2021/12/07
時を越えてとどけ‼武田信玄生誕500年記念『第14回武田信玄狼煙リレー』アンバサダー体験レポート
武田信玄が情報伝達の手段として使ったとされる狼煙(のろし)を現代に再現した武田信玄狼煙会による「武田信玄狼煙リレー」。第15回となる2022年は、南信州から塩尻までを8月27日(土)、富士見高原から躑躅ヶ崎館までを10月29日(土)にと2回に分けて開催。開催に先駆けて、昨年開催の熱気に満ちた模様を城びとアンバサダーのたけ◎曲輪衆さんがレポートした記事をお届けします。
27市町村66カ所、総距離約300kmをつなぐ狼煙リレー
長野県飯田市に住む城友(しろとも・お城好き仲間の意味)さんからのお誘いを受け、長野県・山梨県で令和3年(2021)10月30日に行われた「武田信玄狼煙リレー」を見に行ってきました。
「武田信玄狼煙リレー」(主催・武田信玄狼煙会)とは、戦国時代の知将・武田信玄が情報伝達の手段として用いた狼煙を関連箇所で再現してあげていくイベントです。
当時は長野県南部(伊那谷)から甲斐(山梨県)までいくつもの「狼煙台(烽火台)」があったそうです。平成20年(2008)長野県飯田市村地区の有志により地域限定で行われた「第1回南信州狼煙リレー」から始まり、今年で14回目を迎えました。「世代を超えて地域の歴史文化を学び、地域と地域、人と人との交流・連携」を目的に参加地区が増え、今回ついに伊那谷から甲府の躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市)までの27市町村68カ所、総距離280kmを狼煙リレーでつなぐことになりました! 次の地図を見ても分かるとおり、とても壮大でロマンあふれる一大イベントです。
せっかくの狼煙リレー、「一カ所で見るのではなく、何カ所かに散らばって見たほうが面白い」ということで、城友さん含めて7名で飯田市周辺の狼煙ポイントとゴールの躑躅ヶ崎館跡近くの湯村山城(山梨県甲府市)の4カ所で狼煙リレーを見た様子をレポートします。
とにかく準備が大変だ!
なにせ68カ所の拠点で狼煙をつないでいくという、各市町村どころか県をもまたぐ広範囲なエリアの狼煙リレー。準備の大変さは想像に難くありません。武田信玄狼煙会事務局長を務める喬木(たかぎ)村公民館の市瀬館長に開催準備についてお話を伺いました。
「発足当時はもともと飯田市村地域だけだったのが、上伊那地域が加わり、諏訪地域が加わりといったように徐々に参加地域が増え、3年前には40カ所に拠点が増えました。7年前からは山梨県との交流も始まりました。山梨は山梨で別個に狼煙リレーを行っていたのですが、『2021 年は信玄公生誕 500 年でもあるし、実施日を揃えよう』ということになり、甲府までつながる道筋がつきました」
長野と山梨をつないだのは、現代でも武田信玄公だったのですね! 市瀬さんのお話は続きます。
「山梨までつながる算段はついたものの、もともと狼煙址(のろしあと)があった一部の地域が空白となっていたため、『一緒にやってくれないか』と地道なお願いを続けた結果、2020年には『ほぼつながるぞ!』というところまでこぎつけ、ついに今回68カ所で狼煙をつなげられることになりました。しかし、今までは長野は8月末、山梨は4月に行っていたのを10月末に季節をずらしたため、運動会・文化祭とかぶる、秋なので山の落ち葉がものすごく火を焚けないから発煙筒でやろう…など思わぬ障害もありました」
やはり実現までには関係者の方々の大変なご苦労と情熱があったんですね。伊那市では、小学生たちが狼煙リレーに参加するために狼煙やぐらを組み立てたり、昔ながらの方法で火起こしをする講習会が開かれたりしたそうです。さらに準備として、狼煙台や燃やす材料調達も必要。竹・ヒノキや杉・よもぎなどの青葉、他にも缶や消火器など延焼防止策も必要で、消防隊が出動した地域もあったそうです。
甲府市の湯村山城の準備の様子。狼煙場はだいたいが山の上。狼煙場まで車で行けないところは、もちろん人力で荷揚げです!
