武将に対するイメージの形成と変遷に関する現在の到達点として、『信長の野望』や『戦国無双』、『太閤立志伝』シリーズで有名なコーエーテクモゲームスコーナーや、戦国武将のイラストを数多く手掛ける長野剛氏の原画展を用意しております。さらに、城めぐり観光情報ゾーンでは「戦国IXA」や「あっぱれJO!」などに、城郭や戦国時代に対するイメージがさらなる変化を遂げる様子を目の当たりにすることができます。

▼2020年企画展示の内容はこちら➡「お城EXPO 2020⑦ テーマ展示「城郭の役割―実用と表象―」徹底解説!【第1回】」https://shirobito.jp/article/1216
▼2021年企画展示の内容はこちら➡「お城EXPO 2021 徹底ガイド⑥ テーマ展示「伝承する歴史―豊臣秀吉を中心に―」徹底解説!」https://shirobito.jp/article/1479

今回の企画展示では、城郭について技術という側面からアプローチを行い、技術の背景にある前近代の科学技術や知の体系について紹介します。「城郭の技術」と題して、城郭にまつわる技術に焦点を当て、そこから江戸時代の科学技術や学問の変遷をたどり、その到達点として伊能忠敬による「大日本沿海輿地全図」を位置付ける展示を行います。

とはいえ、「城郭と技術」と一言で言ってもその範囲は非常に広範に及ぶため、当展示では城郭の石垣に焦点を当て、下記のコーナーに分けて城郭における技術について紹介します。

①石垣にする石を採る―小田原市史跡 ・江戸城石垣石丁場跡を事例に―

城郭に関する技術の中でも石垣の石に焦点を当てたコーナー。石丁場からの採石技術について、小田原市の早川石丁場群を事例として、江戸城の石垣用に採掘された石について見ていきます。

②「石垣秘伝書」にみえる石垣構築技術

石垣秘伝之書
「石垣秘伝之書」延宝8年(1680)(熊本市教育委員会所蔵)

松宮観山、分度余術
松宮観山「分度余術」(度量衡・蠻規(コンパス))享保13年(1728)(国立国会図書館所蔵)

延宝8年(1680)に書かれた「石垣秘伝書」(熊本市蔵)を紐解きながら、石垣を構築する技術や用いられている算数・数学の紹介と、石垣構築技術と当時の教養であった軍学との関係について紹介します。

③軍学における測量技術と西洋技術の導入

松宮観山、分度余術
松宮観山「分度余術」享保13年(1728)(国立国会図書館所蔵)

量地指南
村井昌弘『量地指南』享保18年(1733)(国立国会図書館所蔵)

このコーナーでは築城や石垣の構築に用いられ、江戸時代における西洋技術の導入について紹介します。

江戸時代最大の軍学の流派であった甲州流やその系譜を汲む北条流や山鹿流の軍学書には、「石垣秘伝之書」に押絵が描かれている「曲尺」という言葉が度々登場します。「曲尺」は現在でも大工さんの計測道具として用いられておりますが、軍学書に出てくる「曲尺」は道具という意味ではなく、計測を自在に扱うことを象徴する言葉として使われており、実際の使い方は「口伝」すなわち口頭で伝えるとされていました。

とりわけ、江戸時代前期の正保年間に幕府が諸藩に作成を命じた「正保城絵図」や「正保国絵図」に深く関わり、寛文9年(1669)にこれらの校訂事業の責任者であった、幕臣の北条氏長は北条流軍学の創始者であり、オランダから伝えられた測量術である「紅毛流測量術」を積極的に学んでいたことが確認できます。北条流からは測量術の一派である清水流が生まれました。この過程から、江戸時代前期の段階で在来の測量術に加えて西洋の測量技術も導入された様子についてたどります。

④海外から見た江戸時代と江戸時代の人々が描く日本列島

ケンペル/ショイヒツァー、江戸図
ケンペル/ショイヒツァー「江戸図」1750年頃(ゼンリンミュージアム所蔵)

城郭の建設や修復に不可欠な測量技術として17世紀初頭にオランダから「紅毛流測量術」が導入され大きな影響を与えるなど、江戸時代において海外からの影響は少なからず存在しました。このような交流がある中で、海外の人々は江戸時代の日本列島をどのような眼差しで観ていたのでしょうか。この点について、ゼンリンミュージアム所蔵のケンペル/ショイヒツァーが描いた江戸の絵図(複製)を中心に、彼らの目線をたどっていきます。

⑤和算の普及と用途

算法普請手引集

算法普請手引集
『算法普請手引集』安政4年(1857)(国立国会図書館所蔵)

