【日本100名城・千早城編】鎌倉時代末期に躍動した楠木正成の城郭群

日本100名城のなかで数少ない、鎌倉時代末期に築かれた城が大阪府と奈良県の境にあります。軍記物『太平記』で知られる、鎌倉幕府軍と戦った楠木正成が活躍した千早城。楠木正成の戦略に大きな役割を果たした「赤坂城塞群」とともにめぐってみてはいかがでしょうか。起点となる富田林寺内町もあわせてご紹介します。

急な石段を登って本丸を目指す

大阪府と奈良県の境にそびえる金剛山(標高1125m)の中腹に、『太平記』の舞台となった千早城(大阪府)がありました。現在は千早神社が鎮座し、登山口から石段を登って千早神社を目指すことになります。

千早城
金剛山登山口バス停近くの登城口から石段がのびる

登城口から真っすぐのびる石段にひるみそうになりますが、実は視界の先にも次から次へと石段が続きます。段差の大きな石垣を登りながら、千早城を攻めるのがいかに大変かを体感してみてください。

千早城、第四郭
第四郭(四の丸)にはベンチが設置されているので、本丸への移動前に休息をとれる

石段を登ること約15分、第四郭(四の丸)に到達し平地が広がります。

千早神社にまつられる楠木正成

第四郭の奥にはさらに石段が続き、下り道の後、最後の急斜面を登り切ると千早神社に到着。千早神社裏側の一番高い部分が「主郭(本丸)」と考えられています。

千早城、第四郭
千早神社から第四郭方面を望むと急斜面がよく分かる

室町時代の軍記物『太平記』によると、楠木正成が元弘2年(1332)に挙兵した際、千早城は楠木城(上赤坂城)(大阪府)とともに中心的な山城として重要な役割を果たしました。千早城の急な斜面を登ると、いかに攻めるのが大変かよく分かります。実際に、激しい籠城戦にもかかわらず落城しませんでした。

千早城、千早神社、本丸
標高634mの千早神社。裏側の一番高い所に本丸があったといわれる

攻める鎌倉幕府軍100万人に対し、楠木正成が1000人の兵で千早城を守り切ったという伝承から、「登り切ったら落ちなくなる」といわれ、受験生に人気のスポットでもあります。

金剛山の山頂付近にある国見城を目指す場合は、さらに約2㎞の登山道を登ることになります。

千早城の麓で鋭気を養う

千早城登城口付近にはカフェや食堂、蕎麦店など、思わず立ち寄りたいお店が並んでいます。また、日本100名城スタンプが設置されている「金剛山麓まつまさ」では、金剛山の伏流水を使った伝統製法による豆腐が販売されています。お気に入りの場所を見つけて、千早城攻めの疲れを癒してください。

楠木正成が築いた上赤坂城(楠木城)も攻める

せっかく千早城を攻略したならば、楠木正成ゆかりの上赤坂城と下赤坂城(大阪府)(ともに国指定史跡)にも足をのばしてみるのがおすすめです。

上赤坂城
自然の険しい地形を生かした上赤坂城。登城道はよく整備されている

千早神社から北北西に約6㎞、「楠木城」の別名をもつ上赤坂城があります。上赤坂城は西側の本丸(千畳敷)、東側の二の丸(東の城)から構成。舗装された登城道をたどり、一の木戸、二の木戸、三の木戸、四の木戸の順に踏破し、二の丸、茶碗原、本丸へと続きます。本丸の周囲や、二の丸から北西方向に多くの曲輪が連なっています。

楠木正成が平野将監(ひらのしょうげん)を配して守らせたものの、水が絶たれたため元弘3年(1333)に落城したとされています。

上赤坂城、本丸
上赤坂城の本丸から大阪湾や六甲山地を一望する

本丸からの眺望は見事で、あべのハルカスや大阪湾、六甲山まで見渡しながら、上赤坂城を重視した楠木正成の気持ちがよく分かるはずです。

下赤坂城と太平記ゆかりの棚田

上赤坂城とともに「赤坂城塞群」を形成していたのが下赤坂城(赤阪城)です。上赤坂城から北西に約2.5km、金剛山地から北方向へ延びる尾根上に位置しています。

下赤坂城、本丸
千早赤阪村役場の近くに主郭(本丸)があったとされる

楠木正成が下赤坂城を築いたとされるものの残念ながら遺構はほとんど残っていませんが、付近には甲取(かぶとり)や矢場武(やばたけ)など、城を連想させる地名が残っています。

元弘元年(1331)、鎌倉幕府討幕計画が発覚したため、後醍醐天皇は笠置山(京都府笠置町)に逃れました。これに合わせて挙兵した楠木正成は、下赤坂城を急いで築城したものの、短期間で築いたために落城し、正成はいったん撤退。翌年に正成は下赤坂城を再び奪還するものの再度落城し、千早城での籠城戦の間に鎌倉幕府は滅亡しました。

下赤坂城、本丸
下赤坂城跡は、下赤坂の棚田を一望できる絶好のビュースポット

下赤坂といえば「日本の棚田100選」に選ばれている、美しい棚田の風景も有名です。『太平記』には、「かの赤坂の城と申すは、東一方こそ山田の畔重々に高くして」と記され、歴史的にも大変貴重な棚田であると考えられています。

起点となる富田林駅から寺内町を散策

千早城への路線バスの発着地である近鉄富田林駅から南に約500m歩けば、重要伝統的建造物群保存地区に登録されている、日本有数の寺内町の町並みが広がっています。

富田林寺内町
歴史的景観が保存されている富田林寺内町

永禄年間(1558~1570)初年頃、証秀上人(しょうしゅうしょうにん)が守護代の美作守安見直政(諸説あり)から富田の「荒芝地」を銭百貫文で購入し、興正寺別院の御堂を建立しました。上人の指導のもと町全体を仏法の及ぶ空間、寺院の境内と見なして信者らが生活をともにする宗教自治都市が成立。江戸時代には幕府の直轄地となり富田林寺内町として大きく発展し、豊富な米と恵まれた水によって酒造業が発達しました。

楠木正成が築いた山城をめぐったあとは、戦国時代や江戸時代にゆかりのある富田林寺内町をじっくりと散策してみてはいかがでしょうか。

住所:大阪府南河内郡千早赤阪村千早
電話:0721-72-0081(千早赤阪村役場)
アクセス:近鉄長野線「富田林」駅からバスで約30分、「金剛登山口」下車、徒歩すぐで登城口、登城口から千早神社まで約20分

住所:大阪府南河内郡千早赤阪村桐山
電話:0721-72-0081(千早赤阪村役場)
アクセス:近鉄長野線「富田林」駅からバスで約20分、「奉建塔前」下車、徒歩約35分で登城口、登城口から本丸まで約20分

住所:大阪府南河内郡千早赤阪村下赤坂
電話:0721-72-0081(千早赤阪村役場)
アクセス:近鉄長野線「富田林」駅からバスで約20分、「消防分署前」下車、徒歩約10分

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
国内・海外で年間100以上の城を訪ね、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。『地図で旅する! 日本の名城』(JTBパブリッシング)や『親子でめぐる!御城印さんぽ』(青春出版社)などを執筆。城めぐりツアー(クラブツーリズム)の監修・ガイドを務める。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています