お城の現場より〜発掘・復元最前線 第36回【大桑城】土岐氏が築いた伝「岩門」石垣の姿

城郭の発掘・整備の最新情報をお届けする「お城の現場より〜発掘・復元・整備の最前線」。第36回は、土岐氏の政治拠点として栄え、斎藤道三が落城させた大桑城(岐阜県山県市)。土岐氏が築いた伝「岩門」石垣の築城時期や大きさ・形状など、新たに判明した発掘調査結果について山県市教育委員会生涯学習課の高木晃さんが紹介します。

“土の城”が一般的だった時代に築かれた“石垣”

大桑城は、古城山(標高407.5m)の山頂部に築かれた山城と、南麓の谷地形を利用した城下町からなる。特徴的な遺構としては、山城における谷筋を利用した曲輪群や巨石を用いた虎口(伝「岩門」)、城下町出入口の惣構(四国堀)などを挙げることができ、近江六角氏の観音寺城や越前朝倉氏の一乗谷城(福井県福井市)および城下町との類似性が指摘されている。

大桑城跡縄張図
大桑城跡縄張図/中井均氏作成

大桑城、四国堀
城下町出入口にある四国堀(市史跡)

大桑城は、守護土岐氏が本拠とした美濃国最大の山城である。天文4年(1535)に起こった長良川の洪水を契機とし、土岐氏は守護所の機能をこの地に移転させ大桑城を整備したが、天文12年(1543)、国盗りを目指す斎藤道三との戦いにより落城したとされる。また昨年の大河ドラマ『麒麟がくる』では、斎藤道三が「大きな国」をつくることを明智光秀に伝えた舞台として登場した。

山県市は、この大桑城跡の価値を明らかにし、本市のかけがえのない歴史資産として未来へ継承していくため、国の史跡指定を目指した調査を令和2年度から開始し、地形測量、石垣の分布調査、発掘調査などを実施している。

地形測量では、航空レーザー計測の手法により赤色立体地図を作成した。また県内で初めて作成した「赤色立体模型」には、古城山の地形や大桑城跡の遺構の位置関係などがリアルに表現されており、今後の縄張りの検討などに有効と考えている。

大桑城、赤色立体模型
古城山の地形が分かる赤色立体模型

石垣の分布調査では、先行研究により確認されていた約10か所に加え、新たに約30か所で石垣を確認した。このことは、日本で土の城が主流であった16世紀前半代に、土岐氏が石垣構築という技術を導入し城づくりを行った可能性を示す。

大桑城、石垣
山頂部付近の石垣

伝「岩門」の調査で判明した城門の形状

大桑城の出入口と考えられる伝「岩門」の現地には、調査前から1.5~2.5mの巨石が横たわり(以下「巨石石垣」)、その西側には一列に並ぶ立石(以下「立石列」)、さらに東側斜面には石垣(以下「斜面側の石垣」)が露出していた。この巨石の使用方法、岩門全体の構造、さらにはその構築時期を解明するため、大桑城跡の山頂部では初めてとなる発掘調査を実施した。

大桑城、伝「岩門」
伝「岩門」調査前状況(左上が北)

立石列は、調査の結果、地面を掘削して石材を据えており、当時の位置をほぼ踏襲していることが判明した。また斜面側の石垣は、1m以上の石材も含み、最大4段残存している様子が確認できた。

大桑城、伝「岩門」
伝「岩門」の西側に並ぶ立石列

大桑城、伝「岩門」、石垣
伝「岩門」の東斜面側の石垣

次に巨石石垣について、巨石の背面(北側)を掘削したところ、礫の大きさを選別して造成された裏込め礫(れき)を検出した。この裏込め礫と巨石の東側にある2つの立石が一直線上に並ぶため、当時は巨石が立て並べられていたと判断した。

大桑城、伝「岩門」、石垣
伝「岩門」付近の巨石石垣(右が東)

大桑城、伝「岩門」、巨石石垣、裏込め礫
伝「岩門」付近の巨石石垣の裏込め礫

以上のことから、巨石石垣・立石列・斜面側の石垣は、平面的に「コ」の字状を呈することが判明し、その内部は巨石の裏込めと同様の造成と、わずかに盛り土の残欠を確認できたことから土塁状であったと判断した。

また今回の発掘調査では、中国製の染付、国産の陶器、かわらけなどが出土し、それらの年代から、伝「岩門」の時期を16世紀前半代に絞り込むことができた。

大桑城、伝「岩門」発掘調査平面図
伝「岩門」発掘調査平面図

城の入口に巨石を用いる事例は、越前朝倉氏の一乗谷朝倉氏遺跡(福井県)の下城戸、岐阜城山麓の織田信長居館跡(岐阜市)などがある。また岐阜市による岐阜城跡「一ノ門」の調査(令和2年度)では、巨石石垣を用いた城門の構造が大桑城跡の伝「岩門」と酷似することが確認され、担当者は「土岐氏に仕え、後に追放した斎藤道三が、土岐氏と同じ技術を用いて一ノ門を築いた」とみている。

土岐氏は城門に巨石を用いることにより、その権威を見せつけようとしたのではないだろうか。大河ドラマでは、斎藤道三の操り人形のように「弱い守護」として描写された土岐氏だが、実際の大桑城の遺構を見ると、守護の拠点にふさわしい城を造ろうとしたその気概を垣間見ることができる。

大桑城、伝「岩門」復元イメージ
伝「岩門」復元イメージ(株式会社イビソク画)

山県市では、今年度以降も発掘調査を中心に大桑城跡の調査を継続し、令和5年度に調査成果を総括する予定である。また市公式ホームページ内「大桑城跡特集ページ」に、発掘調査やその他の調査の成果を掲載しているので閲覧していただければ幸いである。

大桑城(おおがじょう/岐阜県山県市)
天文4年(1535)、美濃国守護土岐氏が守護所をこの地に移し、標高407.5mの古城山に大桑城を築いた。しかし天文12年(1543)に斎藤道三が美濃に侵攻。大戦の末、大桑城は落城し土岐氏は国外へ追放された。現在は古城山の山頂に地元住民の方々によってミニチュア大桑城が設置されており、山頂からは伊勢湾や、伊吹山などの絶景が望める。

執筆/高木晃(山県市教育委員会生涯学習課文化財調査室)
写真提供/山県市教育委員会

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