狼煙をあげる準備の中でも大物は――そう、「狼煙台」。狼煙台の組み立て方は地域によってさまざまですが、ここでは飯田周辺地区の様子を見てみましょう。
1.あらかじめ竹の節を抜いておいたもの(抜かないで使用すると破裂して長持ちしないそうです)3本を、下:上=4:6の位置で鉄線か濡れ縄で縛ります。
2.三又で立て、足が滑らないように地面を少し堀り、固定します。
3.着火用の藁(大量)をかけていきます。
4.最後にヒノキの生枝をこれも大量に藁の上に被せていき完成。
狼煙を始めた当初はドラム缶を使用していたそうですが、当時を再現しようと試行錯誤を繰り返して今の形になっていったそうです。
さあ、あとは本番を待つばかり!
狼煙リレー、スタート! 11:00
スタート地点は愛知県と長野県の県境近くの根羽村の杣路(そまじ)峠で、11:00からです。私たち一行は、狼煙の送られてくる順番に
★第1地点 飯田市山本の久米ヶ城跡
★第2地点 喬木村の富田城跡
★第3地点 松川町の台城(大島城)
★第4地点 ゴール地点の隣(甲府市の湯村山城)
と、4カ所に分かれて狼煙が来るのを待ちます。
スタート時間の11:00が近づくにつれ、ドキドキ、ワクワク! 会場の皆さんもソワソワ。私が訪れた会場の富田城でも、実行委員の方々の動きがあわただしくなってきました。
【飯田市・久米ケ城】 11:10 極楽峠の狼煙確認~11∶15 狼煙を上げる
久米ヶ城と水晶山は2つ並んだ山で遠くからでもハッキリ分かり、四方を見渡せる狼煙台に最適なお城です。狼煙が上がる時間まで、今年初めて地域の子どもたちが参加できるイベントが行われました。
(左)クイズ。「武田信玄」or「竹田信玄」などの選択肢があり、子どもたちには難しかったかも!?(右)射的。的は武将の家紋。武田氏の家紋に当てると「信玄餅」がもらえます
狼煙に使う火種にする火起こしも子どもたちによって行われました。火が付く直前にとても力が必要なようで小さな子どもには大変な作業。やっと男子中学生一人が火起こしに成功。しかし、火種にする過程で消えてしまいました。それでも子どもたちは「来年も頑張る」と言っていました。
そしていよいよ、狼煙の上がる時間が迫ってきました。
煙が大きく上がる場所を発見! 下條村の極楽峠の狼煙です。「狼煙が上がった!」と大声を上げてしまいました。
隣の水晶山にも11:12モクモクと狼煙が上がりました。
「狼煙を上げて~」の掛け声で久米ヶ城も11:15点火! どんどんと煙が大きくなり迫力がありました。
久米ヶ城で狼煙をあげている様子
天竜川対岸を見ると、兎城(とじょう)と神之峰(かんのみね)城からも狼煙が上がるのが見えました。少し後に富田城?加々須茶臼山?の狼煙を確認。次々と狼煙がつながっていきます。
ここで待機していた城友のまいけるさん・ほりーないとさん曰く、狼煙が上がってからあっという間に終わり、狼煙は伝わるのが速い、と実感したそうです。