当コーナーでは江戸時代に用いられていた様々な算数・数学について紹介します。

「石垣秘伝之書」や軍学書を見てきたように、築城や石垣の構築には思いの外多くの算数・数学的な要素が実務でも用いられていました。この他にも江戸時代には様々な分野で算数や数学の知識が用いられたため多くの人々が学習し、さらには算数や数学は趣味や芸能としても広まっていきました。

江戸時代は様々な分野に関する書籍が作られた時代であり、算数・数学に関する書籍も目的に応じて多く作られました。当コーナーではこれらの書籍から江戸時代の算数・数学の一端について触れます。

⑥江戸時代に作られた地図の世界

石川流宣、日本海山潮陸図
石川流宣『日本海山潮陸図』元禄4年(1691)(国立国会図書館所蔵)

森幸安、河州石川郡金剛山千早図
森幸安「河州石川郡金剛山千早図」寛延2年(1749)-宝暦7年(1757)(国立公文書館所蔵)

長久保赤水、改正日本輿地路程全図
長久保赤水『改正日本輿地路程全図』天保4年(1833)(ゼンリンミュージアム所蔵)

当コーナーでは江戸時代に作られた地図の変遷の概要を紹介します。

江戸時代初期の正保年間に幕府が諸藩に命じて「正保城絵図」や「正保国絵図」が作られましたが、江戸時代中期までは広く流通していたのは「行基図」と呼ばれる、遅くとも鎌倉時代後期には成立していた形式の地図でした。江戸時代中期以降からは、地元の歴史や地理について調べて書かれた地誌や地図が数多く作られるようになります。

このような歴史や地理についての関心は、お城EXPOでの企画展示2021年の「伝承する歴史 -豊臣秀吉を中心に-」や2020年の「城郭の役割―実用と表象―」でも紹介したように、江戸時代の初期から出現し、軍学や軍記に関する書籍(軍書)が出版時代が経つにつれて広く持たれるようになりました。

この過程で森幸安のように、地誌や地図を収集し考証作業をすることによって精度の高い地図が作られるようになりました。これらの地図は幕府や藩による公的な目的作られたというよりは、市井の人々の中から地理や歴史に関する好奇心が嵩じて作られる場合が多くを占めました。このような考証的作業を通じて作られた地図の到達点として、長久保赤水(ながくぼせきすい)が作成した「日本與地路程全図」が挙げられます。

⑦伊能図の世界

伊能忠敬、『実測輿地図(伊能小図)』
伊能忠敬『実測輿地図(伊能小図)』文政4年(1821)(ゼンリンミュージアム所蔵)

このコーナーでは、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」を縮尺を大きく(432,000分の1)した、ゼンリンミュージアム所蔵「實測輿地圖(伊能小図)」の複製を展示します。

同絵図は国立博物館にも所蔵されており重要文化財に指定されています。この地図は、針突法(しんとつほう)という複数の図面を作成するときに用紙を重ね、測線の節点に針穴を通して複写する方法で作成されています。

伊能忠敬たちの測量方法は海外からの天文学の知見や観測方法を取り入れながらも、基本的には江戸時代初期の北条流の軍学書である「分度口訣」に記された導線法という、当時広く用いられていた手法で行われました。従来の方法の精度を高め、天文観測によって位置の誤差を修正することで「大日本沿海輿地全図」を作成しました。

おわりに

築城の中で培われた技術は、江戸時代前期に築城など軍事全般を研究する軍学が発達する過程で測量術の発達につながりました。測量術は検地や土木工事など様々な局面で用いられ、その基礎となる和算も幅広く学ばれるようになります。

一方、江戸時代は幅広い分野の書籍が流通するなど、知的好奇心に富んだ人々が非常に多く存在していました。その中から歴史や地理に関する興味や和算や天文学に関する興味を持つ人たちが現れ、それぞれの興味を地図によって表現する者が登場しました。前者の代表は森幸安と長久保赤水、後者の代表が伊能忠敬です。

このように「築城と技術」という視座からは江戸時代の知の様子を垣間見ることができますし、その源の一つとして石垣の構築に関する算数・数学を位置付けることができましょう。

執筆/山野井健五
1977年生まれ。2009年成城大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学、川口市立文化財センター調査員、目黒区めぐろ歴史資料館研究員、東京情報大学非常勤講師を経て、現在、(株)ムラヤマ、お城EXPO実行委員会。専門は日本中世史。主な業績として「中世後期朽木氏における山林課役について」(歴史学会『史潮』新63号、2008年)、「中世後期朽木氏おける関支配の特質」(谷口貢・鈴木明子編『民俗文化の探究-倉石忠彦先生古希記念論文集』岩田書院、2010年)監修として『学研学習まんがシリーズ まんがで読む 平家物語』(Gakken、2022年)、『学研まんがNEW日本の歴史4 武士の世の中へ』(学研プラス、2012年)