2022/05/12
理文先生のお城がっこう 城歩き編 第48回 城を守る施設(石落(いしおとし))
加藤理文先生が小・中学生に向けて、お城のきほんを教えてくれる「お城がっこう」の城歩き編。今回のテーマは、敵から城を守るため天守や櫓に備えられた穴状の防御施設「石落」です。名前からは「穴から石を落とす」という利用方法をイメージしますが、実際はどのように使われていたのでしょう? 各地の城に現存する石落を例に、種類と構造を見ていきましょう。
天守や櫓(やぐら)の外壁(がいへき)に突(つ)き出し、石垣(いしがき)や建物に押(お)し寄(よ)せる敵(てき)兵を攻撃(こうげき)するための仕掛(か)けが「石落(いしおとし)」になります。その構造(こうぞう)は、いたって簡単(かんたん)なもので、床(ゆか)面に開けられた細長い穴(あな)を利用して攻撃する施設(しせつ)になります。名前からするなら、この穴から石を落として敵兵を撃退(げきたい)することになりますが、そのためには室内に大量の石を保管(ほかん)しておかなければなりません。また、上から石を落とすことで、どの程度(ていど)敵方の侵攻(しんこう)を防(ふせ)ぐことができたのでしょうか。今回は、「石落」とはいったいどのように利用されていたのかを考えてみたいと思います。
姫路城(ひめじじょう)天守初重の「石落」。四隅(すみ)と中央部に石落がありました。中央部は、2階の出格子(でごうし)窓下が開けられていて、下からは石落の存在は解(わか)りません
「石落」の役割
江戸時代の軍学書によれば、「石落」は、石垣に取り付いた敵兵に対して、上から石を落として撃退する仕掛けだとされています。建物直下にまで押し寄せた敵兵に対しては、狭間(さま)や窓(まど)からだと死角になって攻撃出来ないため、上から石を落として追い払(はら)わなければならないからだと説明しています。また、煮(に)えたぎらせた汚水(おすい)(汚(よご)れた水のことです)や糞尿(ふんにょう)(人間の大小便を合わせた呼(よ)び方です)を敵に浴(あ)びせ掛けたり、近くまで登って来た敵兵に対しては、槍(やり)で頭を突き刺(さ)したりすれば良いなどと、まるで軍記物語(合戦を主題として、その時代や人物を描(えが)いた文学作品のことです)の『太平記(南北朝の動乱(どうらん)を描いた作品です)』の世界のようなことまで説いています。
太平な世が続く江戸時代には、すでに「石落」の役割(やくわり)すら忘(わす)れられていたということでしょうか。石落の隙間(すきま)は、20~30cm程(ほど)しかありません。ここから石を真下に落としても、ほとんど効果(こうか)は期待できません。糞尿も汚水も、少し離(はな)れれば届(とど)くはずもありません。
石落には、「袋狭間(ふくろざま)」「足駄狭間(あしだざま)」「塵落(ちりおとし)」「武者返(むしゃがえし)」などの別称(べっしょう)があります。これらの名前からも、本来は「狭間」の一種であったことが解ります。石落は、本来下向きの狭間だったのです。ここから、鉄砲(てっぽう)を下方に向けて撃(う)つための開口部でした。当然鉄砲ですので、真下だけでなく斜(なな)めにも射撃(しゃげき)が出来ますので、石落1ヵ所で左右数10mの範囲(はんい)を守備(しゅび)できたのです。
石落の隙間を下から見てください。この隙間から石を落とすことが出来ますか? ここから鉄砲で射撃をしたわけです
石落の種類と構造
石落は、外側の形状(けいじょう)から大きく袴腰(はかまごし)型・戸袋(とぶくろ)型・出窓(でまど)型の3種類に分類されます。さらに、それぞれ外壁を白色仕上げの土壁(つちかべ)である漆喰(しっくい)の塗籠(ぬりごめ)とする場合と、黒い板壁(いたかべ)の下見板張(したみいたばり)とする場合がありました。しかし、石落の内側の作り方は、どれも大きく変わることはありません。
袴腰型は、その外壁の裾(すそ)を斜めに張(は)り出した裾広がりとなる形式で、最も広く用いられた石落です。その腰壁(こしかべ)の裾広がりの形が袴に似ているので袴腰と呼ばれています。袴腰型の石落は、壁面中ほどで終息する物と、石垣直上まで伸(の)びる物がありますが、その効果は同程度です。また、大部分が壁面の隅部に配されました。
大洲城(おおずじょう)(愛媛県大洲市)三ノ丸南櫓の下見板張の袴腰型の石落(左)と、高松城(香川県高松市)艮(うしとら)櫓の白漆喰総塗籠(しろしっくいそうぬりごめ)の袴腰型の石落(右)。共に、石垣天端(てんば)(一番上で、建物との接点の部分です)いっぱいまで開いています。