実行委員の方も手ごたえを感じていらしたようで「来年もイベントを計画し、地域の人たちも参加できて子どもたちに楽しく歴史に触れられる狼煙リレーにしたい」とお話を伺ったとのこと。実際に子どもたちも「面白かったから来年も来る!」と喜んでいたそうです。次回は子どもたちが火起こしした火で狼煙が点火できますように。
【喬木村・富田城】 11:13 茶臼山城の狼煙確認~11∶14 狼煙を上げる
喬木村にある神之峰城の支城として築かれた富田城には、狼煙に使う竹とヒノキの葉がすでに準備されていました。時間がたつにつれ実行委員の方々が本丸に集まってきます。みなさん気さくにお話しいただき、周辺の様子や狼煙リレーのことを詳しく説明してくださいました。この富田城周辺は柿の産地。つい先日から柿の収穫が始まったため、干し柿にするための柿剥きの作業も真っ最中で、今年は人が集まりにくいとか。開催時期をずらすと、その地域ならではの困りごとが生まれてしまうのですね。それでも開催にこぎつけた皆様の情熱がすばらしいです。
実行委員の方々は、狼煙リレーの始まった当初からのベテラン勢。慣れた手付きと段取りで、子どもたちと一緒にあっという間に狼煙台を完成。狼煙の上がる時間が近づいてくるとだんだん人も増え、最終的には50人ほど集まっていました。狼煙到達時間が近づくと、こちら富田城もみなさんワクワク状態。
一つ前に上がる予定の城山公園方面を凝視します。しかし、なかなか狼煙が見えない! 実行委員の方々も少し焦りだす。すると、反対側の茶臼山から「狼煙が上がったぞー!」と大きな声。みんな反対側へ走ります。
その狼煙確認後、狼煙を上げる合図の法螺貝の音で子供たちが狼煙に点火! たちまちパチパチと藁が勢いよく燃えだし、すぐにヒノキの葉から白い煙が立ち昇りました。
さらに煙の勢いは強くなり迫力満点。こんなに上がれば遠くからでも確認できるはず!
すると程なくして、11:15天竜川対岸の高森町の吉田古城からも狼煙が上がり、無事、次につながりました。見に来ていた人全員「やったぜ!」という気持ちになりました。何なんだ、この一体感。最高に気持ちいい。
【松川町・大島城】 11:15 吉田古城の狼煙確認~11∶16 狼煙を上げる
大島城で控えていた、さあささん・まさあるさんが松川公民館長の山崎さんにお話を伺ったところによると、例年は広報を展開し、屋台なども出して50人ほどが集まっていたそうです。今年はコロナ禍のため広報は行わず、古町を愛する会・古町地区の公民館・子供会育成会など関係者10人程度のみで実施するとのこと。新しい試みとして、2つの狼煙のうちの1つに煙が風の影響を受けにくいヨモギの葉を混ぜてみたそうです。ヨモギの威力はいかに!?と、その場にいる人々みんなで狼煙があがるのを待ちます。いざ、その瞬間!
「大島城の本丸跡からは3つの狼煙が見えました。次々と上がる他城の狼煙に気分はワクワク。そして大島城の点火の際の高揚感が忘れられません。戦国の昔、武田信玄の強さを支えたスピーディな情報網。それが500年の時を経て地元の皆さんの熱い想いと共に令和に蘇ったと感じました」
さあささん、まさあるさんも大興奮です。
11:22には次の拠点である陣馬形山(じんばがたやま)で狼煙があがったのを確認!