姫路城乾小天守(いぬいこてんしゅ)の袴腰型の石落。上の写真2つと異なり、壁面半分の所で終息、開口しています
戸袋型は、雨戸の戸袋のように四角形の出っ張りを取り付けたもので、その上には小さな屋根が設(もう)けられることが多く見られます。現存(げんぞん)例は、下見板張の物のみですが、古写真では、数は多くはありませんが塗籠の物も見られます。袴腰型と同様で、大部分が壁面の隅部に配されました。
左が、伊予松山城(愛媛県松山市)小天守の戸袋型の石落、右端が一の門南櫓の戸袋型の石落。共に、小さな屋根が設けられています。土塀の石落は、袴腰型の石落です
出窓型は、出窓の下に石落を設けた物で、外壁の隅部ではなく中央部に設けられました。出窓の上には、様々な破風(はふ)を飾(かざ)ることが出来ましたので、造形的(ぞうけいてき)にも効果が大きく、格式(かくしき)を高める効果も期待されたこともあり、幕府(ばくふ)系の多くの城で採用(さいよう)されることになりました。名古屋城(愛知県名古屋市)の本丸隅櫓では、出窓上の屋根の意匠(いしょう)を入母屋(いりもや)破風・軒唐(のきから)破風付き入母屋破風・切妻(きりづま)破風と変えることで、同形式でありながら外観に変化を持たせることに成功しています。
名古屋城本丸東南隅櫓(左)と、西南隅櫓(右)の出窓型石落。隅ではなく中央部に設けられ、出窓下が開口部になります
大坂城乾櫓の出窓型の石落(左)と、江戸城富士見(ふじみ)櫓の出窓型石落。幕府系の出窓型石落はいずれも同形式ですが、屋根の形を変えることで、意匠を変えています
これらの石落の開口部には、蓋(ふた)が被(かぶ)せられていました。現存例からすると、細長い長方形の板で、蝶番(ちょうつがい)によって内側に上げて開くものだったと思われます。あるいは、開口部に板蓋を被せただけで、開く時には蓋を取り除(のぞ)くような例もあります。
左は開口部に板蓋を被せただけでの石落で、右は蝶番によって右側へと上げて開く石落になります
隠石落(かくしいしおとし)
1階ではなく2階部分に設けた石落を「隠石落」と呼んでいます。名古屋城天守2階の出窓型、松江城(島根県松江市)天守2階の袴腰型などがこれに当たります。普通の石落と違(ちが)って2階の床に設けられていることから、その開口部は一重目屋根の軒裏(のきうら)になるため、隠されているようにも見え、敵が見つけにくいだろうと言うことでこの名があるようです。しかし、2階にある石落は、開口部の下に一重目屋根の太い垂木(たるき)(棟(むね)から軒にかけた斜材のことです)が並(なら)んでいますので、この垂木が邪魔(じゃま)をして視野(しや)が狭(せま)くなり、真下しか攻撃することが出来ないと思われます。従(したが)って、その有効性については何とも言えません。
1階に石落は無く2階に設ける例があります。名古屋城(左)は2階出窓下が、松江城も2階の隅角に石落が設けられていますが、非効率としか言いようがありません
今日ならったお城の用語(※は再掲)
※狭間(さま)
天守や櫓、土塀(どべい)などの内側から、弓矢や鉄砲を射(い)かけるために開けた小窓のことです。
塗籠(ぬりごめ)
土壁の上に白い漆喰(しっくい)を仕上げとして塗り重ねて仕上げた壁のことです。漆喰仕上げと同義(どうぎ)です。
※下見板張(したみいたばり)
大壁造(おおかべづくり)(一般的に柱を見せないように外壁の表面を厚く塗ったものです)の仕上げ方の一つで、煤(すす)と柿渋(かきしぶ)を混(ま)ぜ合わせた墨(すみ)を塗った板を張ったもののことです。漆喰仕上げと比較し、風雨に強いのが長所でした。
※破風(はふ)
切妻造(きりづまづくり)や入母屋造(いりもやづくり)の屋根の妻側(つまがわ)に見られる端部のことです。破風には、入母屋破風、切妻破風、千鳥(ちどり)破風、唐(から)破風などがあります。
▼【連載】理文先生のお城がっこう そのほかの記事
加藤理文(かとうまさふみ)先生
公益財団法人日本城郭協会理事
(こうえきざいだんほうじん にほんじょうかくきょうかい りじ)
毎年、小中学生が応募(おうぼ)する「城の自由研究コンテスト」(公益財団法人日本城郭協会、学研プラス共催)の審査(しんさ)委員長をつとめています。お城エキスポやシンポジウムなどで、わかりやすくお城の話をしたり、お城の案内をしたりしています。
普段(ふだん)は、静岡県の中学校の社会科の教員をしています。