こうして狼煙は下伊那を十数分であっと言う間に駆け抜け、上伊那へつながり、さらに諏訪に至ると90度東に方向転換。次の城友さんの待つ甲府へとつながれていきます。
【甲府市・湯村山城】 12:50 大垈(おおぬた)の狼煙確認~12∶51 狼煙を上げる
甲府地点取材担当の竹下半兵衛さんは楽しみなあまりに早朝から甲府入りし、躑躅ヶ崎館、湯村山、山梨県立科学館と狼煙ポイントを巡ったそうです。当然まだ誰もいるはずもなくいったん躑躅ヶ崎館で待機。しかし、「やはり狼煙の上がるのを早く見たい!」と居ても立っても居られず、躑躅ヶ崎館のすぐ近くにある湯村山城へ行き、狼煙の到着を待っていたとのこと。12:50に念願の狼煙を確認!! ここの担当の方と一緒に狼煙を探していた半兵衛さんが見つけたそうです。
すぐに12:51狼煙に点火~! 煙が横に流れるも、躑躅ヶ崎館からも見えたそうです。近くにいた子どもとおばあちゃんも興味深く見ていました。もちろん消火も完璧。半兵衛さんが湯村山のご担当の方に伺ったところによると、去年は狼煙をあげたのが3月だったため木々が枯れていて狼煙がよく見えたそうです。今年はまだ青々とした中でしたが、うまく伝達されていました。
さて、狼煙見たさに躑躅ヶ崎館から湯村山城に動いてしまった半兵衛さん、湯村山の狼煙が上がった後すぐに車を飛ばして躑躅ヶ崎館へと急ぎましたが、すでに遅し! 13:20に到着した時には到着セレモニーは終わっていました……無念……。図らずも車より早い!狼煙のスピードが実証されてしまいました。
後で半兵衛さんがその場にいらした方からお聞きした話によると、躑躅ヶ崎館のお館様の命を受けた赤備えの鎧を着た7人の子ども部隊が物見に出立し、西手の湯村山城と東手の科学館のある愛宕山砦から上る狼煙を確認。すぐさま躑躅ヶ崎館に引き返し、お館様に13:10「お館様、狼煙が上がりました」と報告して無事ゴールに到着。その後、全員で勝鬨を上げ大成功に幕を閉じたということでした。(編集部注:躑躅ヶ崎館に狼煙が到着した様子は甲府市のYouTubeチャンネルにて公開されています。https://www.youtube.com/watch?v=4-mPGT8_DfU)
信玄の狼煙網ってスゴイ!
このように、南伊那から甲府まで約280㎞を約2時間で狼煙は駆け抜けました。
実際に狼煙を見た率直な感想は「ほんとに狼煙で伝わるんだ!」。
遠くに一本の狼煙が見えたと思ったら、どんどんこちらに近づいてきて、自分のいる場所の狼煙を上げると今度は反対側の狼煙が上がり、さらに北へ北へとつながって離れていく。とてもダイナミックな狼煙リレーに感動してしまいました。
現代の狼煙リレーでは、間が飛ばされないようにとの配慮のため、タイムスケジュールに沿って前の狼煙を確認してから予定時間に狼煙を上げて次につなぎました。狼煙を確認する私たちも「○○城から狼煙が上がった!」「今、○○城、点火しました!」と随時LINEを駆使、ゴール近くに待機していた人からのLINEで「今、ゴールに狼煙が到着しました!」と情報伝達完了を瞬時に知ることができました(これはある意味反則ですね。双眼鏡も使っちゃったし(笑))。
では当時はどうだったのでしょうか? 各狼煙場の兵たちは次につなげることだけを考え、いつ上がるかわからない一つ前の狼煙場を監視し続け、確認と同時に持ち場の狼煙を上げ、一つ後方の狼煙場から狼煙が上がるのを見てやっと胸をなでおろしたのでしょう。今日の結果を見ても分かるとおり、いろんな問題をクリアして実際に狼煙を使って400年以上前に短時間で情報を送っていた武田信玄の狼煙網はすごいな!と思いました。
実際の信玄の狼煙網について
狼煙を見ている間にどんどん疑問や妄想が膨らんでいきます。「武田信玄は狼煙専門の部隊を組織していたのか?」「狼煙網は領内を縫って躑躅ケ崎館まで通じているとはいえ、時は戦国時代。敵襲があったら?」「狼煙場を守る兵も必要だろうけれど、もしも裏切りにあったら?」「狼煙でどんな情報を伝えていたのか?」「躑躅ヶ崎館から領内や最前線に向けて狼煙を上げることもあったのか?」。
会場にいらしていた方々に伺ったことや、富田城で配られた武田信玄狼煙会相談役の原薫先生による資料などから武田信玄の狼煙網について見てみましょう。
信濃全土を支配した武田信玄は伊那谷を兵站基地とし、在地の侍は伊那先方衆として各地に配備されました。この城や砦は天竜川両岸に配置され、ここには武田軍の武器であり戦法の一つとして必ず狼煙場が置かれました。見通しの利く高所・低地に多くの狼煙台が設置されていたものと思われます(高い山は雲や霧に覆われがちだし、盆地内低地は川霧に覆われるため高地や低地の狼煙台も必要)。高地・低地ともネットワーク化されていたのです。
近年の研究により、信玄は躑躅ヶ崎館を中心とした怪火の大伝達網のほかに、支城を中心とした小伝達網も構築していたといわれます。甲斐本国では、支城と支城の間の距離は4~5kmですが、小伝達網の場合1~2kmと短くなっています。近距離での通信手段には烽火のほかに法螺貝や鐘太鼓などの鳴り物も用いられたそうです。
下伊那郡でも、今回狼煙を上げた場所以外にももっと密に狼煙場が点在していたことが分かっています。武田信玄はこの狼煙ネットワークに価値を見出して、さかんに利用したといわれています。
もっと先、未来に!これからの狼煙リレー
今回の「武田信玄狼煙リレー」、まだ新型コロナの影響が残る中での開催でしたが、総勢2000人以上の関係者および見に来られた地域の方々、観光客が参加した大きなイベントとなりました。私たちの行ったポイントでも喬木村ケーブルテレビさん、松川町ケーブルテレビさんや地元新聞社さんなどの取材もあり報道されて、地元でもこのイベントが定着してきているのだな、と感じました。山梨県では行政もこのイベントを後押しし、各観光協会のホームページなどで前宣伝なども行われたくさんの人が参加したようです。
これからの狼煙リレーに対する想いを前出の武田信玄狼煙会事務局長・市瀬さんにお聞きしたところ、力強いお言葉をいただきました。
「この現代によみがえった武田信玄の狼煙網は、コース上に位置する地域の歴史・文化遺産でもあり、観光資源としても可能性を秘めたもの。まだ参加できていない地域や行政側にも地道に働きかけて、地域一体となって地区の垣根を超え楽しめるものとして、次の世代にも引き継いでいってもらいたい。また多くの観光客の方々にも来てもらえるよう官民問わず参加できる環境も整えていきたい」
また、今年はドローンを2機飛ばして動画を撮影しており、今年度中にはYouTubeで公開するなど情報発信にも力を入れていきたいということです。
私含め今回一緒に見に来た城友さんたちも口を揃えて「楽しかった!」「迫力があって興奮した!」「狼煙が届く時のワクワク感がたまらない!」なんて感想ばかり。おまけに狼煙の上がる場所は山城や砦ばかり。狼煙を見た後は地元の城友さんに大島城・神之峰城・知久平城・知久陣屋(いずれも長野県)を案内してもらい、南信州のお城と歴史を堪能してきました。お城マニア・歴史ファンにとって最高に楽しめるイベントです。来年は狼煙リレーをまだ見たことない城友さんを誘って、今度は違う狼煙場からリレーを見てみたいです!
(左)狼煙リレーを見た後、ご協力いただいた城友さんたちと大島城に登城! (右)信玄により攻められ領地を失った知久氏が、徳川時代に返り咲き築いた知久陣屋に現存する御殿茶室曙月庵。飾られているのは、藩主が奨励し特産品として残る阿島傘
最後に、今回狼煙リレーに誘っていただいた南信州のお城・歴史loveの城友さんのメッセージでレポートを終わります。
「狼煙が目の前で上がって次々とつながっていくと嬉しくなります。一緒に見る仲間がいるとさらに楽しいです。ぜひ、お城いっぱい、自然いっぱいの南信州・甲州へ狼煙リレーを見に来てください」
執筆・写真 / たけ◎曲輪衆(小野雅章) 写真・取材協力/まいけるさん、ほりーないとさん、はとまめさん、さあささん、まさあるさん、竹下半兵衛さん